親とこども
20代の頃、あまりにも生理痛が重いので婦人科に掛かったことがある。その時、主治医先生から「妊娠出来ない体です」と診断された。
誰にも話せず、一人で鬱々とそのことと向き合っていた。街の中にいる小さなこどもの姿を見る度に、腹立たしいような激しい寂しさに襲われるような気持ちになった。
治療が上手くいくかどうかも分からず、体内に器具を入れられる激痛と、過去の気持ち悪い経験の記憶に襲われるくらいなら、いっそ治療を受けるのを拒否した方が自分のメンタルがまだ保てそうだった。
そんなある日、母から付いてきて欲しいと頼まれ、デパートへ行った。休日のそこそこ混んでいるエスカレーターを上がってる最中に、突然「あんた、まだ処女なの?」と訊かれた。どう答えて良いものか分からず、首を縦に振ったところ「おっくれてるー」とバカにするように吐き捨てた。
今、エスカレーターを上ってるときに訊くことか?周りに人がたくさんいるのに。羞恥心で俯くしか出来なかった。そんなことをここで言葉にする母が恥ずかしかった。
義姉は何年も不妊治療を受けていた。詳しい話を本人から聞いたことはないけれど、経産婦さんから身体とメンタルにかかる負担の大きさを聞いてはいたので、陰ながら心配をしていた。
父と二人で、テレビで放送されていた不妊治療の番組を見ていた。着床が上手くいかず、辛そうな押し殺した声で泣く女性の姿が、義姉と重なった。ポツリと父の顔を見ず、「私、子供産めないんだよ」と打ち明けたことがある。父はそれでも、明るく「なんとでもなるやろ」と。父から孫を抱きたい気持ちは伝わったけど、一人で抱えてたものを一緒に持ってくれた感触はあった。
それから間もなく、義姉は待望の元気な赤ちゃんを出産することが出来た。
母だけは説明しても、無理だった。
婦人科で子供が授からない体だと診断されたことを、説明する機会があったのだけど、返ってきた言葉は
「息子の子供より娘の子供の方が、可愛がりやすいのよね。」
大変な不妊治療を経て、やっと授かった命がすくすくと成長しているというのに、「あれじゃない」とばかりの言葉に嫌悪感しかなかった。この人は、こどもを所有物かなにかと間違えてるのだとしか、思えなかった。
私は先天性の身体障害を持っているので、妊娠できていたら、可能性として障害が遺伝して産まれることもあるだろうと考えていた。もし、こどもに遺伝して産まれていたら、母はまたきっと「これじゃない」とばかりに存在を否定しただろうと思う。
完璧な親はいない。それは私の母を見て知っている。だけど、親であることを放棄するような無責任さでしか生きないなら、最初から避妊してほしいと思う。こどもが生まれてから「これじゃない」だなんて、勝手だよなと母を見て思う。