【何度踏まれても立ち上がる②】
大学では、男子サッカー部に所属した。毎日、大好きなサッカーが出来ることが楽しくて仕方がなかった。部員70人近くいる男子の中で女子1人。心細さもあったが、自分を受け入れてくれた、部員やスタッフにはとても感謝している。
キツイ走り込みを乗り越えた爽快感は今でも忘れられない。
そんな全ての調子がよく、絶好調だったある夏の金曜日。
部活では、走り込み+サーキットトレーニングの日だった。
1週間の練習の疲労も溜まっており体も重く、コンディションはあまり良くなかった。
また次の日からデフフットサルの合宿もあった。
「とりあえず、部活の朝練を乗り越えよう。乗り越えたら、ゆっくりケアして明日からの合宿に備えよう。」
という気持ちで、いつも通り部活に取り組んだ。
しかし、サーキットトレーニング中ジャンプして着地した際に膝を捻り、何かが切れた音がした。すぐに立ち上がれたが、膝が動かなくなっていた。
怪我の診断は、「右膝前十字靱帯断裂」だった。女子サッカー選手では、よくある怪我だが、手術やリハビリが必要で復帰には時間がかかる。
まさか自分が?絶好調だった時に、怪我による長期離脱でひどく落ち込んだ。
それでも、またサッカーをする為に夢や目標を叶える為に、手術を決断した。
手術をしてリハビリをすれば、またサッカーができると信じていた。
しかし、自分に訪れた試練は、とてつもなく苦しかった。何度も涙流した。
大学一年の夏、「右膝前十字靱帯再建術」の手術を受けた。リハビリを重ねたが、膝の伸展や屈曲があまり良くならなかった。普通に歩くのも膝が曲がったまま拘縮してしまい、踵を地面につけることができずつま先歩きだった。当然、松葉杖は外れず、セカンドオピニオンに行った。
そこで詳しい検査をすると、再建した靱帯が太すぎて、膝の曲げ伸ばしの際に引っかかっていることと、術後固定期間が長かったことにより拘縮が進んだのだろうという見解だった。
セカンドオピニオン先で、再建した太い靱帯を削って細くする2度目の手術を受けた。
術後、引っ掛かりが少なくなり、日に日に膝の可動域が良くなり、松葉杖なしでも歩けるようになった。
しかし、拘縮期間が長かった為、伸展や屈曲は完全には良くならなかった。それでも、サッカーに復帰することができた。
部活での練習が楽しくて楽しくて仕方がなかった。
しかし、日に日に足に感じる違和感。可動域も悪くなっていった。でも、サッカーがやりたくて、サッカーが大好きで、テーピングを巻いたりと騙し騙しプレーしていた。
いつしか歩行時にも痛みを感じるようになり、病院で相談したところ、
先生から「この膝ではもうサッカーはできない。靱帯を切除して、しっかり伸展0度、屈曲120度以上になったら、再再建するしかない。復帰には1年はかかる。」と言われた。
頭が真っ白になった。
この日から、自分は真っ暗なトンネルに迷い込んだ。本当に光が差し込んでこないただただ真っ暗なトンネルだった。どんだけ、前に進もうと思っても、トンネルから脱することができなかった。
「もうサッカーを辞めろ」ということなのか。
デフリンピックに出たい。W杯に出たい。その為には、聴者のチームでもっともっとレベルを上げていかないといけない。
まだまだ目標や夢を達成する為にサッカーがしたい。
でも、何度も試練はやってくる。もう立ち向かう勇気さえ無い。もう手術もしたく無い。手術してもここから復帰に1年もかかる。
辞めようか。
悩み悩みまくった。そんな時、大学のサッカー部の監督に言われた言葉がある。
「心配するな。復帰したら嫌というほど練習させたる」
この言葉を聞いて、とても安心したのを今でも覚えている。こんな自分でも戻ってくる場所があること、やっぱりサッカーがしたいということ。
自分は、3度目の靱帯を切除する手術を受ける決断をした。
靱帯を切除する手術を受けて、また松葉杖生活に戻った。それでも前を向いて前に進み続けた。自分には、応援してくれる人や支えてくれる人が沢山いた。
靱帯を切除し、リハビリを重ねて膝の可動域を戻した。そして、4度目の手術。「右膝前十字靱帯再再建術」を受けた。
リハビリを重ねて8ヶ月後。ようやく復帰できた。ここまで2年かかった。そして抜釘手術を受けて、完全復帰を果たした。計5回の手術を受けた。
悔しくて、何で自分が。サッカーしたいけど、もう辞めようか。辞めろということなのかと悩んだ日々もある。それでも、自分を待っていてくれるチームメイトがいたこと、戻ってくる場所があること、いつも1番近くでサポートしてくれた両親や、支えてくれた主治医や監督、コーチ。
自分は、1人じゃ無いことに気づくことができた。
必ず、夢や目標を達成する。
デフリンピックやW杯で世界一を取る。
そう心に秘め、復帰後、大学サッカー部の練習に全力で取り組んだ。練習はとてもキツかった。走り込みもキツすぎて心折れそうになった。コミュニケーションで悩むこともあった。でもいつも根底には、サッカーができる幸せを噛み締めていた。ボールを蹴れることが幸せだった。
自分は、2度目の大きな挫折から立ち直った。
これは、自分だけの力では到底無理だった。
沢山の方々に支えられて立ち直ることができ、何としてでも結果を出して恩返しがしたいと思った。