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人気がお金に変わる時代に感じた生きづらさに関して

Twitter収益化という言葉がトレンドに乗っているのを見て、近年のインターネットに対する生きづらさを感じたのでnoteで記事にして整理しようと思う。

まず、自分が感じた生きづらさというのは、近年のインターネットの"インプレッション数=お金"という流れに起因する。なぜその二つがつながるのか。それは有名さ、つまり何かしらの才能を持つ人への自分の劣等感がより強くなったからである。

自分は世間的に見て平凡かそれ以下の人間だ。とびぬけた一芸やユーモア、コミュニケーション能力などはないし、友達もあまり多くない。そんな中、インターネットでは様々な才能を持った人が自分の得意なことを披露して人に注目されている。もちろん、何かしらの特技や特性を持った人が注目されるというのは現実と同じだし、何もそこに文句を言うつもりはない。

では、何が自分の劣等感を強まらせたか。それは、ずばり金である。現実では彼らの特技はあくまで「人気、注目」に収まっていた。だから、自分は羨ましいなぁと思う程度で済んでいたのだ。しかし、YouTubeやinstagram、TikTokがそれらを「お金」に変えてしまった(後者二つは商品の宣伝依頼などによる間接的な収益ではあるが)。

自分の劣等感が羨ましいで済んでいたのは、人気であることがあくまで精神的なメリットしか及ぼさなかったからである。才能からくる人望の差がお金という現実的なメリットに代わってしまったら、自分は精神面でも金銭という実生活的な面でも相対的に劣っていることになる。そうなると、いよいよ平凡かそれ以下の人間である自分が存在する意味がわからない。

今まで直接的には金銭にはかかわっていなかったTwitterのフォロワーまでもが収益に変わるということで、軽く発狂しかけたので文章にまとめた次第である。インターネットが、学歴や勉強など以外の面でも生きていける機会を人々にもたらしたのは素晴らしいことだ思う。ただ、結局勉強もそれ以外も秀でていない自分のような人種は確実に存在するわけで、何かを持っている人との差はこれからも開いていくばかりだと思うと中々につらい。

最後に一つ明確にしておくが、自分は才能が収益につながることを批判したいとは一切思っていない。むしろ先述したように、勉学やビジネス的な意味での優秀さとは別の面で、クリエイターが評価されるというのは素晴らしいことだと思う。またさんざん劣等感などと文中では述べているが、彼らに対して憎悪があるとかでは全くないのであしからず。

※この精神的な問題とは全く別に、現状のTwitterで今の運営がアナウンスしている簡単な条件で収益化を実施してしまったら、エロ垢や詐欺まがいのビジネスアカウントが増殖して社会的に治安が低下するのではないかというまじめな懸念もある(大げさかもしれないが)。こっちはこっちで一つ記事を書けるくらい言いたいことはあるが、それはいずれ。

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