記事を読んで思うこと

秋篠宮佳子様が、手話でスピーチをされたこのイベントの記事。さっと流し読みだけだったら、モヤモヤしていました。正確な名称に近い読み方で覚えてしまいましたが、なにしろ、『聴覚障害児を育てる母親をたたえる会』みたいな名目は、聴覚障害児として育ってきた私には、私の母親を称えるって、本気で言ってますか?と聞き返したくなるような気持ちになるからです。実際には、私や私の母親が関係している会ではないわけですから、別の出来事として読めば良いだけの話なんですけれどもね。

モヤモヤが詳しく何処にあるのかを知りたくて、ちゃんと読んでみました。

子供たちは、ろう学校(特別支援校)へ通学している様子。まだ苦手な子もいるであろう、作文(手話が母語だと、てにをはの使い方が不慣れな子も当たり前にいます。)を発表されている。そして、恐らく家でも手話を使って、コミュニケーションを取っていると思われる家族の中からお母さんが代表して、出席されているのだろう。それならば、まあなるほど、と考えられるのです。

どうしてこんなに、上から目線にも取れる気持ちを連ねているのか?実際にはそんな称えられるべき親や家族ばかりではないし、お父さんも一緒に育てていくものでしょう?と腑に落ちないものが、自分の中に生まれているからなんです。

口話メインで育てることに固持する親も未だにいますし、手話を否定する家族もいます。そういう人達が、手話を必要としている人を馬鹿にしたり認めようとしなかったりしているのを、SNSで垣間見ます。

私自身、手話を覚えたくても母親から汚いものを見るような目で見られて「家には必要ないから一切やるな」と言われ、手話を隠れて勉強していました。

現在、聴覚障害を持つお子さんと一緒に手話を覚えたことで、意志疎通がスムーズになっているのをSNSで紹介してくれる親御さんを知っています。そこにたどり着くまでの苦労も教えてくれた方もいました。きっと語り尽くせない気持ちも、ご本人の中にまだまだあるだろうと想像しています。彼、彼女たちのような親御さんが、この会にいらっしゃるなら…と想像したら、私も同じ会場でお子さんとそのご家族に、ささやかながら祝福の気持ちを伝えたくなります。

この記事の見出しや会の名前で、モヤモヤが生まれる、否定したくなる気持ちが出てくるのを否定しません。私もそれは出てきましたから。せめて、会の名前から『お母さん』とか『称える』という言葉を使わず、もっとこれからを生きていく聴覚障害を持ったお子さんたちに、エールを送れるような名前に変えられたら良かったのにと思いました。

片親だけが頑張ってれば良い、とも取れるような呼び方をされると、辛く感じるものが子供側の立場にもあるのです。

【伝える】って、本当に難しいことですね。



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