等価交換が人の心を苦しめる
さて、等価交換とはすばらしいものである。近代人はみな貨幣を中心とした資本主義を当然とし、貨幣によって動いている。未だGDPで世界3位を誇る日本においてこれが顕著であることはみなさんも納得するところだろう。
貨幣は等価交換が原則である。等価とは何を持って等価とするかの議論はおいておくとしても、これは人の認識では間違いのない原則だ。しかし、これは人を苦しめるのではないだろうか。
日本を離れ、タイで生活して約一年、タイの人々は金銭について驚くほどおおらかである。路上で物乞いをしたり、していないホームレスにも施しを与える。それは金銭だったり、あまった食べ物だったり、わざわざホームレスに買ったものだったりする。それ以外にもタクシー料金なんかも、一の位は切り捨てたり、切り上げたりしてもらわない。道を間違えて余計な料金がかかることもある。しかし、そこでいちいち議論はしない。チップの文化ということもあるかもしれない。しかしそれだけで済ませていいのだろうか。
さて、これ以外にも例を上げればきりがないがこういった金銭感覚は日本では考えられないと言ってもいいだろう。しかし、私自身この環境に身を置き、自分の精神に余裕ができているのを感じる。
金銭に限らず、近代社会に置いてはとにかく等価交換で、無駄なお金を払うことはしない。無駄な時間は使わない。もらったらお返しをする。誘われたら誘い返す。自分の時間、貨幣の価値を最大限に活かし、最大の利益を得ることを目的に活動している。それは大変立派ということもできるが、息が詰まるのも事実。
東京で20年以上過ごして、息苦しさを感じた私にとってはこれは確信である。人はケチを捨て、余裕を手に入れるべきだ。
働けばお金がもらえ、お金があれば幸せになれると思っていた人が大半を締めていた時代は終わった。幸せはお金では変えないことに皆が気が付き始めているはずだ。その幸せのために行動できることは厳密な等価交換を捨てることである。みなさんはどう考えるだろうか。
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