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箱の中の箱――にじさんじの同期グループ戦略

 最近、にじさんじの戦略が新たな様相を呈してきたように思う。
 具体的には、同期グループを商業的な要素からもプロデュースしていこうという意識が強まり、実質的な小規模箱としての性質が高まってきているのだ。アクセサリーモデルという側面を持つIdios(イディオス)や、ヒーローをモチーフにしたOriens(オリエンス)Dytica(ディティカ)Krisis(クライシス)というENを含む3グループなどは、特にその傾向が顕著だろう。最近でも、やがて菖蒲か杜若(やがてあやめかかきつばた)Speciale(スペシャーレ)がそうであるように、デビュー当初からグループチャンネルを持って活動しているなど、以前に比べて同期グループでの活動をプロデュース対象としている状況が目立っている。
 こうした変化の裏には、一体どのような目論見があるのだろうか。

何度も変遷してきたプロデュース

 にじさんじは、これまで幾度にもわたってライバーのプロデュース方法を試行錯誤し続けてきた。
 黎明期はまず注目と知名度を高めることに腐心し、次いでジャンルの開拓を図ったSEEDsやゲーマーズの展開を行った。これが思ったほど望むような状況を作っていないとわかると、次に行ったのは各路線の統合だった。
 一見すると、途中のグループ分岐は無駄になってしまったかのようにも思える経歴だ。せっかくジャンルを分けてプロデュースしていたのに、全てを一緒くたにしてしまうというのは、普通に考えれば横暴さが目立つ企業戦略と言える。しかし、分化を明確にしていた時期には活動内容や範囲の制限、ジャンル違いのグループとの間の活動上の断絶など、今となっては考えられないような制約が生じており、これがかえって各グループの活力を奪っている状態だった。
 つまりこの統合という動きは、あえてジャンルの壁を取り払うことによって、ライバーそれぞれの求める活動の方向性を損なうことなくプロデュースしていくという大胆な方針転換だったのである。

 統合されて以降のデビューとなったライバーは、個々に活動の方向は異なるが活動そのものをジャンルによって阻害されることはなくなった。代わりに個性を物語る要素としてプロデュースに盛り込まれていったのが、『同期のライバー』という存在だ。
 ライバー間のコラボ企画や歌ってみた動画など、様々な活動において『同期と共にやった』という実績が、関係性の推察やライバーのキャラクター性を定義づける一要素になっていった。また、デビュー時期の異なるライバーから見ても、何かと紐づけて捉えやすい概念と言えた。
 一方で、にじさんじのプロデュースとして同期を売り出す要素にしていたかというと、やや疑問が残る。確かにデビューさせるにあたって、同期のメンバーそれぞれに設定上のつながりを持たせることはあった。しかし、それを必ずしも徹底していたわけではなく、どちらかと言えばライバー側が活動方針として同期との関係性を意識したり、活用していたように思う。
 特に2019年のデビューとなったライバー達の場合、それぞれのデビュー時期にさほど差がないこともあってか、前後で横断的に関係が作られていく状況もたびたび見られている。2人ないし3人での新規加入ではあっても、実態としては前後をまとめた5、6人や7人以上の括りが事務所の中では出来上がっていたというのが、この時期のにじさんじである。

 明確に同期グループの括りをプロデュースの軸に据えるようになったのは、やはりVΔLZ(ヴァルツ)が始点となっているのではないかと思う。デビュー当初からグループ楽曲を発表したり、世界観やキャラクターの設定を反映したボイスドラマを展開するなど、普段のライバー活動だけでなく商業的な方面で同期という存在を捉えるようになったのが、この頃からであるように僕自身は感じている。
 ただ、この時点ではプロデュース方針の固め方に反して、実態がついてこられなかったという状況もまた目立っていた。メンバーそれぞれに展開していきたい活動内容があったことや、その注目のされ方で悩みを抱えていたりする中で、VΔLZというグループを上手く扱っていたとは言えない状況が長くあった。結果的にグループとしてのまとまりに回帰していったと言っても、それはあくまで彼ら三者の心境が各々で整理できた上での話だ。正直なところ、にじさんじがプロデュースした結果そのようになった、とは捉えられないような経緯だろう。
 また、世怜音女学院演劇同好会(せれじょ)のように、当初はコンセプティブであっても各々の個性の方が強く、同期という括りに留まらない自由さを発揮する場合もあり、事務所側が同期グループを意識するというのは難しい状況だった。各々に象徴するような個性があることはライバーとして理想的であるし、それぞれが独自に人脈を築いていくこともごく自然な流れではある。ただ、その輝きが強すぎると、どうしても「設定は設定」という傾向も同時に強まってしまう。勿論、彼女達が『せれじょ』を大切に考えていることはわかるし、ライバーのキャラクター性の芯にも同期という関係性はある。それでも、同期グループのコンセプトを普段意識して見ていることは少ない。こういった部分で課題を抱えていたのが、この時点でのプロデュース方針だった。

再びの『箱の中の箱』

 このような変遷を辿る中で、にじさんじという一つの事務所に所属するライバーの数はとてつもない規模で多くなった。活動中のライバーだけで100人を軽く超える事務所というのは、芸能事務所などでもかなりの大所帯扱いだろう。VTuber、ライバーというジャンルにとどまらず、にじさんじそのものが一つのジャンルと化している状態だ。
 こういった状況下で新人を供給していくにあたって、どのように彼らの存在をプロデュースしていくのか。その問いへの回答こそが、今まさに展開されている状況ではないかと思う。すなわち、にじさんじという巨大な箱の中に、コンセプトや商業展開の方針を明確にした『小規模な箱』を用意するというプロデュースだ。

 たとえばIdiosの場合を考えてみよう。
 彼女達には、にじさんじのライバーという側面がそれぞれに存在する。各々にキャラクターとしての設定があり、各々の活動に対する方向性や目標が存在し、それぞれ個別にスケジュールを立てて活動に勤しんでいる。
 一方、彼女達はアクセサリーブランド「Dinamis」のモデルとして活動している。衣装にアクセサリーが盛り込まれたり、新作が出るタイミングに合わせた着用ビジュアルが公開され、本人の配信などでも商品を知ることができるようになっている。この「Dinamis」との公式タイアップを長期で続けていることによって、Idiosのライバーはにじさんじのライバーでありながら、あたかも個別のグループが独自の活動体系を持っているかのような様相を呈しているのだ。

 ライバーの衣装に盛り込まれていたり、身に着けている姿のある商品をファンが手にするというと、『推しのアイテム』という印象も少なからずあるが、現実のDinamisからIdiosにアクセサリーを付与すること、Idiosのビジュアルが現実のDinamisに付加されることは、にじさんじという枠ではない、外との対応関係を持ったイメージが個別のグループ自体に与えられていると言える。現実に推しの意匠を反映したのではなく、ブランドアクセサリーをライバーとファンの双方が手にしているという形式。これは、明確に以前までのプロデュースとは方向性を変えたと捉えることができるだろう。
 つまるところ、にじさんじライバーという立場や活動の主軸は今まで通りに存在しながら、外向きの活動においては必ずしもにじさんじが主とならない、というのが最近のプロデュース方針になりつつあるのだ。

 このような方向性でプロデュースを進めていることと、統合前のジャンル分けとがどこか重なるように思える方もいるだろう。グループごとに分断が進んでしまうのでは、と今の傾向に対して危惧することも考えられる。
 しかしながら、統合前のやり方と明らかに違っている部分が存在することは知っておくべきだろう。それは、普段の活動において各グループとにじさんじとが切り分けられていないという点だ。
 SEEDsやゲーマーズにおいて問題となったのは、彼らの活動が所属するジャンルによって制限され、行動を封じられていたことだ。ゲーマーはゲームだけに集中する、バラエティ路線であれば他路線の子を巻き込まない、という一方的なお約束があることによって、統合前のにじさんじにはやりたくてもできないことがいくつも生じていた。事務所を去ろうとするライバーさえいたくらいには、融通の利かないジャンル分けがなされていたのだ。
 現行のプロデュースにおいては、そういった部分で活動上のリスクを作らないようにじさんじとして活動の制限を設けることはしていない、と捉えることができる。同期外のライバーとコラボすることや、企画に参加することへの制限は今のところ見られないし、先輩のライバー達も気兼ねのない付き合い方をしているように感じられる。その上で、同期グループに対して個別の案件を振ったり、ストアにおいてボイスドラマなどの企画商品を展開したりという形を取っている。
 明確に個別の箱として切り分けず、グループの企画を動かす中においてだけは括りを意識する。この形が、今後はにじさんじ内のプロデュースにおける主流となっていくのではないかと思う。

今後のにじさんじの方向性

 『箱の中の箱』というプロデュースのやり方は、これまでのとにかく知名度やボリュームを高めようという方針から一つ抜け出した位置にある。月ノ美兎をはじめとする数多の先駆者達によって、にじさんじという名前は世間に知れ渡った。今はその知られた状態からもう一歩先の、『社会と関わっていける存在』を目指す段階に来ていると言えるだろう。

 この『社会と関わる』というのは、簡単なようでいてとても難しい。
 知られる段階においては良くも悪くも話題になることが重要だが、信頼を培い広げていくという段階では、悪評を得ないことや不偏性があることを示し、やることの正当性を受け入れてもらう必要が出てくる。その上、不祥事が起きた際に製品だけでなく手掛けた企業そのものへのイメージが長く悪いものとなる。たった一度、たった一部署のトラブルが企業全体の活動に波及することも多い。新規の産業においては、一企業のやったことがその後のジャンル全体に影響を及ぼす可能性さえあるのだ。
 運営元であるANYCOLOR社が上場した今、にじさんじというライバー事務所はこれまで以上に社会と関わりを持った存在になっていくことを求められている。それは、単に案件で企業とタイアップしたり、イベントを開催するというだけではなく、社会の一員として責任感のある言動を求められるということである。そういった状況の中で、大雑把な『にじさんじ』という括りの中にライバーを置くことは油断を招くことにも繋がりうる。大きな箱の中にいると、それ自体の盤石さによって規律や物事への配慮が緩まっていく可能性がある。それが露骨なものとなれば、外側を巻き込んだトラブルや自身の炎上に繋がるし、最終的にはにじさんじそのものに体質の疑いがかかっていくこととなるだろう。
 同期という形でグループの活動体制を整え、ストアアイテムや対外的な案件の割り振りに活用する。そうした取り組み方には、それぞれの仕事に対する責任感の明確化を図る目的もあるのではないだろうか。とにかく活発に動いてファンを増やせばいい、という時代からの変化とともに、デビュー当初から難しい立ち振る舞いを求められる状況になりつつある今のライバーの環境を伺わせるものである。

 『箱の中の箱』を用意するプロデュースが果たしてどれほど成功するのかは、まだ何とも言えない状況である。少なくともIdiosやヒーローズに関しては一応の立ち位置が確立できていると思うが、この戦略が全てのライバーの活動方針とマッチするわけではない。従来型の活動体系を希望するようなライバーも出てくる可能性がある。そうした場合に、プロデュースの方向性を貫くのか、ある程度柔軟性を持たせていくのかは悩ましいところだ。
 VTuber、ひいてはライバーという存在が一般化しつつある状況において、どのようなやり方が社会との関わり方に向いているのか、各事務所とも模索の段階にある。そのものの目新しさが前に立つ時代ではなくなり、中身の充実や地に足をつけた振る舞いをより強く求められる過程にあるからこそ、事務所ならではの良さを失うようなことにはならないでほしい。そこのところの上手い采配をにじさんじという箱に求めていきたいのが、一ファンとしての想いである。

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