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Barrier

いくつかのメモを合成

 福島智。名前を知っている人はいるだろうか。
人間の中でも、すごく興味を持った人間である。1962年生まれ
東大教授 専門は障害学、バリアフリー教育、障害者福祉。
生後5ヶ月で眼病を患い、3歳で右目、9歳で左目を失う。
18歳の時突発性難聴で失聴する。見えない聞こえない世界で生きることとなる。
だが、1983年、日本で初めて盲ろう者として都立大学(現 首都大学東京)へ入学。その後、金沢大学教育学部、日本大学先端科学研究センターをへて東大教授へ。
福島教授は指点字によって人との会話をしている。
指点字については見てもらったほうがわかりやすいと思うが、
耳代わりの人(代筆ならぬ代聴?)が隣にいて、点字のタイプライターの要領で福島さんの指を隣にいる耳代わりの人が叩く。

 「指点字が生まれるまで」:基調講演その1

なかなかアクティブな人で趣味はピアノだという。彼は自己が感知できない次元を楽しんでいる。これはかなり高次元な趣味趣向だと思う。
障害というのは社会が決定するもので、産業革命以降、社会は大量生産可能な均質な労働力を求めた教育、文化が生まれ、法的にも障害者という概念が生まれたという。福島教授は大学に入学した際に、メディアに取り上げられたが、受け入れてくれる下宿先がなくて大変困ったという。

彼のいう障害を取り巻く障害(バリア)を取り除きたいというのはわかりやすい説明だと思う。とても陽気なおっちゃんで是非動画等で福島さんの話しぶりを見てほしい。価値観が揺さぶられる。

しかし、五感の一部が無いということはそれが十分に獲得した感性のようにも感じる。なんと説明したら良いか...伝えにくいのだが見えないことが日常的で有るがゆえに見えないものまで見せられるそういった感覚。

福島教授の語る会話について、会話は同時並行的なレスポンスが大事であると語っている。
『たとえ、耳が聞こえない人間がいたとして健常者と紙に文字で書いて筆談したとしてもそれは筆談であって会話ではない。何故、手話が生まれたのか?というのはその部分が大きい。私の場合は耳も目も見えない。そういう人間が会話をするためにはどうしても指点字が必要であった。今までできなかった喧嘩が母親とできるようになった。友人も指点字を覚えてくれて話すようになった。そこから暗い闇は晴れ光が見えた。』と

 盲目のゲーマー Terry Garrett
ニンテンドウ64の名作『ゼルダの伝説 時のオカリナ』映像内ではダンジョンの壁を斬りつけ、効果音で現在位置を把握する様子も見える。Garrett氏はモニターを直接視認することができないため、左右に配置したスピーカーを頼りにゲームを進めているのだと、また2011年からプレイを始め約4年半の月日をかけて壁を叩いてクリア。
https://youtu.be/nmmqarQRSSE

 考えると目隠しをして感覚を使えない状態にする、いわゆる縛りプレイというのがあるがそれに近い現象と捉えている。それは、感覚を一つ抑圧することでできる新たな体験とも言いかえてもいいし、それを見ている側にも、プレイしている側にも起こりうる発見、遭遇である。

 例えば、「今日一日左手を使わないでください。」と言われると途端に日常生活に支障が出る。缶のプルタブを開ける。ドアノブを握る。何かを抑える。ちょっとした動作にん?と悩む。何かを抑え込むことで新たな感覚を手に入れる。

障害というバリアは環境にあるのではない。バリアは常に自身の感覚から潜在的に沸き起こる無意識の心の所作なのだと僕はそう考える。

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