見出し画像

ティッシュ配り

 秋も終わりになろうという寒さ厳しい十一月の中頃、一人の男がバイトにやってきた。
そのバイトはティッシュ配りの監視をするバイト。ちなみにこの監視するバイトを俗称で「カラス」というそうだ。
 男は大学1一年生。まだ社会も知らぬ、そしてバイトの経験もない若者がひとり、カラスの群れにふっと吸い込まれた。
 面接もサクサクと終わり、次の日からこの監視業務を開始する。さしあたって、この業務を説明するのにベテランの監視が一人ついた。

人もまばらな早朝の駅前。
「よろしく、今回、君に業務を教える。高橋だ。」
「はい。よろしくおねがいします。」
カラスは書類を見て履歴書と顔を確認して、白鳥の目鼻の位置を、バランスを見た。
「白鳥 隆 くん。19歳。学生だね。」
「はい。そうです。」
そうして、この白鳥という見習いとカラスの高橋のティッシュ配り監視業務が開始される。

朝七時、車内。
「彼が今回監視するティッシュ配りのバイトだよ。このバイトは歩合給だから大体一日で1000個配ると一万円ぐらいになるかな?」
「1000個ですか…相当ありますね。」
「でもねぇ…この『ひまわり通り』は朝のラッシュアワーでもせいぜい歩いていて200人程度、その中でティッシュを受け取るとなると厳しいだろうね。」
「はぁ…気になったのですが、聞いていいですか?」
「何かい?」
「1000個も配るのになんで手持ちのカゴ一つだけなんです?せいぜい100個入っていて、精一杯。」
「ああ、最初から配れないことはわかっているからね。無駄に持ち歩かないのが鉄則だよ。雨の日に濡れたりしたら元も子もないから。」
「では残りの900個は?」
「近くにうちの車がある。そこにダンボールで入っているよ。」
「なるほど。」

このティッシュ配り、もう二時間やっても50個も配れていない。せっせと渡すが数えても30個ほどだ。しかし、配る彼は何事もなく、さぞ当たり前かのように自販機で缶コーヒーを買って暖を取っている。

「あれはサボっていることにはなりませんか?」
「いいや、ならないねぇ…ズルをして持ち帰っていないか、捨ててないか、を監視する業務…だからね。最悪、一個も配らずに事務所に戻っても全く問題ない。でも、バイト代は0円だけどね。」
「なるほど。」

ティッシュ配りは朝のラッシュが終わり九時にもなると、もはや休憩時間のほうが多くなっている。立っている時間よりも座っている時間のほうが長い。

カラスはタバコに火をつけて、こちらに目線を合わさずに話し始めた。
「実はね、カラスを監視する業務っていうのもあるんだよ。」
「カラスを監視ですか?ティッシュ配りの監視をしているかどうか監視するヤツがいるってことですか?」
「そうそう。」
白鳥は周りをキョロキョロして、携帯を見て黙って立っているスニーカーにスーツの二人組の男や、やけにラフな格好をして道端に座っているおじいちゃんや、平日の昼間に一人でお出かけ模様の御婦人やらを眺め見た。
「無理だよ、こっちからは見えないところにいるよ。」
タバコを車の灰皿に押し込んで、窓を更に開けて、上を指差した。
「え?」
「ビルとか、高いところからこの通りを見ている。」
白鳥は目を細め、上を見上げたが彼の視力では難しい。

「さて、我々も休憩に入ろうか。」
「休憩ですか?」
「君はティッシュを捨てないか見ていてくれ。コーヒーでも買ってくるよ。君は何がいい?」
「あ、お茶でおねがいします。」

帰ってきたカラスは首をかしげながら缶を2つ持ってきた。
「あそこの自販機。暖かい紅茶も、緑茶もなくて…アイスティーしかなかったけどいいかな?ま、そのうちぬるくなるよ。」
「あ…」
 白鳥はなにか、カラスの高橋の性格を察した。
寒空の車内、カラスは甘ったるい暖かいコーヒーを飲み。白鳥はアイスティーがぬるくなるまで待った。

「十時になったら、休憩終わり。」
「なぜですか?」
「見ていればわかる。」
すると、ティッシュ配りはおもむろに時間を確認して200個ほどティッシュといくつかの小さなカゴを持って駅へと向かった。その道中に10個ほどティッシュを配りながら。

「どこへ行くのですか?」
「ああ、たぶんこれから開店する喫茶店やら、雑貨屋さん、コンビニだよ。」
「店に置くってことですか。なるほど。」
「勘がいいねぇ。やりますねぇ。」

ティッシュ配りはいくつかの店に20個ほど置いて、次の店へ。だいたい15件の店に置いてきた。
15件 × 20個 = 計 300個のティッシュ
朝のラッシュで100個、ここで300個。計400個、残り600個ほど。
白鳥は頭の中でざっと計算したが、この倍のティッシュを配るなんて無謀に思えた。
「しかし、ここでも半分いっていませんね…」
「そうね。」
カラスの先輩は余裕そうに、携帯を眺めながら答えた。

十二時前、お昼時。また休むことが多かったティッシュ配りは車に戻り300個ほどのティッシュを持ってスタスタ歩き出した。

「ここから稼ぎ時だね。」
「なぜですか?」
「近くにラーメン屋がある。飯にしようか?」
「監視はいいんですか?」
「問題ないよ。」

ラーメン屋の前に着いた。ティッシュ配りも、カラスも白鳥も三人共みんなラーメン屋に着いた。
カラスと白鳥はカウンターに座り、ティッシュ配りは外でせっせと配っていた。
「さぁ、ここは大盛りの辛味噌ラーメンのおいしいお店だ。辛いのは大丈夫かい?」
「ええ、嫌いではないです。」
「おじさん。辛味噌大盛り2つ。1つはネギ多め。」
「あいよ。」
「大丈夫、今回は俺が奢るよ。」

ねじり鉢巻をした店主は白髪交じりの人で黙々とラーメンを作っていた。
水もセルフサービスで基本この店はこの店主と、40歳ぐらいのバイトで運営されている。

「監視は?」
「監視?見たきゃ、ほら、外を見ながらラーメン食えばいいだろ。ここは混むから、さっさとラーメン食えよ。」
「ええ…」

ラーメンがきた。赤々としたスープにひき肉とチャーシュー。味噌と唐辛子の香りが鼻をくすぐる。店内は唐辛子の香りと人と、湯気で湿度が一気にあがり、店のガラスの窓と扉にはスモークがかかった。肝心の監視対象のティッシュ配りを曇りガラスでは確認できない。

「あの…ズルズル…見えませんけど?」
「ん?黙って食え。」

ほぼ、完食しかけたとき、白鳥は気がついたのだ。
これだけラーメンを食ったら、鼻水もなんだったら汗も出て、ティッシュがほしい。
しかし、この店、ティッシュ箱がない。周りを見回してもティッシュ箱はない。

ズルズルズル…

麺をすする音ではない。鼻をかむ音が右後方からした。振り向くと、席に座っているサラリーマンがあのポケットティッシュを持っている。

カラスも鼻の頭の汗と鼻水を例のティッシュを出して拭き取り、鼻をかんだ。
「こういう時、このバイトしていてよかったなぁってホント思うよ。なんだ?ティッシュ持ってないのか?ほら外に出てごらんよ。ティッシュもらえるよ。」

白鳥はいささか苛立ったが出るものは出る。カラスが会計をしている間にティッシュ配りからティッシュをもらった。

ティッシュ配りは言った。
「あんた、この店、初めてだね。だめだよ。持っていかないと。特にこう寒い日は。」
「あ、すいません。」

 監視する側と監視される対象が初めてコンタクトを取った瞬間である。その気まずさは浮気相手に出くわすことなど到底経験したことはないものの、白鳥にとってはそれに近いものなのだろうと感じられた。

白鳥とカラスは店を出る。カラスは何気なくティッシュ配りからティッシュを貰い補充した。

「どうだい?彼のティッシュ配りのノウハウは素晴らしいものだろう?」
「どうやってティッシュがほしいのか?ということを考え抜かれていますね。」
「まぁ、こっちは監視だけどさ。見習わないと。」
「ところで、あと何個ぐらいでしょうか?」
「ここで渡してもせいぜい、100個もいかないだろうね。」
「では、残り半分ちょっとで550個でしょうか?」
「まぁそんなもんさ。」
カラスは歯に挟まったネギを取り、また鼻をかんだ。

路地を曲がりまた車内に戻った。定位位置に車を回す。
「気になったことを聞いていいですか?」
「『彼がいつからティッシュ配りをしていますか?』っていう質問か?」
「はい。その通りです。」
「先々週の火曜日からかな?」
「にしては随分、手際が良いですね。」
「そうかい?たまに2000個配るツワモノもいるよ。」
「2000ですか!?ティッシュ食っているんですかね?」
「ホント…そう思うよ…」

午後一時
カラスは座席を思いっきり倒して、腕を組んで寝る体制に入った。
「腹もいっぱいで眠いな。ちょっと見といて、少し昼寝する。」
「はい。」
車内では寝息だけが音を支配し、白鳥もうとうとしながらティッシュ配りを眺めた。
ここまででせいぜい配って、20個もいかない。

午後二時
カラスは起きた。タバコに火をつけて、窓の外を見て驚いたようにタバコを咥えるのと同時にティッシュ配りを二度見して、首が前に出た。
「ん?なんだ、まだ配っているのか。今日に限って。」
「コーヒーを買ってきましょうか?」
「悪いね。あ、小銭50円しかないや。これで」
「あ、いいですよ。ラーメンごちそうになりましたし。」

白鳥が車内に戻ると、カラスは時計を気にしていた。
「またこれからどこかに行くんですか?」
「ああ、そろそろ…」

午後三時前
ティッシュ配りは残りのすべてのティッシュを持って歩きはじめた。白鳥がざっと見積もっても400個は入っている。
「動きましたよ。」
「やっとか…」
車のエンジンを回してティッシュ配りを追い抜いた。

市役所近くの公園に着いた。公園には子供が遊んでいたり、老人が犬の散歩をいていたり、走っている男もいる。

「ここで配るんですか?」
「厳密には…配ってないんだけどねぇ。」

しばらくするとダンボールを持ったティッシュ配りはベンチに腰掛け、箱を横に置き、今日5本目の缶コーヒーを飲み始めた。
10分もすると、ベンチに寝転がり、完全に動かない。
「これは?」
「まぁ…見てなさい…」

公園内にいる一人の主婦がティッシュ配りに話しかけて来た。何を話しているのかは白鳥にはわからないが、ティッシュを2つ渡した。また、違う年配の女性が話しかけて来て今度は3つ持っていった。次は犬の散歩をしているおじいさんがまた1つ。次は子供がティッシュを貰いにきた。この30分でもう20個もティッシュを配ったことになる。

「これは?」
カラスが目をこすりながら言った。
「ここの公園のトイレにはティッシュがない。だからあのティッシュ配りはトイレの少し離れたベンチに腰掛けて待っている。しかも、あのダンボールにはデカデカとポケットティッシュと書いてある。どうだ?トイレに行こうとしてティッシュがほしいだろ?男はまだしも女ならなおさらだ。需要と供給。資本主義バンザイってわけ。」

午後四時半 残り約300個。
ティッシュ配りは厚着をしているとはいえ、そろそろ寒さにも耐えかねて伸びを一つ、沈む夕日を眺めて、携帯で電話をした。すると、車内の携帯が鳴り始めた。
「おっと、もう終わりか。」
カラスは電話に出ずに、着信を止めた。
「出なくていいんですか?」
「いい。これが合図だ。もし、電話に出るときは見えないところで監視対象が確認できない時だ。」
「何故、まだ余っているティッシュを配らずに終わるんですか?」
「全部配れないことがわかっているからさ。最初に言ったように歩合制だよ。できないことを一生懸命やったってお金はついてこないからね。能力に見合った労働をするってこと。
共産主義、バンザイ。」

「しかし、先輩。こんなに並木もいっぱいあるところでカラスを監視する人って見えているんですか?」
白鳥は夕日に顔をしかめながら上を見上げた。カラスはおや?という表情をしていた。
目を開いて、二、三回無言でうなずいた。
「ああ、そうか。さっきカラスを監視する人がいるって言っていたね。」
「え、嘘なんですか?それ?」
「いることは…いるんだ。」
「だから、どこに?」
今日一日で初めて白鳥は若者らしくタメ口で話した。
「君の一番近くにいるよ。」

午後五時、事務所。
白鳥は初めてこの事務所に来た。高く積み上げられた箱の中はすべてティッシュ、ティッシュ、ティッシュ!YES!
箱ティッシュとは元来このことを指した言葉ではないかと白鳥は思った。
ダンボール箱を見ると昼用、夜用と紫のマジックで書かれていた。
「なんですか?このナプキンの広告みたいなのは?」
カラスは屈んで2つの箱からティッシュを取り出した。同時に「よっこいしょ」という声も出た。
「こっちは昼間に渡す広告。水道屋やら、居酒屋やら、不動産の広告が裏に挟まっている。
こっちは夜に渡すやつだ。桃色係長やらパイレンジャーやらと書かれたモノ。いかがわしい広告が書いてある。わかった?」
「なるほど。」

カラスはダンボールの森を抜けた先にある古代遺跡みたいなデスクに向かった。2メートルほどで見失い。声だけ聞こえた。
「今日の給料払うよー。」
「あっ、はい。」
「封筒は適当だけど、中身は正真正銘の紙幣が入っているよ。」
カラスは白鳥の右肩を叩き、封筒を渡した。少しシワのある封筒には『山椒銀行』と印字されていた。エコなのか、無精なのか、わからずに白鳥はお金を受け取った。
「中身、見てご覧よ。」
カラスはガムを口に放り込む。中には五千円札が入っていた。
「今日の給料。どう?続けられそうかい?」
「はい。がんばります!」
「いいねぇ。」
初めて白鳥は労働による対価を得た。貨幣経済バンザイ。
「次は、来週の月曜にやろうか。大丈夫かい?」
「あ、月曜日は…」
「じゃあ火曜。」
「火曜は何もないので、大丈夫です。」
「来週は車使えないから、厚着して来てね。」
「はい、よろしくおねがいします。」

火曜日 早朝
一応、場所は前回と同じ駅前の『ひまわり通り』白鳥はこれから八甲田山に行軍に行くかのような厚着をした。ここは朝に無性に冷える。
待ち合わせの時間は前回より三十分早かった。白鳥の電話が鳴る。高校生の時分、吹奏楽部だった彼の着信音は2001年宇宙の旅のイントロで、デデドン、デデドンというティンパニーの音で電話が鳴る。
白鳥はティンパニー奏者だったのだ。携帯からのティンパニーは流麗に、かつ、朝の革靴の靴音に合わせ、それはまるで調和そのもの。カラスからの電話だ。
「はい、もしもし。」
「おはよう。白鳥くん。君からは見えないけど、君が見える位置にいるよ。」
「はい…」
寝ぼけた白鳥は寝癖のアンテナに触れ、芝生を撫でるようにした。そして、気がついた。
「あ… と、言うと…」
「そう、勘のいい君なら…まぁ一応説明するよ。前回のティッシュ配りを思い出してごらん。カゴと1000個のティッシュが車に入っている。場所はわかるよね。」
「なるほど。」
「じゃあ、俺はこれから監視を監視する”業務”に入るから。」

監視業務…白鳥は頭の中でつぶやいた。電線に止まったカラスが四分音符のように見えた。
電線に止まったカラスに見とれ、その音符をたどたどしく、鼻歌で奏でた。白く息が舞う。白鳥はそのメロディーがボレロになっていることに気が付き、歩き出した。車を開け、カゴを持ち、ティッシュを入れた。首いっぱいにファスナーを締め、十字架にキスをするみたいにファスナーにキスを一つした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?