旋風が残したもの
最近ずっと考えている
映画「ボヘミアンラプソディ」は、わたしになにを残したのか
なにがわたしを揺さぶったのか、ほんとうの理由はなにか
同じ映画を何度も観に行くのは、生まれて初めてだった。あるときは休日に早起きして。仕事が早く終わりそうな日の昼休みは、社員食堂で場所や時間を調べて仕事帰りに。雨の日も気にせずに。そして、行ったことがない場所にある映画館まで、地図を見て特急電車に乗って。休日が近づくと映画館を調べる。そんな日が半年以上、続いた
この半年間、出不精なわたしになにが起きていたのか。生まれて初めての経験は、大人になると少なくなる。そんな貴重なできごとについて、映画公開から一年を迎えた今、綴ってみたくなった
映画の内容やQUEENの楽曲、メンバーや俳優のすばらしさについては、他でいくらでも語られているので割愛する。ここでは、ある場面について綴ろうと思う
フレディがポールと決別する、雨の夜。バンドから離れて、ポールとともに逸脱した生活を送っていたフレディに、盟友であるメアリーは言った
「私もバンドメンバーも、みんなあなたの家族よ。あなたは愛されている。それで充分でしょう。ここにいてはダメ。戻って。家に」
フレディはこのとき、自分が本来持っていた強さを思い出した。メアリーの言葉で正気に戻ったフレディは、引き留めようとするポールに言い放った
「写真流出でも暴露でも好きにしろ。その代わり、二度とその顔を見せるな」
人は孤独が怖くなると、手軽で聞こえがいいものや、きらびやかな方へ吸い寄せられてしまう。一方で、きらびやかな方に近づくほど、追いやったはずの闇が追いかけてくる。闇を恐れて、また明るい方へ行ってしまう。それが気休めでしかないとわかっていても。
誰にでもそんな経験があるのではないだろうか。そんな時間を経て、やがて気がつく。追いやったつもりになっていた闇も自分なのだと。自分は他の誰にもなれないのだと
話を戻そう。追いやったはずの闇が明るみに出ることを恐れていたフレディは、闇を受け入れ、地に足をつけてバンドとともにふたたび歩みはじめる
この場面を見ると、わたしはいつも、どこかで聞いた言葉を思い出す。「嫌われたくない。自分をよく見せたい。そんな思い込みから解放されたとき、人はほんとうに自由になれる」
あの映画のなにがわたしを揺さぶったのか。それは、隠したい自分から解放され、自由を手にしたフレディ・マーキュリーの姿だったのだ
長くなってしまった。そろそろ締めくくろうと思う
わたしは、映画ボヘミアンラプソディが起こした旋風を、通りすぎたたけの旋風で終わらせたくなかった。熱狂しただけの映画にしたくはなかった
その旋風は、なにを言われようと自分の才能を信じ、どんな過去を抱えようと、なりたい自分に向かっていく人間の姿をわたしに残した
「俺が何者であるかは俺が決める」という言葉とともに。
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