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#003 「RUN」長渕剛を考察する。+α

みなさんこんにちは。前の投稿からだいぶ月日が流れてしましました。大学生になると、“自由”なんて謳われる謎の期間ですが、全くもってそんなことはなく、忙しい人は忙しいのだなと感じます。どん底でも這い上がれる場所だし、頂点でも落ちる場所なのだなと、感じます。

というわけで!高校3年時に特に好きだった曲の一つ『RUN』、を自分なりに解釈していきたいと思いますっ!


1.RUN


賽銭箱に百円玉投げたら釣り銭出てくる人生がいいと
両手を合わせ 願えば願うほどバチにけっつまづき膝を擦りむいた

先日「長渕三昧」聞きまして(全部聞けなかった(><))、その中でAIさんがこの曲をリクエストしていました。たしか、50位でしたか。AIさんが言うには、子供の頃この曲を聴いた際、「バチ当たりなことをしてはいけないのだ」と感じたといいます。

同感です。ここで長渕さんの歌唱力なのですが、

「賽銭箱に百円玉投げて釣り銭出てくる人生がいい」というフレーズは素人には思いつく隙もありません。

私が思うに、やはり普段からそういう“中途半端なヤツ”は鼻につき、そういうヤツを身の回りで感じて、観察して、材料を集めていらっしゃるということなのでしょう。
(あと、もしくは練りにねってドラマの人物像、ストーリー性に合った曲に仕上げたのか。)

本当に歌の世界とは分かりません。特に剛。ノンフィクションでこれを描こうとすると、自分もある意味そういう「エネルギーや活力を奪われる何か場所」に飛び込んでいくわけですから、地べた這いつくばるだけじゃすまないですよ、ホント。

歌の話は「長渕三昧」でもおっしゃっていましたが、

「純粋性と作家性との自己矛盾が大きいほど、良い詩が書けるんですよ」

ということでした。
そして、

「そういう歌であるほど、人が好むんですよ~っ!」


これを聞いた時に、
やっぱり剛は神様か何かなのかと思いました笑。

少なくとも私なら、ラジオの中でこんなに語れるはずもないのです。

普通は、「いや〜、難しい議論ですねぇ」で終わり。
有名な評論家、教授でさえもこの言葉はよく耳にするものです。その道を一切通らず、普段思い巡らすことを思いのままぶちまける

…かっこよすぎるですよこれが。

とはいえ自分もまだまだで歌詞が生臭すぎる、と自分を評価しているものですから…感激です。

間違いなくRUNは、歌の抽象度といえ、童謡の域に充分達していると個人的には思います。

…次行きましょう笑


なるべくなら、なるべくなら嘘はねぇほうがいい
嘘は言わない、そう心に決めて嘘をつき続けて俺生きている

このフレーズが個人的に、一番心が重くなります。


というのも、私は元々嘘つきな人間で、やったことをやってないだの、やってないことをやっただの言っていた時期がありました。例えば、家の家事。

例えば、服を「畳んどいたで」と言えば、親は「これがたたんでるん?何言ってんねん、シワつくやろ」とよく注意されました。他にも様々です。


嘘ではない、と最初は思っていました。
しかし、自分の“任された”仕事に一生懸命になれていない自分に気がついた時、

「これを“嘘”というのか」と思い、自分の愚かさに幾度となく落ち込みました。

そんな時に剛の曲を聴いていると、

RUNがスッと、流れました。
自分はイントロで8割くらいなら何の曲かは分かるので、歌い出す前の前奏から頭に歌詞が思い出され、涙が止まらなくなりました。

同じなんですよね、情景が。なるべくなら嘘はない“方がいい”けど、
嘘をついた人間に、もう戻る道などないのだという混沌とした感じ。

そして、そのあと、
myselfを聴きました。

「まっすぐ、まっすぐ…」


今考えると、RUNとmyselfはかなり対照的な関係にあるのだなと感じます。


恨む心も、願う心もお前の前にいると
真実、そう真実 真実だけが頭を垂れる
こんな臆病者だからこそ
本当の事がほしい
あぁ、夢 夢 夢…で
今日も日が暮れる

そして、羨ましさを感じる日々。

あんな風に、あんな人間になれたらな、と。

そんな中途半端な理想ばかり空想しては、現実世界では何してるか。

自分に正直でない生活を送っている。
昨日も、今日も、明日も。…


今こうやって書いて気づきました。
“中途半端なヤツ”を描いている以上に伝わってきました。

おそらくこの曲は、「変わりたいけど、努力をしない・行動しない人」を描いた歌なのではないかと思いました。

同じ長渕剛自身も「僕は弱虫です」と言いますが、
その臆病さをどう隠しているかというところに違いがあるのだと感じます。

剛は肉体的に“隠す”。
しかし、そこには努力がある。
一方嘘をつくことは心理的に隠すことではあるけれど、
ラクなことであるという関係。


「そういう甘さに流れてたまるか!!」

そういう思いあって、自分の戒めとしてこの曲を書いたのかもしれません。

信じてみようよ 信じてみましょうよ
悔しいだろうけどね
信じ切った夜あいつの悲しみがわかってくるのは何故だろう

初感は、主語がめちゃくそ分かりにくいということ。

おそらく、嘘つかれて裏切られた悔しさなのかなと、個人的に思います。

そして、信じ切って飲みに飲んだくてれて、その“中途半端なヤツ”はそいつなりの悲しさを背負っているのだと、だんだん理解しだす、

といった具合でしょうか。

嘘をつき続ける惨めさ、自分の愚かさ、そういうものを背負わなきゃいけない、ある意味「可哀想」という同情の気持ちもあるのかもしれません。


金金金と、金追いかけたら
一夜にして幸せがすり抜けた
追いかけてばかりいるうちに
頭もハゲてきた

客観的にみた虚しさ 、といったところでしょうか。

剛と金・銭の話はたくさん他の歌詞でもありますが、

すり抜け“た”、ハゲてき“た”っていう過去形なんですよね。

それにしても、
金に奔走しているとハゲがきた、ってシチュエーションが実に面白いのと、

仮にフィクションだとして、
“虚しさ”を表現するのがとてつもなく上手いんですよね。
「あぁ〜…ハゲたかぁ」みたいな笑


少しそれますが、やはり金一途に追いかけることは、生物的にあまりよろしくないのでしょうね。


うちの学校の学部長でも「やりたいことに注力せよ、好奇心を大事にせよ」と言っていました。

金金金のその先は…なんて考えても私は物欲などそこまでありませんから、せいぜい剛のコンサートチケットが買えたらそれで良いみたいなところもあります。

積み上がるほど、我に帰れなくなるものなのでしょうね。
空っぽになるというか。


いま、政治家たちが何をしようとしていて、何を守りたいかも分かりません。少なくとも日本を売り捌く手助けをしているような、そんな印象です。

やはり金なのか。権力なのか。(それとも、家族が人質にでも取られているのというのか。)
我々民衆には、全く見えない、本当に何も見えない世界です。

『君たちが未来だ!』でも途中題材に上がりました。なぜ一国の政治家が国を守れないのか?という話。

参政党神谷さんも、今私が言ったのと同じことを言っていました。


しかし、「じゃあなぜ自分の立場を守りたいの?“株式会社○○党”の立場を守りたいの?」という疑問は今でもつきません。


しかし、いま少しわかった気がします。


「居心地が良い」のだということ。

居心地が良いばかりに、政治家たちは今の生活を手放したくない。ついでに権威も欲しい。

そんな感じなのでしょうか。…


…はい。といった感じです。



2.なぜ“RUN”なのか

最後に、この歌がなぜRUNなのかについて考えます。
サビで流れる、「ランララランランラン」。
剛好きならお察しの通り、剛はそう簡単にサビの言葉を題名にはしません。
逆流、myself、ひまわり、ふるさと…しっかり題としたいイメージがあって、まずそこから型をいつも作っています。(僕も全てを知るわけではないですが、普段から歌や話を聞いてるとよく分かります)

しかし、いまいちこの描写に限っていつもピンときません。


なぜ“中途半端なヤツ”が走るのか。


無理やり言うなら、
「今日も“中途半端なヤツ”は、その嘘つきの志のまま、走っていくのだった…」

って感じなのか…。



ここについては、今後も考える余地がありそうです。何か意見あればコメントお願いします!



3.終わりに


はい!という感じでした!
こういう考察は頭も時間も使うので、中々出来る時が少なくて、今後も投稿頻度が少ないかと思います。

どうか、温かく、この大学一年生を見ていただけると嬉しいです。


では次回。

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