見出し画像

「ズートピア」評 ~来たるべきリベラルズートピア~

 2023年1月に行われた映画のイベント用に書いた文章です。
記録の為に挙げておきます。

 ズートピアの世界観は私たち人間の世界のアレゴリー(寓話)として描かれています。偏見に基づくカテゴライズで差異を作り出し、差別によって共通の敵を作り連帯する現象は米国前大統領ドナルド・トランプを例に現在世界で様々に見られるポピュリズムそのものです。
一方そのような現実への反発として、いま文化や社会はより正しく平等な世界を求めています。ズートピアはまさしくユートピアの造語ですが、作中のユートピアは“リベラル”ユートピアとして描かれています。差別や偏見の無い、平等で皆が共存できる場所、それがリベラルユートピアです。
普段私たちの多くも差別は良くないという「正しさ」を漠然と求めつつ、実際はなかなかその複雑さに尻込みし、おおやけには口をつぐんでしまうこと人も多いでしょう。しかし中には高いモチベーションをもち、自分の正しさを信じ、社会を良くするために実践している人もいるかもしれません、本作のジュディのように。
 ズートピアの物語を通して、私たちはジュディから多くのことを学ぶことができます。彼女は過去に偏見による差別を受け、それがきっかけとなり、世界を変えるため(正すため)にウサギ初の警察官として挑戦します。その姿は勇敢で前向きであり、勧善懲悪を目指す主人公のように堂々とした姿です。しかし差別の被害者であるジュディでさえ、ルッキズム、職業差別、種差別など様々な偏見を持ってしまうことから逃れられません。これは現代に生きるどのような主体であれ、正しく生きることの困難さと複雑さを描いています。
 私たちはジュディの間違いを通して自分達の偏見を発見します。ミスタービッグは大きなシロクマだと思っていたし、肉食動物は暴力的だと決めつけていました(それが生物学的な実態と信じて)。そして物語のラスト、ジュディの成長の物語を通して彼女と一緒にリベラルで正しい目線を手に入れたと錯覚した私たちの足元をすくうのは、超高速で走行するナマケモノの姿です。
 こうして私たちは間違いに間違いを重ねてしまうかもしれません。しかしこの間違いを恐れてはいけません。ジュディは言います「何度でもトライ」と。困難さを前に我々はただ言葉を失い立ち尽くすのではなく、自分を変え相手をも変えるためにトライし続け、間違ったときはしっかりとその過ちを自覚し何が悪かったのかを反省し言葉で謝罪する、その繰り返しのなかで、自分も、他人も、そして世界を少しずつ変えていくことしかできません。
 自分こそは正しいという慢心、これで十分だという満足、正しさなんて無理だという諦め、そういったあらゆる停滞や思考停止から抜け出し、挑戦と失敗、反省と問い直しの過程の中に正しさを育てていく。複雑で困難な問題に自分自身を開き、究極の理想としての“来たるべきリベラルユートピア”に向けて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?