世界って面白いなあーの2
常識ってなんなん?
って思ったことを書く。
最近の流れでは、ファスティングとかオートファジーとか1日1食がいいとか、風邪症状は何も口にしなかったらおさまるとか、『食べないこと』が健康に繋がるといわれだして
少食があちこちで推進されているけれど
『細胞は再生するんだ』という話を聞いた。
私達の細胞は、数年かけて全て入れ替わる。
心臓も肝臓も腸も。
細胞はぜんぶ新しくなるのだそうだ。
で
細胞は古い細胞をつかってまた新しくなるので
なんと、食べ物からの栄養素は不要と言う研究者がいるそうな。
だんだんと、食べ物って実際は要らないんじゃないか、とそっち方向に研究は進んでいるとかなんとか。
コアラがユーカリしか食べず、たんぱく質もなにも摂取していないのに育っていくとか
食べなくても生きている不食の人がいるとか
栄養素って要らないのかな、不思議だなとは思うけれど、もしや
食べ物を、食べなくちゃいけないと思いこんでて
潜在意識とか
集団的無意識でそうなってて
(ホモサピエンスは実際にはないことを信じれるという機能から生き残ってきた)
もしも、食べるからこそ、老いたり
必要ないものを消化することで、病気したり
精神的不安定になったりするんだとしたら
なんか、これまでの人間社会って闇だったんだなあーと
一万年前の人骨で、骨折の修復部位の経過からして歳をとっているのにも関わらず、青年のような若さの骨だったとか(つまり、寿命が短いから若い人骨しか出ないのではなくて、歳をとっても若い身体のまま寿命を迎えたのではという推測)
そういうのも聞いたことある。
私は真面目なのか
栄養素の摂取とかを食べるものでいちいち考えちゃう方なんだけど(栄養吸収が良い調理方法とか)
なんだ!
食べるって栄養摂取ではなしに
脳の欲求不満、欠乏からの行為だったなら
ほんとに、自分の食べたいものを楽しんで食べたらいいんやな~
しかも、お金がなくて
なにかがあって食べる事が出来ないなら
じゃあ
食べなくてもいい
べつに私の身体は困らない
と思えることができたら
豊かやなあ~
人類の、飢えとか
(食べないと死ぬという思い込みの構築)
食への向き合い方が
(自然破壊をしてでも食べて生きなければならない)
全然変わっていくかも知れない。
いま、バーチャルゲームの中で生活する人が世界中に居て、友達との交流やイベントばかりか、ファッションを楽しんだり仕事をするのもゲームの中で、バーチャルタウン(ゲーム)の住人が三億数千万人のひとつの国くらいの規模になっている、ときいた。
現実に居る時間のほうが短くなり
その生活の場であるゲームの世界や
自分であるアバターから抜け出すには、カウンセリングまで必要とのことだ。
このままバーチャルゲームが浸透していけば、ゲームの中での法律も出来るだろうし
のちには、視覚と聴覚の発達と、その他の機能の退化もみえてくる。
わたしは、昨日書いた、お金のない世界の話と
食べることが必要ない世界
バーチャルで生きる世界
それぞれが個人で選択できるこの自由さが面白いと思う。
お金が必要とか
食べることが必要とか
現実で仕事して家庭をもつ生き方とか
そんなん、もはや自分の趣味嗜好の問題で
常識として強制される時代の終焉というか
尺度は多様となり、自由が増えていくんだ。
思い込み、潜在意識や観念がなくなれば、人間ってどこまで自由になってしまうんだろう
この世界っていよいよ面白い!と思った。
この世はなんでもアリだ。
自分の意思によって
生き方って変わっていく。
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