東京タワーとあの日の嘘
父が電話ごしに言った。
「東京タワーに上ってこい。」
大学を出て入った会社はたった半年で辞め、上京していた親友の家に転がり込んだ。夕方に起きて朝方までネットとゲーム、親友の出勤を見送ってから寝る。居候でニート。夢を実現させるために上京したはずなのに気づけば3ヶ月が経過していた。
ジワジワ減っていく貯金残高。
他人に迷惑をかけながら将来におびえて暮らす日々に疲れ切っていた。
今日が何曜日かもわからなくなった頃、父が電話をかけてきた。
「仕事は見つかったか?」
家族には東京へ仕事を探しに行くと嘘をついていた。
「見つかってない。」
何度目かの変わらないやりとり。父は居候という状況にひどく心を痛めていた。
「もう帰ってこい……」
立派な社会人として送り出したはずの息子。その息子にそんな言葉をかけさせてしまった。悔しさや悲しさが混じった複雑な感情が胸を締め付けた。でも私は頑として帰らなかった。捨て切れない夢、働く気が起きない毎日、そんな救いようのない姿を家族にだけは見せたくなかった。
「ここで折れて家に帰れば、もう二度と立ち上がれない。」
その思いがギリギリのところで私を東京に引き留めた。
しかし東京は魔法の街ではない。私は相変わらず死んだように最低な日々を過ごしていた。また電話が鳴った。もう限界だった。
涙ながらに「これじゃだめだ」と伝えた話を父は黙って聞いていた。そして最後に少し明るい声でこう言った。
「東京タワーに上ってこい。高いところから街を見ればスッとするから。なんで悩んでたんだろうってなるさ。お父さんもお前みたいに悩んだ時期があって、その時高いところに上ったら悩みがとれたよ。なんでもいいからとりあえず行ってこい。」
数日後、私は父に「上ってきた」と嘘をついた。
そう、私は結局のところ何も変われなかった。いや最低な嘘を吐く、最低な人間になってしまった。そんな私の嘘に父は少し嬉しそうにしていて、私も元気に振舞った。胸がちぎれてしまうくらい痛かった。
ただ、その痛みが心底「これじゃだめだ」と気づかせてくれた。
それから20ヶ月。私は東京タワーの特別展望室にいた。あの頃と違っていくらかは血の通った生活をしている。ガラスの外にはどこまでも続く街と空。全てがミニチュアに見えて、人も車もビルも無限に存在するようだった。
世界は広かった。下しか見ていなかった私が考えていた世界よりもずっとずっと。
そして、ようやくあの日の嘘を本当にすることができたと思った。
今夜、父へ電話をしよう。