QUEENと出会った日
ウィルスによる脅威にさらされる日が続く。私は毎日QUEENを見て聴いて、脳内ライブエイドを開催して気分転換している。QUEENを知らなかった頃の私が、今の外出自粛生活を送っていたら? .....ちょっと想像できない
そんなことを考えていたら、初めてボヘミアンラプソディを見たあの日を思い出した
遡ること1年前。2019年1月下旬、仕事を終えた私はロッカーにて帰る準備をしていた。そのとき、近くのロッカーで同じく帰ろうとしていた同僚から話しかけられた。「昨日、休みだったから映画館でボヘミアンラプソディ観たんだ。結構よかった」 いつも落ち着いた口調の同僚が、珍しく少し興奮している様子だった
ふーん、ボヘミアンラプソディ....。放浪の詩....? 聞いたことはある。私が聞いたことあるくらいだから、その映画は相当流行っているんだろうな。近いうちに観に行ってみよう。というわけで観に行った。軽い気持ちで。ふつうの映画を見る気分で。映画泥棒のダンス相変わらずキレキレだなーなんて思いながら。
そして2時間13分後。映画は終わり、予定調和に満ちた私の毎日も同時に幕を下ろした
これほどのバンドと音楽が存在していたことを知らず、今まで私は一体なにをして生きてきたのかとショックを受けた。アメリカ大陸を発見したコロンブスはこんな気分だったのだろうか。水や火を見つけた原始人はこんな感覚だったのか....。
こうして私のQUEEN生活は開幕した。時間を見つけてはQUEENについて調べ、音楽を聴き、ジョンさんを凝視し、ジョンさんのベースに耳を澄ませた。あと何回、映画館で観られるのだろう。上映には期限があるからできるだけ観よう。限りある生命を花火のように燃やしたフレディ・マーキュリー氏のように、私もやりたいことはできるときに、ためらわずやる。今がそのときだ。そう思いながら映画館へ通った。ここまでが2019年までの話し。
そして2020年になった。正体不明の病によって、私たちの生活は一変した。映画館を含む娯楽施設は使用が制限され、スポーツやお祭り、イベントは街から消えた。電車に乗って出かけたり、人と話したりするときはいちいち緊張感が生じるようになった。今まで気軽にできていたことは、できなくなった
2019年のあいだに映画館に通っておいて本当によかった。私がボヘミアンラプソディから得た教訓 ーできるときに、ためらわずー その意味の重さを今、実感している。やりたいことをできるときは、私が思っているより少なかったのだ。今回のような疫病や社会情勢、体力、経済、家庭環境などによって当たり前だった生活は揺らぎ、「できるとき」は、いとも簡単に消えてしまう
さて。冒頭に綴った、ボヘミアンラプソディを教えてくれた同僚は、私が通勤用に使っているバッグを見て「私より夢中になったんだね」と笑った
私の通勤バッグにはQUEENの缶バッチがついている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?