米内山明宏さん
知らせを聞いた時
一瞬、思考が止まった
しかし、その後
これまでの数えきれない思い出の映像が
脳裏に浮かんできた
ろう世界に
私を導いてくれたのは米内山明宏さん
米内山さんとの出会いがなかったら
きっと私はここにいないだろう
デフファミリーなのに
手話が下手だった私はたぶん
ろう世界から遠ざかっていたのかも知れない
そんな私を
米内山さんは、ろう世界の入り口で
私を引っ張ってくれた
そんな感じの言葉をかけてくださったと思うが
私にとっては
しかもデフファミリーなのに手話がたどたどしかった私にとっては
「手話がうまくなりたい!!」
と思った原動力でもあり、ろう世界にどっぷり入るきっかけにもなった。
それからは、両親やろう者たちの手話を意識して見るようになり
ろう青年部でメンバーたちと共に活動し
鹿児島に米内山さんをお招きしての講演などをたくさん開催した。
講演などで
来鹿の際の飲み会・お疲れ様会などでは
もちろん、お店の美味しい料理にいつも「うまい!」と感無量の表情を見せ
そして、その場での
米内山さんが語る蘊蓄は
手話の魅力も相まって引き込まれるものが多く
とても楽しく学ぶことが多かった
しかし
ろう文化や日本手話のこと
ろう世界の未来を語るときの米内山さんは
大きなものと対峙するような厳しい目をし
私たちに「頑張れ」と
発破をかけて奮い立たせてくれた
他にも
こちらのスタッフを引き連れて行った京都の全国ろうあ者大会では
大会前や終了後に
京都の名所や清水寺など
米内山Naviで色々教えてくれた
初めて打ち明ける話だが
NHK教育テレビ「聴覚障害者の皆さん」では
私が出版した詩集「LIFE」の
「大丈夫、元気を出して」を手話ポエムで披露してくださった
今思うと
全てが
とても貴重な時間だった
先日、やっとEテレのドキュメンタリーを見た。
この穏やかな顔と
豪快な笑い方
大陸のような大きな体と包容力
そして
生き様を謳う「手話」
米内山さんからかけられたこの言葉が
忘れられない。
米内山さんのお母様は
昭和初期の差別が激しかった頃
次のような言葉をかけていたそうだ。
それが現実となり
時代は大きく変わっていった。
今頃、ご両親に
戦果を伝えているのだろうか。
しかし、米内山さんの夢は終わりではない。
私たちが引き継いでいくことなのだ。
最後に一度
会いたかったなぁ。
いつか私も
あの空で米内山さんに「いい報告」ができるように。
米内山さん
お疲れ様でした。
また会いましょう。
しばらく会えず話せなかったことを
そして、これから起こるであろう出来事を
ろう世界に誘ってくれた米内山さんに報告したいです。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?