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『大衆化』していくVTuberと我々はどう付き合っていくか

 バーチャルという括りで、架空のキャラクターが動き回り喋っている動画や生配信が配信されるようになって、既に8年近くが経とうとしている。最初は奇異の目を向けられていたジャンルも、今となってはメディアへの露出機会も多くなり、大手事務所から個人活動に至るまで何万人もの活動者が存在しており、まさに驚きの一言に尽きる。

 ちょっとしたアバター技術のお遊びに過ぎなかったコンテンツが、ここまで独自の文化として根付いてきたのは、インターネットという21世紀のインフラが普及し、単方向からの情報供給が双方向的な発信と共有に変化したことが大きく影響していると言えるだろう。
 20世紀まで、趣味や娯楽のために何かを作って発信するという行為はとてつもないパワーを求められるものであり、個人の枠でどうにかできるものではなかった。個人であれ集団であれ、何らかの枠組みに属す形で力を借り、自身のコンテンツを発信するしかなかったのだ。それ故に、同好の士と呼べるような範囲は狭く小さいものであったし、流行となるようなものには相応の人と金が投じられていた。
 そんな情勢を突き崩したのは、高速・無制限化したインターネットとともに広がっていった『動画投稿サイト』や『SNS』の存在だった。誰もが自由にコンテンツを投稿し、それらに対してコメントや返信をつけることで、作り手と受け手の双方が情報をやり取りする。そうやって立場や地域に関係なく、思い思いに情報を発信し共有する文化が形作られていったことで、それまでにはなかった娯楽の形式が組み上がったのだ。
 ただのホームビデオをインターネット上で共有するような状態から、独自にプラットフォームの特徴を意識して作ったコンテンツが中心となっていき、更に若者が注目するゲームの実況配信などが盛んになってきた時代。そんなタイミングに現れたバーチャルYouTuberは、間違いなくこうした流れの中にあるジャンルと言えるだろう。

 この8年の中で様々な出来事を経験しながら、VTuberは国や地域を問わず愛されるエンターテイメントコンテンツとして大きな成長を遂げた。
 しかしその一方で、VTuberというジャンルは市場規模の拡大や事業としての健全性が追求される中、徐々に黎明期にあった独特の色合いが薄れつつある。勿論、営利の絡む案件や現実社会との連携が具体的になってきたことで、良識の保証であったりコンプライアンスの準拠といった制約が生まれていることは変化の要因の一つとしてあるだろう。だが、それ以上に変わってきているのは、ファンとして付き合ってきた視聴者層の意識やスタンスであるように思う。
 いわゆる『大衆化』のフェーズを迎えているVTuberというジャンルは、視聴者へどのようにアプローチしているのだろうか。そして、我々視聴者にはどのようにVTuberを相手にしていくことが求められているのだろうか。今回は、その辺りのことを考えていこう。

共感ではなく、憧れの対象になったVTuber

 まず、何よりも大きな変化と言えるのは、VTuberの視聴者からライバーに対する強烈な共感性を感じられなくなってきていることだ。

 少人数のファンを抱えているところはまだ気兼ねのない会話がある場合も見られるものの、大手の事務所所属となってくると、デビューした時点から壁1つ隔てた存在として見られていることの方が多い。配信のコメントにおいても、VTuberの話す内容に対しての同意やリアクションが主で、相互的なコミュニケーションはあまり期待していないといった雰囲気だ。
 コメント内の失礼な表現によって演者を傷つけたり、トラブルを引き起こすといったことで、事を荒立てない内容を書き込むように求められている影響はあるだろうが、それ以上に視聴者側の意識が一回り遠い位置に置かれている傾向はある。視聴者側のリスク管理というよりも、VTuberに対する『手の届かない対象』という意識が以前より明確になった、といった感じだろうか。
 彼らの一挙一動を面白いと感じたり、かわいいと愛でたりすることに偽りはない。一方で、自分の生きる場所と直接繋がる形でVTuberを見ているわけでもない。そういった雰囲気の発信が近年は明確に表れている。

 代わりに増えているのが、推しのグッズであるアクリルスタンドやマスコットぬいぐるみを持ち歩き、名所やグルメなどと写真を撮って共有するという行動だ。その場に本人を求めず、間接的に彼らを感じられるものと一緒に生活を送るという様式は、どちらかというと憧れの対象に行うものとしての意味合いが強い。
 こうした新しいタイプの視聴者の姿は、旧来的なVTuberとの付き合い方を楽しむ僕のような人間からすると、とても新鮮に感じられるものだ。と同時に、そういったあり方にも独特の良さを見出してもいる。
 VTuberの活動を直接追いかける視聴の仕方は、ハマっている当人には楽しくとも負荷の大きいものだ。自身の生活様式と配信のタイミングが必ずしも噛み合うとも限らない。こうしたスタンスの視聴者については、ある程度身を削ることも覚悟の上でVTuberと向き合っていると言えなくもないだろう。
 それらに対して、VTuberを憧れとして接している視聴者のあり方は、当人と距離自体は置きながらも、好きなものと生活を共にするスタンスを大事にしている。配信もリアタイに固執せず、歌動画やショートといったコンテンツを中心に楽しむなど、自分のペースに合わせた推し活が主と言える。自分の生活を犠牲にせず、かといって希薄になるわけでもない。そういった距離感に落ち着きつつあるのが今の視聴者層と言える。
 世代が変われば様式も変わるものだが、VTuberの文化においても変化は生じてきているのだろう。

メディア番組化しつつあるVTuber

 ではVTuberの方はどうかというと、こちらにも変化の波はやってきていると感じることが多い。

 とりわけ顕著なのが、企画に参加したり事務所の公式番組に出演したりといった、特定の枠組みで行われているものの中での活動が増えたことだろう。
 これまではゲームを実況するにしても、同じタイトルだろうとそれぞれが非同期に各々の配信枠としてやっていることが多かった。流行りに乗って同じタイトルをプレイするにしても、基本的には自身の配信の中で完結したものであったし、VTuber同士が表立って感想を共有したりする機会はそこまでなかった。しかし、近年はそうした傾向も薄まってきており、どちらかというと企画やイベントに合わせて複数人が参加したり、共同で配信するものが多くなっている。
 また、事務所の企画として開催されるイベントでは、各々の視点での配信だけでなく公式や監督役を務めるVTuberから総集編やダイジェストが提供されることも多い。大人数が参加することで状況が掴めなくなりがちなゲームでも、1つの番組として楽しむことができるよう、開催する側が工夫して行っていることだ。このような努力のおかげで、視聴者は以前よりもエンターテイメントとして企画を楽しむことができるようになっている。

 面白いことに、個人企画や企業とのタイアップが生配信ではなく動画として配信されるようになってきている。
 1時間の枠でせかせかと説明を入れるよりも、こういった動画形式のものの方がスッキリとまとまっているため、企画としてヤマやオチがつきやすいというのはあるだろう。また、収録して編集するため当日の参加が難しいゲストを呼ぶことができるというのも、理由となっていると思われる。これも近年の変化の1つと言っていいだろう。
 このようにコンテンツを発信するVTuberの方も、時代の変化に合わせて活動のやり方を変えていきつつある。不思議なことに、テレビ全盛期のようなメディア番組型の発信が徐々に強みを増してきているというのが驚きだが、ジャンルが手探り状態から脱して成熟に向かっていく中で、かつてのエンターテイメントの形に収斂していっているのかもしれない。

VTuberとのこれからの付き合い方

 VTuberという1つのジャンルが、10年の節目に向けて変化をし続けていくことを考えると、この先数年の間にも黎明期からかけ離れたものへと転じる可能性は大いにある。そのことについて、寂しさや悲しさを覚える人がいることは事実だろう。
 あの頃の手探り感であったり、素人ながらに何かを表現しようとしていた情熱であったりを大事にしている方からすれば、現在のVTuberというのは随分と垢抜けてしまった、刺激の少ないものに映ってしまうかもしれない。と同時に、企業としての一種の真面目さが求められていくことに反感や危惧を抱く場合さえあるだろう。その感情そのものを否定したくはないし、忘れてしまった瞬間にVTuberというジャンルが衰退していくという確信はある。

 しかし、だからといって今のVTuberがダメになっているか、視聴者から離れてしまったかと言えば、そんなことはないと思う。窮屈なものに取り囲まれていても、大前提としてあるのはインターネット社会が生み出してきた相互発信の面白さであるし、姿や捉え方こそ変わっても、VTuberと視聴者の双方が影響し合うことで紡がれてきた文化性というものは根本にあり続けるものだろう。
 もしそれが破壊されるとすれば、それはVTuber側が一方向的な発信で良いと判断する時であり、VTuber文化を終焉させる時と言える。それはインターネット社会の否定であり、21世紀型の社会活動からの離脱である。だがそんなものに行きつくようなら、VTuberはとうの昔に消えてしまっている。
 どこまで行ったとしても、VTuberというジャンルは視聴者との相互関係の中にあり、双方向的なコミュニケーションの中に魅力が生じる存在である。それを忘れない限り、今後も形を変えながら存在し続けるだろう。

 そんな存在に向き合う我々視聴者は、これからどのようにVTuberと接していくべきだろうか。
 誰もが、すぐに結論を出せるものではないだろう。VTuberと出会った時期、過ごしてきた経験、立場や考え方によって、最適と呼べる関わり方には差がある。それでも最低限言えることがあるとすれば、それは『つながり』を大事にすることだ。VTuber本人とのつながりであり、グッズや曲を通したつながりであり、言葉と言葉のつながりであるそれを、視聴者が生活の中に置く。そうした振る舞いは、きっとこのジャンルにおいてずっと変わらないものとなる。
 『つながり』を大事にする。それこそが、今後のVTuberとの接し方を考える芯になっていくことだろう。変化し続けるその在り方を、今後も見守っていきたいものである。

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