幼稚園と小学校時代を振り返って思うこと
先天性感音性難聴として、子ども時代を過ごしてきて思うことがあります。
私が子どもだった時代、聾唖学校はあっても手話を覚えたり使うことは禁じられていました。
そうとは知らず、聾唖学校へ行けば私も仲間に入れてもらえると信じていました。ところが、聾唖学校では口話(口元を読む)を訓練させられ、聴こえない言葉を発声練習させられるのだと大人になってから知りました。
「普通学校と変わらないんだ」と驚きました。唯一違うのは、聾唖学校では隠れて手話を学習する子どもたちは、いたそうです。普通学校では手話の存在を知る子どもたちはいないし、口話も発声練習も教えてくれる大人はいないので、イチイチいじめられたりバカにされたりしながら、一人であーだこーだと手探りで考えながらやるしかありませんでした。
手話が禁止されていたとしても、仲間がいるって大きな存在です。「喋れるから」というだけで普通学校に通わされたとしても、補聴器を着けなきゃいけないし、言葉を発信出来ても受信は出来ないし。私がちっとも【普通】じゃないんです。
2020年になったばかりの現在は、聾唖ではなく「ろう(聾)学校」となり、手話も教わり、情報保障が満たされています。親や大人のエゴで口話だけで押し通すのではなく、子供の可能性を広げる意味でも手話を言語として家族で一緒に使える方が、誰も孤独に追いやらずに済むのではないかと感じます。
補聴器を使っていても、赤手帳を持っていないから健聴者だと言われて仲間に入れてもらえず、また逆に補聴器使ってるから障害者だと言われ、やはり仲間外れにされてきたので、自分の属する場所が何処にもなくてずっと苦しんできました。
障害者にする・しないということよりも、子どもにとっての生きやすさを選ぶ道筋を決めるための選択をして欲しいと思います。
親であっても人間だから、ぶれることもあると思います。それでも、子どもの前では舵を切るべく先導者の姿を見せて欲しいです。というのも、私の母親はぶれまくって一体どうしたいのか本当に分からない人だったので。
『典子は今』という映画がありました。一人の女性がチャレンジしながら生きていく姿を追うドキュメンタリー映画ですが、彼女は生まれつき腕がありません。その映画を知り合いのご家族と私とで観に行ったのですが、帰宅して母親が泣きながら「典子さんみたいに『私、やってみる!』ってチャレンジしていきなさい!」と私に話すのですが、母親はその映画を観に行ってなくて。恐らくどなたかからあらすじ等を聞いて、私に見せるように言われて行かせたんだと思います。チャレンジと言われてもな…と思いながら始めたのは、映画で典子さんは、マンドリンを足で器用に爪弾いてらしたので、私は弟のピアニカを足で弾く練習をしてみたのです。
だから、映画を観ていない人が「あの人みたいにチャレンジしろ」とぶれた心で伝えても、本当に伝わって欲しい部分なんて伝わるわけがありません。足で字を書く練習だとか、そっちに時間を費やすのが子どもってもんでしょう。
我が子を障害者にしたくないとかを気にするよりも、視野を親子で一緒に広げて、何でもやってみたいことを失敗ありきでやらせてみる方が、何かを吸収します。少なくとも、私は振り返ってそう思います。