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続・映画「カラオケ行こ!」、計6回見に行く人間の感想


前回感想を書いた時から実はまだ見に行けてないので、原作を読み返したりしながら思い出したことなどの羅列です。短期間に3回も同じ映画を見に行くと流石に脳内上映がしやすくなる。少し記憶違いなどあったらすいません。
まだ「自分が映画本編を見て感じたことの情報のみを噛み締めたい」のターンなので、基本的には映画本編・原作(カラオケ行こ!単行本、ファミレス行こ。上巻)から得られるもののみを得た状態です。パンフレットは買いました。まだ開いていません。他の冊子類も手にしたいと思いつつ、果たして読むのはいつになるのか。
知ってしまったらもう知らない頃には戻れないので、今はまだ スクリーンの裏を覗く勇気がありません。それでも、知ったあとだからこその楽しみも逃したくないのでどうか良いタイミングを掴みたい。



・最初にカラオケ行った時には名刺も自分では受け取らず名前も教えない聡実くん、部屋を出て何も情報を与えないまま多分どうにか逃げ切って一瞬の悪い夢で終わらせようとしていただろうに 傘を忘れたせいで再会せざるを得なくなったり、バイブル押し付けて誤魔化したせいで名前を知られてしまったり、そういう……細かな部分でどんどん逃げられなくなっていて、嗚呼……(様々な感情)になるな。(でも大前提として学校を知られているのでその時点でもう詰みの感じはする。)
 連絡先を交換してなかったからこそ校門前で傘を差すなんてことをしてたり偶然会うのがすごいことだったりしていたのに、バイブル&音叉の日の帰りには「家着いたらLINEして」になってるの、明確な連絡先交換のシーンが無いにも関わらず「今日交換したんだな」とこちらが分かるような流れになっているの、好きだ。

・校門前の傘の時、待っていてください と言って校舎に戻ろうとする聡実くんに対してその前にちゃんと傘を返してあげる狂児が好きだ。そのまま帰ってこないかもしれない(人質的な役割を持つ傘を先に返してしまったから)のに、ちゃんと返してあげている。でも帰って来なかったら普通に部活終わって出てくるまで全然待ったのだろうけど。
 なんだかんだ言って、聡実くんが本気で逃げよう離れようと思えばいくらでも逃げる方法はあったんだろうし(少なくとも映画版の印象の狂児なら、かつまだ出会ったばかりの頃なら)流石に逃がしてくれただろうし、それでも そうではなかったからこそそこに物語が発生したんだな。少なくともこの傘の時とかはまだ逃げる道もあったと思うけど(←と書いた後に思い出しましたが「合唱部の練習見せてもらおうかな」とか普通にヤバいこと言ってたな)、もう大集合カラオケの帰りに「もう無理です」て言われた時点では それを受け止めた上でなお音叉の報告をしてくるあたり完全に縁と情が生じてしまっていて……。その上、狂児とまたカラオケに行くということが合唱から一度顔を背ける聡実くんにとってのひとつの居場所になってしまうあたり、ピースのはまる音が聞こえる。

・「木村先生いつ帰ってくるんやろか」のくだりで「多分これまで主に指導してくれていた先生が今離れていて、それ故に前の様な成績を保つことが出来ていない」という状況が自然と示されているのが凄い。そもそもまず「これまで何度も金賞をとったり全国行ったりしていた、今回のコンクールでそれが叶わなかった」という部分も映画オリジナルか。
 序盤のももちゃん先生の忘れたトロフィーを取りに行くシーンの聡実くんの「僕の方がここ慣れてます」で少なくとも「ももちゃん先生は最近合唱部に関わり始めた先生なのかなあ」「岡くんは前から合唱でこういう所来てたんだなあ(中学前から合唱やってたんだろうか…)」などが、不自然な観客向けの説明とかでなく それでいてしっかりと伝わってくるのも凄い。

・映画が初見だった分映画への思い入れがかなりデカいのだけれども、今原作を改めて1から読み返したら 空港のシーン、かなり好きだな……になった。映画のラストの右腕になにも説明がなく、ただ一瞬見せるだけで全てをこちらに伝えてくる瞬間に本当に心震えるのだけれど、原作ラストの空港でのやりとりではそれがきちんと説明されるぶん、説明している狂児、話を聞く聡実くん、から感じられるものがあまりにも大きくあって好きだ……。

・映画版だと聡実くんが特に感情的に描かれていると思うし、自分の人生の中のたった約1ヶ月に刻み込まれた成田狂児という存在がこれからもかけがえのない(という言葉を選ぶと些か綺麗すぎるが、それでもこう言いたい)熱として心のどこかに在り続けると思うのだけど、彼にも数年後に これからの明るい未来のために、地獄行きの右腕に刻まれた名前を消そうとする日が来るのかもしれないと思うと、非常に苦しい気持ちになる。
 大人にならないでくれ、聡実くん。でも己の小ささと狂児との世界の違いにムカついて時計を煮込んでくれ、聡実くん。
 映画での聡実くんだったら拭いきれない影の付きまとう未来をそれでも選んでしまうかもしれない(天国なんかに住んだりしない……)という印象があるけれど、どうなるのだろうな。ファミレス行こ。の映画化も期待したいのは勿論だけれど、映画版の彼らにファミレスの未来が訪れるのかどうかはまだ分からない気がする。でもその場合も、今回 映画だからこそのカラオケ行こ!が描かれたのと同じように、映画版の彼らの為に描かれるファミレスの未来があるのかもしれない。

・本当に前情報が無い状態(SNSでなんかめっちゃいい映画化らしいという評判だけ見かけた)ので、エンディングでLittle Glee Monsterの紅が流れ始めた瞬間全身巨大感動人間になってしまった。この映画だからこそ聞ける/意味を持つ紅だ……。
 聡実くんの紅の余韻が残り続ける中で、他の曲で塗り替えずに同じ紅を、それでいて印象が被らずに作中の紅を上書きしない…作品にそっと添えるエンディング曲として、かつ作品を見終わった感動と重なる音の気持ちよさや美しさで……そういう終わり方だったのが、本当に嬉しかった……。

・エンドクレジット、当たり前だけど「刺青」の欄があるのめちゃくちゃ面白くなってしまった。合唱経験のある知人がエンドクレジットに出てくる学校を見ながら「知ってる、合唱強いところだ」となっていたらしく、そういう面白さもあるのいいなあとなった。

・最初の組長の刺青の恐ろしさを説明する時のペンをわざわざとって聡実くんの左腕につんつんするやつとか、化け猫だから怖くなくて良かったなあ良かったなあってのところで肩叩くやつとか、まだド初対面の相手に対して軽々しいスキンシップをしてくる距離感の圧、成田狂児という人間の表現としてすご……になる。

・それとはまた別の話になるけど最後の狂児生きとるやんけの所で唖然とする聡実くんに対して「聡実くん?」で口の少し下から鎖骨の辺りをつんつんするやつ ←申し訳ないけど普通にセクシーが過ぎる(口の下て)
 そこからのガッツリ目を合わせた状態での「聡実くんを置いて死なれへんもんなあ……」 何を見せられてるんですか?我々は…… このシーンそりゃもうあの普通に大好きで震えるんですけどなんかちょっとセクシーが過ぎるからやや気まずさすら勝手に覚えてしまう ヤクザの皆さんもあんなお守りもろくに見えないようなアングルでなんか二人でやってて皆さん何を見せられてるんですか?本当に……

・鎮魂歌のことレクイエムって読まない人初めて見たからめちゃくちゃ良いシーンなのに毎回「鎮魂歌」のワードの新鮮さに不思議な気持ちになる レクイエムだったらそれはそれでおもろいな……

・聡実くんブチギレ後の、狂児が学校前から車を走らせるのを後ろから見る構図、その直後のカラオケ前事故で直接的な「成田狂児の車です」という説明を省いてもきちんと「わかってしまう」様な意図を感じてす〜ごい……になる(車のナンバーが充分見えるところとか…) という事を初見後に友人と話したら「去っていく車の描写でもう会えないことを感じた」と言っていたので、それも分かるし、なんかもう……込められたものが すご〜い………ずっと……
 原作で割と全てがはっきり言葉で言われるのに対して映画では言葉なしに見せてくるシーンが多いなと思うのだけど、この事故のシーンとかも特にそうで、その対比がすごく面白いしどちらも大好き。
 落ちてる音叉から狂児が事故に巻き込まれていることに確信を得てしまった中で、そのままバスに乗って会場に着いて皆と合流し本番前の練習まで至る、ここまで来てしまっている所に 聡実くんの受けたショックの大きさがありありと出ていて 嗚呼……になる……。「歌えない」「頑張れそうにない」に辿り着くことすら長い時間が必要で……。一向に繋がらない電話をかけながら何も言えないままただ駆けていくのもまた言葉ではない表現で、映画版らしさを感じる。

・原作と映画の違いでいうと、出会いの日の狂児の紅を聴きながらチャーハン食べる聡実くんもそうだな〜と思う。映画初見時、しれっとチャーハン食べてる聡実くんでめちゃくちゃウケてしまったのが今でも濃い記憶だし何度観てもおもろい。原作読んだ時、逆に頼むシーンがあって食べるシーンが無いことにびっくりした。どっちもおもろい。
 音の情報がある映画という表現故に狂児の紅の邪魔をしない形なのかなと思うと、映画と漫画の媒体としての表現の力の違いを感じて面白い。漫画だと狂児の紅も聡実くんの注文も上書きされることが無い(音の情報と違って同じ空間にありながら重ならない)から「興味なさげにチャーハンを注文している」のが明確に伝わるシーンになるし、映画だと歌ってる箇所で時間の経過や切り替わりが示しやすいからメニューを見る→いつの間にかチャーハンを食べているという流れで聡実くんの狂児の歌への特に敬意の無い感じ、それでいて少しだけ気を楽にさせた様子を察することが出来るシーンになる。ここ好きなんだよな。

・「紅禁止令を出しても毎回カラオケで歌っていた」をしっかりがっつり描写してくれたの、嬉しすぎるな……(まさかミルフィーユとは)

・映画版狂児、事故後に返り血なのかなんなのか知らんけど血ついててくれたの、めちゃくちゃありがとうの気持ちになる(セクシーなので………)

・キョンキョン鞄ぶん殴りシーン、原作よりもずっと静かな「なんやこの子犬ちゃんは……」からのさりげなく端に避けさせて謝罪のない一撃、何度思い返しても痺れる。原作のにこやかな雰囲気の中でサラッと食らわせた後のじっくりと描写される返り血手づかみも相当好きで、どちらも違う、それでいて狂児らしい「怖さ」があって良い。
 宇宙人の首元のネックレスを触って褒める→子犬ちゃんは……で聡実くんの襟元を触る→打撃→うってかわっていつもの親しげのある声色で整えるように聡実くんの襟元を触る(ズレたリュックの肩紐を直す) この動きの流れ、め〜ちゃくちゃ好きで……。その手に恐怖と安心感が入り乱れる感じが……。
 紅の回想でわざわざ聡実くん視点が描かれるくらい、このシーンって聡実くんにとって大きかったんだな……ということを噛み締めてしまう。映画版の話をするなら聡実くんは完全に100被害者(来なくてはいけなかった)なので、ひたすら純粋な恐怖とそこを救ってくれた存在の大きさが……。その後の屋上も含め、聡実くんが狂児に対してがっと心を開いた日だということを感じる。
 原作での聡実くんブチギレが好きなので、そこに繋がる原作でのこのシーンもかなり好きで。原作と映画で全然意味合いが違う出来事・一日になるのが、それでいて変わらない良さとそれぞれの意味がしっかりあるのが、本当に凄いな……と思う。




今日も見に行くので、一旦3回視聴済の状態で今回はまとめます。ほぼTwitterでの下書きのような気持ちでの文章なので無限に増えてしまう。

映画というコンテンツの面白さを感じる日々です。人付き合いを築くのが少し苦手で 自分の趣味に人を付き合わせることに躊躇いを感じていた中で、上映時間が決まっていてかつ場所や日付の選択肢もある・仕事の後などでも約束が出来る 所要時間2時間ほどで1回2000円程度の手軽さ・前情報が無くても充分に楽しめる「一緒に映画行こう」の言いやすさに救われるような気持ちになっています。会う機会の減っていた友人を誘って出来た約束がもう3回もあります。視聴予定は計6回に増えました。


映画「カラオケ行こ!」に大きな感謝を込めて。今日も劇場の席に座って、ただそれだけの為の時間を用意して、この作品を楽しめることが本当に嬉しいです。


さらに続く