【女性デジタル人材のキャリア開発(第1回)】リスキリングの好事例~50代で主婦からデジタル人材へ~
デジタル人材育成学会では、大企業、中小企業、自治体、学校教育など様々なデジタル人材育成の現場を取材していますが、女性活躍推進の観点ではこれまで全く取り上げてきませんでした。それゆえ、今後は「女性デジタル人材のキャリア開発」と称してシリーズ化することにしました。栄えある第1回は、ある意味、最も女性らしいキャリアを歩んできた人物に取材しました。岸晶子さんです。岸さんは長年にわたり主婦でしたが、50代になり一念発起してデジタル人材を目指し始めました。今回のインタビューでは、その経緯や心の動きなどに加え、今後のキャリアプランなどもお聞きました。
(聞き手:デジタル人材育成学会会長 角田仁)
角田:岸さんのキャリアについて時系列にお聞きします。まず、大学から新卒入社にかけて教えてください。
岸:1992年に立教大学法学部を卒業後、新卒で当時都銀のS銀行に入行しました。本社のシステム部門(大手町)に配属になり、専門職として働き始めました。専門職とは、特定の部署に勤める総合職のイメージですが、転勤はありません。女性の登用を強く叫ばれていた時代であり、そのような職種が作られました。
角田:当時、新卒時からの別枠採用は珍しいですよね?
岸:その当時、女性新卒採用の一つの枠として、システム開発分野ではありました。例えば、オービックやCSK(現SCSK)や、事業会社の情報システム子会社などはシステム開発人材として女性を多く採用していました。システムを作るにあたり、IT人材を多く募集していた時期だったので、S銀行でも女性向けのシステム人材を別枠で採用したのだと思います。
角田:実際に入行してみて、どのように感じましたか?
岸:諸先輩が優秀だなと感じました。当時、S 銀行ではベンダー任せにしないで銀行員が要件定義からプログラム開発作成まで、ベンダーも入れながらですが自行員がやっていました。先日、久しぶりに旧 S 銀行の方に会いましたが、やはり優秀な人が多かったようで、S銀行が統合した後も複数の他社の大きなシステムに元S銀行システム部の人が関わっていたそうです。
角田:仕事は楽しかったですか?
岸:システムを作ること自体は凄く楽しかったです。プログラミング言語はPL/Ⅰです。当時はC言語がメジャーになり始めた時期でしたが、銀行基幹系システムではCOBOLが主流で、当時は目新しかったPL/Ⅰが売りだったみたいです。あと、今の若者は信じられないでしょうけど、システムの仕様書とか紙でしたよね。紙に手書きしたり、バインダーファイルに仕様書を挟んだりとか。今考えると凄く物理的な場所を必要としたり、今では必要ない綴じ込みという「無駄な作業」なども多かったように思います。
角田:たしかに当時はそんな感じでしたよね。逆に辛かったことはありますか?
岸:私が所属する部署は海外向けの国際システムを作っていて、ちょうど旧システムから新しいシステムへ全面更改をしていた時期でした。なので、凄く忙しかった。当時は夜10時になっても誰も帰らないような状態で、夜10時に「お疲れさまです。お先に失礼します」と言うと、「なんだよ、早いな」なんて皆さんから言われながら帰っていました。先に帰ることが肩身が狭く、気持ち的にきつかったですね。
角田:当時、私も別の金融機関のシステム部門で働いていましたが、女性は早く帰宅させられていました。S銀行では、それはなかったのですか?
岸:女性に対しても男性と同じで、特に特別な扱いはなかったです。それは、妊娠・出産の場合も同様です。当時、一般職(女性)は結婚すると退社することが多かったですが(当時は寿退社と呼ばれた)、女性専門職は結婚しても辞めませんでした。実際は育児休暇などの制度があったかもしれませんが、私の周囲では、妊娠・出産・育休のアナウンスなどは特になかったですね。
角田:岸さんご自身は、どのタイミングで退職されたのですか?
岸:私はつわりが割と強く、妊娠した時に勤務を続けるのは身体的に厳しいと考え1994年に退社しました。まだ2年余りしか働いてなくて、24歳でした。それからずっと専業主婦で、子供は三人授かりました。一番上の娘がいま30歳ですが、その退社時の子供です。あと25歳社会人の息子と、大学3年の息子がいます。
角田:24歳に辞められてから50代まで何か職業には就かれましたか?
岸:パンやお菓子を焼くのが好きだったので、子供が中学ぐらいで手が離れた時に、パン屋さんに5年くらい務めました。でも、その時に親が認知症になって介護で多忙になり、私自身が体を壊したこともあり、その仕事は辞めました。
角田:それは大変でしたね。そこからキャリアチェンジされたきっかけは何ですか?
岸:新型コロナの頃、子離れしたことで、凄く時間が空きました。夫の親が農地をもっているので、畑で野菜を作ったり、私と夫の親へ食事を毎日届けたりしていました。それでも子供がいないと凄く時間ができましたね。たぶんあと30年間は体が動くわけで、そう考えると、その間ずっと同じことを続けるのは嫌だなと思いました。出産で切れてしまったキャリアですが、「もう一度、外で働きたい」という気持ちが徐々に湧いてきました。ただし、会社に出勤して決まった時間に家を空けることは難しいので、家で働けるものが良いなと思いました。
角田:他に何かきっかけはありますか?
岸:三人の子供たちがすごく努力をするんです。息子二人の大学受験時の集中力はすごくて、それを見ていたら、私はこんなに勉強したことが無いけれど、今からでももっとちゃんと勉強してもいいんじゃないかと思いましたね。長男はわりと良い都立高校に入ったんですけど、凄く勉強させる学校で、周りの友達にも影響受けたのか、沢山勉強していました。娘もシステムエンジニアなんですけど、文系で凄く数学が苦手だったのに、今では応用情報技術者試験の合格に向けて勉強しています。
角田:お子さんから良い影響を受けたとは、素敵なエピソードですね。次に、IT分野の勉強をされようと思ったのは、どのような理由ですか?
岸:本を読んだり、ネット記事を読むようになり、コロナ禍で日本のデジタル化が凄く遅れていることを認識しました。テレワークや行政のデジタル化などが他国と比べて遅れていますよね。そういった社会的な背景があり、「もっとデジタル化をすべき」と考えたことも理由の一つです。30年間のキャリアを積んできた人達と肩を並べるのは難しいので、今から新しいことを学んで有利な分野はどこかと考えたら、デジタル化・DXと思いました。また、私の夫がデジタル化・DXの分野で仕事しているので、それがDXを選んだ理由にもなっています。夫に相談した時、本気で仕事につなげたいならDXをやるべきじゃないかと言われて後押しされました。
角田:デジタルやITは専門性が高いので、それを50代からとは普通考えないと思います。やはり、2年余りとは言え銀行のシステム部門で働いた経験がその障壁を下げましたか?
岸:それはあると思います。ITパスポートを勉強した時に「30年経っても同じことをやっているな」と思いました。もちろんクラウドとかそういうところは昔と全然違いますけど、システム開発は要件定義から始まるという動きは変わってなかったので、それはありますね。
角田:取り掛かりやすいですよね。逆にシステム部門での経験が無かったら違う道へ進んだ可能性もありますか?
岸:そうかもしれません。周囲の人に「DXの勉強をしようと思う」と言ったら無理だと言われました。でも、今はデジタルが周りにいっぱいあって、システムを構築することだけが仕事ではないですよね。デジタルやDXはビジネスモデルや顧客価値を理解することが大事だと思うんです。たとえば、「無人レジ」をシステム構築するのは私には難しいですが、無人レジの顧客価値をデザインすることは買い物を長年してきた私にも可能です。また「サブスク」も同じです。サブスクのシステム構築ではなく、サブスクのビジネスデザインなら消費者の立場でできます。以前に比べたらアナログからデジタルの流れは盛り上がっていて、だからこそ私みたいにシステムを開発する能力は弱くてもビジネス視点や顧客価値をデザインする仕事で働けるケースが増えているのだと思います。
角田:勉強しようと決意された後、具体的にどのような行動を起こされたのですか?
岸:まずは資格を取ろうと思いました。52歳の時にITパスポートを取得しました。基本情報処理試験も考えましたが、今から他の人も勉強する試験に挑むのは効率的ではないと思い、DX関係の試験として「DX検定」(イノベーション融合学会)を受けました。ですが専門的過ぎたのでビジネスの要素が多い「DXビジネス検定」(イノベーション融合学会)を受けました。今後ですが、本当は基本情報ぐらいあるともう一つ信用度が上がるなとは思うので、受けようかと考えています。あとはG検定(人工知能に関する試験)も考えています。また試験以外では、業界の方と繋がりたいと考えて、夫にアドバイスをもらい、デジタル人材育成学会と融合学会に加入させていただきました。
角田:DXビジネス検定はデジタルを使ったビジネスの用語が多いですよね。
岸:そうです。DXのビジネスモデルをメインにした検定でシステム開発よりもビジネスを問われることもあって、ビジネスを学んでいた私は上位の点数を取ることができました。キャノンマーケティングジャパンさんとかが全社を挙げて本検定を受験するようになったことで受験者数が多くなってきたみたいですけど、私が受験したのは、まだできたばかりのころだったので、受験者数が少なく、900点以上のプロフェッショナルレベルの人もあまりいなかったので、何度か受けて900点台を取った時点で個別にイノベーション融合学会からコラム執筆などの仕事のお声がけをいただきました。
角田:そのお仕事の内容を教えてください。
岸:イノベーション融合学会からDXビジネス検定の事務を受託しているネクストエデュケーションシンク社(以下ネクスト)という会社から依頼を受けて仕事をしています。具体的にはDXビジネス検定の裾野を広げるという目的でホームページにコラムを書いています。またDXビジネス検定の問題作成サポートをしています。検定のテーマになるカテゴリー決めや前の試験での正答率などのデータをまとめるのはネクスト社がやって、私は新しい問題を作る部分をしています。問題作成はイノベーション融合学会に所属する複数人で行っています。
角田:DXビジネス検定はご主人も問題作成には関わっているのですか?
岸:DXビジネス検定は元々、夫が最初の立ち上げからやっていたものですが、夫は忙しいので、ネクスト社から問題作成能力の確認もしてもらった上で私も問題作成に参加しています。私が作成した問題は試験問題作成委員の複数人でチェックしています。
角田:ご主人はITやデジタルのプロですものね。 やはりその存在は大きいですか?
岸:そうですね。夫はいくつになってもバリバリ働いて熱量がある人なのでそれに感化されたなとは思います。しんどそうなときもありますけど、自分のためじゃなくて社会を変えると言ったら大袈裟ですけど、そういう風に働いている人がそばにいますからね。
角田:さて将来の話ですが、今後はどのようなキャリアを考えていますか?
岸:「デジタルなんて無理だよ」と言う人達への啓蒙活動を行っていきたいです。日本は他国に比べてデジタルに凄く苦手意識を持っている人が多いのか、進まないじゃないですか。行政のやり方も良くないと思いますけど、行政が何かデジタルを進めようとすると高齢者の問題など進めない理由を探す感じですよね。
角田:私も地方自治体のCIO補佐官をやっているのでよくわかります。地方に行くとデジタルデバイドが凄いですね。
岸:市民の側も凄いサービスをしてもらうのが普通だと思っていますよね。何かに書いてありましたけど、日本ほどサービスを提供されるのが当たり前だと思っている国はないそうです。だから、自分からやらないと分からないデジタルは、どうしても敬遠されがちかなと感じます。
角田: 日本の教育システムを丸ごと変えるぐらいのことが必要ですよね。
岸:国民全体が底上げしていかないと、いくら政府が旗振りしてもついてこないですよね。日本国民は闇雲に反対するんじゃなくて、せめてマイナンバーの長所・短所を理解できるようになれるといいなと思っています。
角田:今後、具体的に挑戦したい仕事は何ですか?
岸:セミナー講師や書籍の出版など、人々へ伝える仕事をしたいですね。私のようにシステム開発の深いところの話はわからなくても、消費者、ユーザーの立場として、たくさんの人のデジタルやビジネスの敷居を少しでも低くできたらと思います。高度な知識の資格を持っている人は消費者の体験価値よりもシステム開発の深いところに興味がありそうと思っていまして、私のようにシステム開発の深いところに強くない人間でも、デジタルやビジネスの仕事ができるんだと思ってもらえるような仕事がしたいですね。
角田:では最後に、岸さんから若者へ向けてエールをお願いできますか。
岸:今の若者は皆さん凄く真面目で勉強熱心ですよね。それは凄い「強み」で、若い時から勉強し慣れている人たちはずっと長い期間をかけて勉強し続けることができると思うんです。私たちの世代は「大学に入って上がり」みたいな感じでした。就職した後は年功序列で昇進して、失敗しなければ上がれる減点主義みたいなところがありましたよね。それが今の企業の現状―上位の人間がなかなか意思決定しないし、部下のアイデアが上がらない部分に繋がっていると思います。今の若者はどんどん勉強して、若いうちなら失敗もOKだと思うので、失敗の経験を積んでいただきたいです。きっと少しずつでも男女で区別されなくなると思うので、女性も男性も若者に頑張ってほしいなって思っています。社会全体も失敗を許容する心理的安全性を持った社会に変わっていってほしいですね。
角田:岸さんが若者の時にやっておけばよかったことはありますか?
岸:本当は、少しずつでも働き続ければ良かったと思っています。私たちが若い時って専業主婦が成立していた時代だと思います。私には子供が三人いて夫が忙しい状態だったので、平日は全部ワンオペでしたが、それができる環境に甘えていたのかなと。また、もっと早くから勉強してればよかったなと思います。ちょっと空いた時間に本を読むとか、常に勉強する意識を持っていたら、少し違いが出たのかなとは思いますね。時間ができた今だから思えることで当時は思いつきもしませんでしたが。あとは、今でも未練がましく勉強しているぐらい英語が好きなので、もっと勉強しておけば良かったですね。
角田:勉強、勉強、勉強ですね(笑)。最後に岸さんらしいエールをお聞きして納得しました。今後のご活躍に期待しています。本日はありがとうございました。