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【輝く人々へのインタビュー:竹部美樹さん】地方における人材育成の好事例~鯖江市を人材育成の拠点に~

デジタル人材育成学会では、大企業、中小企業、自治体、学校教育など様々なデジタル人材育成の現場を取材していますが、今回は地方における人材育成の事例を取り上げます。今回インタビューしたのは、竹部美樹さんです。竹部さんは福井県鯖江市に在住で、NPO法人エルコミュニティを率いて、様々な地元密着型の人材育成を行っています。例えば、鯖江市地域活性化プランコンテストを毎年開催したり、IT×ものづくりの拠点として「Hana道場」という人材育成の場を提供しています。しかし、竹部さんがそこへ至るには、様々な紆余曲折や心の葛藤がありました。今回のインタビューでは、その経緯や心の動きなどに加え、今後のキャリアプランなどもお聞きました。

(聞き手:デジタル人材育成学会会長 角田仁)


◆東京勤務時代のキャリア

角田:本日のインタビューでは、エルコミュニティの施策というよりは、竹部さんご自身のキャリアパスについてお聞きできればと思います。よろしくお願いします。

竹部:承知しました。私は福井県の鯖江市出身で、高校までは鯖江でした。よくある地方女子と一緒で、少し田舎が嫌でした。そこで東京の短大へ行ったんですけど、完全に間違えたんです。そこはお嬢様学校で、私は気質的にベンチャーっぽいというか、当時からたぶん合わなかったんだと思うんです。ブランド品には興味ないし。うちは親が本当に厳しかったので、門限の厳しい学生会館に入れられて、2年で戻されました。

角田:いったん鯖江に帰ったのですね?

竹部:はい。実家が電気屋で、戻って実家で働きました。しかし、やっぱり東京に行きたい思いが募り、25歳の時にもう一回東京に出たいと親に相談しました。すると父から「絶対に2年で帰ってこい」と2年間の契約を結ばされました。それで、私が1枚、父親が1枚、サインして捺印しました。

角田:親子間で書面の契約書を交わしたのですか? すごいですね。

竹部:はい。そのような経緯で東京に行ったので、私の中では2年間しか東京で働けないという意識がありました。最初はどこに就職していいかも全然わからないし、実家でしか働いたことがないので、派遣会社に登録しました。派遣で行ったのが、A社です。恵比寿ガーデンプレイスに入っている商社の子会社でした。それがすごくつまらないというか、皆の意識が低くて。子会社なので、部課長クラスがすべて出向者で、どんなに頑張っても出世できないんですよね。なので、もう上に対する不満ばかり。東京にせっかく出てきたのに、こんなもんかと思って。2年しか時間ないので時間の無駄だと思い、4ヶ月で辞めました。

角田:東京で転職されたのですか?

竹部:はい。自分なりに少し反省して、次の会社はきちんと選ぼうということで、条件を考えました。若い会社で、勢いがあって、社員のモチベーションが高いところと決めました。そして次に派遣されたのが、ITベンチャーのB社でした。当時、第3世代とかって言ってもてはやされた、本当に上場直後の会社でした。そこに運良く入ることができました。最初は派遣でしたが、すごくやる気があったのと、何でもかんでもやるので意欲が高いし、スキルはそんなになかったと思うんですけど、なのでそこを認めていただいて、2、3ヶ月くらいで社員になりました。上場直後のイケイケなITベンチャーでした。

角田:ITベンチャーに就職したのは、何か理由があるのですか?

竹部:いえ、特に理由はありません。たまたまITでした。私はコンピュータのことも全く無知でした。その会社は、皆が本当にモチベーションが高くて、めちゃくちゃ楽しくて、リクルートみたいな社風の会社でした。私も営業に行きたいって言ってついて行ったりとか。ちゃんと自分の仕事はやるからと。夜のミーティングにも出させてくださいって、何やってるか知りたいから出させてくださいって言って、そうやって積極的に会議に出たりとか、それもやる、これもやると。そりゃ社員にもなりますよね(笑)。なので、最初は営業事務で入ったんですけど、徐々に営業的なこともするようになり、簿記の資格を持ってたので、経理の仕事もやり、会社の中で目立ってる人たちともすごく仲良かったにで、女性でもこうやって積極的に話す、コミュニケーションも取れるというので、採用の手伝いもさせていただいたりとか、色々とやりました。

角田:仕事が徐々に楽しくなってきたのですね。お父様との2年契約はどうなったのですか?

竹部:2年経ったら電話がかかってきました。そろそろ契約の2年が経ちますよって。でも、私は帰りませんでした。

角田:一方的に契約を破棄したのですか?

竹部:はい。破棄しました。だから親子の契約なんて全く当てにならない。このことは、よく講演で喋ってます(笑)。

角田:お父様は怒らなかったんですか?

竹部:ただ遊んでたら怒られたと思うんですけど、すごく仕事が楽しいって言って深夜まで働いていたので、それだけ仕事を一生懸命やっているのであれば。と。反対はされませんでした。

 

◆牧野前市長との出会い

竹部:東京にいる頃から、ブログを開設して書き始めました。それは今も続いていて、17年余り続けています。私はアメブロで書いていますが、アメブロってサイバーエージェントが運営していると思いますが、同社の藤田晋社長は鯖江出身なんですね。

角田:そうなのですね。知りませんでした。牧野前市長と出会ったのはその頃ですか? 前市長は有名な人ですよね。オープンデータを推進したりとか。

竹部:私がブログを開設した2ヶ月後に、たまたま当時の牧野市長もブログを始めていて、市長がブログで鯖江のことを発信しているのが嬉しくて、自分のふるさとの情報を楽しんでいました。市長のブログにコメントを書いたり、市長もコメントを返してくれたり。実際にはお会いしたことなかったんですけど、ネット上でつながっていました。いつか市長に会いたいなって思って、鯖江で大きなイベントの時に帰省して、市長に会いたくてずっと出待ちして。出てきたところで「ブログの竹部です。私はいま東京にいるんですけど、鯖江に貢献したいと思います」と言ったら、「提案とかあったら、ここに連絡して」と秘書の人が名刺をくれました。それを大事にとってたんです。

角田:竹部さんの行動力が実を結びましたね。時折は鯖江に帰省していたのですね。

竹部:久しぶりに鯖江に長期の休みの時に帰省した時に、駅から商店街を歩いてみました。その時に、すごく商店街が廃れていて驚きました。シャッター街というか、人通りは減っているし。自分の地元がすごく廃れていることを実感しました。私に何かできることはないかと。市長のブログで鯖江のことを興味持っていたし、何かすることないかとずっと考えて。ちょうどそのタイミングで、B社の業績が下がって、みんなが辞めていったんですよ。派遣も全員切ったし。その時に私は、どのみちこの会社にずっと長くいるなんて思ってなかったので、すぐ転職しました。B社に勤務したのは、結局1年半ぐらいでした。

角田:意外と短かったですね。転職先も東京の企業ですか?

竹部:はい。やはりITベンチャーのC社に転職しました。B社と同じくらいの規模感で、同じく上場していました。そこに入ったら、社風が全く違って、社長がワンマンだし、皆もそんなモチベーション高くない、ほんとサラリーマンみたいな感じで、同じベンチャーなのに違うなと。正直面白くなくて。でもすぐ辞めるとこれまた逃げだなと思うので、じゃあ自分は何がしたいんだろうと、もう一回自己分析しました。その時にやっぱり鯖江だなと思って、そこで動いた感じです。それが2008年のことです。

 

◆地域活性化のコンテストを開催

角田:そして2008年に「鯖江市地域活性化プランコンテスト」を開催されましたが、これはご自分でゼロから企画されたのですか?

竹部:いや、B社の時に仲良かった人たちも辞めて、その仲良かったメンバーとかに相談しました。同社の社長が京都大学在学中に起業して、たった5年で上場させたという会社だったので、京都大学と一緒にビジネスプランコンテストとかやっていたのですね。ですので、ビジコンのノウハウを持っていたんですよ。で、私もそれをたまたま、会社を辞めて鯖江のことをやるっていうタイミングで会社を辞めていたので、それをちょっと手伝わせていただきました。その時に色々と考えて、いま私が持っている人脈と、皆が持っているノウハウと、鯖江が求めていることは何かと考えました。あと学生を受け入れるという土壌も加味して。それを掛け合わせたのが、ビジコンの地域活性化バージョンである「鯖江市地域活性化プランコンテスト」でした。

角田:そのコンテストが2008年で、その後2010年に鯖江に戻られますが、その2年間は少し悩んだ感じでしょうか?

竹部:さすがに、2回鯖江を出て行っているので、次はないなとかなりの覚悟が必要でした。コンテストは2泊3日のイベントなので、それ以外仕事がないじゃないですか。東京を離れることには悩みました。満員電車は嫌いだけど、人が嫌いというわけでもない。ITリテラシーが上がってたんで、そういうのが鯖江に戻ったらなくなるんじゃないかっていう不安感もあったし。なので、当時は帰ることは考えていませんでした。こちらの仕事は遠隔でやっていました。

角田:何が最終的に竹部さんの心を動かしたのですか?

竹部:学生ですね。地元の学生を育成したいっていう気持ちが徐々に強くなってきました。東京の学生と鯖江の学生では、経験の差がすごくあったりとか。私も実際、田舎から東京へ出て、すごく衝撃を受けたので、その辺の機会の差、経験の差っていうものを埋めたいって思うようになりました。地元の学生をけしかけて、団体を立ち上げて地域貢献するとか、そういった活動をやったら面白いだろうなと思いました。

角田:そして、地元へ戻る決断をされたのですね?

竹部:いや、まだ、そこまでの覚悟はなくて、鯖江在住で活動していた株式会社jig.jpの福野泰介さんに相談しました。鯖江に帰ったはいいけれど、つまらないと言ってまた東京に出ていく事になってしまうのではないか。と。そしたら福野さんが「つまらなかったら、自分で作ればいいじゃない。コンテストもそうでしょ。やれることたくさんあるよ」と言ってくれました。「いま自分はこの鯖江でITをやって、面白いことを自分で作っている。つまらなかったら、面白いことを自分で作ればいい」と。まずはこういうのを手伝ってよ、みたいな感じで言ってくれて。当時福野さんは東京からIT社長とかを鯖江に呼んでツアーするという企画をやっていたので、それを手伝ったり。そのうち自分がやりたいことは東京じゃなくて、鯖江にあるなと思うようになりました。地元の学生と活動していきたいとか、地域活動をやりたいとか。そこはもう覚悟を決めようと思って、スパッと帰ってきました。

角田:それが2010年ですね。やはり覚悟を決めるのに少し時間を要したのですね?

竹部:そうですね。最初は鯖江に帰る気はなかったんですけど、やっぱり福井の大学生と接していく中で「一緒に活動していきたい。いろいろな経験をさせてあげたい」という気持ちがムクムクと膨れ上がりました。

角田:そして鯖江に帰られたわけですね。生活の拠点はご実家ですか?

竹部:はい、実家です。それゆえ、生活には困りませんでした。

角田:お父様も喜んだのではありませんか?

竹部:そうですね。でも、どこに就職するわけでもなく、金にもならない地域活性化をやっていて、正直不安でした。本当にコンテストをやるときにお金がなくなったので、定期預金まで崩して。

角田:自腹で開催されたのですか? 私も自分で団体(学会)を立ち上げた時に数百万円を自費で投入したので、そのご苦労はよく理解できます。

竹部:だから最初は父に「そんな稼げてないのは、仕事とは言わない」と。遊びみたいに言われて怒られました。

角田:そこからは様々な活動をされているわけですが、それは自然発生的に少しずつ増えていった感じですか?

竹部:これは必要だなと思ってやるとか、福野さんから振ってくるとか。プログラミング教育も完全に福野さんから振ってきたものです。

角田:ITのことをやりたくて地元に戻ったというよりは、本当に地域貢献というか地域のためになりたいという。 そっちの意識の方が強いわけですね。今でも地域のためになることだったらやるという観点ですね。

竹部:そうですね。

 

◆事業の拡大について

角田:次のご質問です。私から見ると、竹部さんは非常に仕事ができて、実業家として優れているので、もっと事業を拡大されてもおかしくないように思います。例えば、竹部さんは鯖江市にこだわって活動されていますが、福井県全体巻き込むとか、そういった考えはありますか?

竹部:全くないわけではありませんが、やはり鯖江が一番です。鯖江市でやることがまだいっぱいあるんです。地域活性化って本当に大変だなと思う。福井県全体でやるとさらに大変になるじゃないですか。そこに時間とお金をかけるなら、鯖江市に使いたいと思います。

角田:何か鯖江の土地柄もあるのでしょうか?

竹部:鯖江は以前から市民活動がすごく活発で、市民主役条例があるくらいなので、もともとそういう土地柄もあると思います。あと危機感ですね。鯖江は人口が減少して、昨年福井に新幹線が開通しましたが、鯖江は新幹線の駅がなく、それどころか在来線の特急が廃止になって、逆に不便になりました。非常に危機感を抱いています。

角田:竹部さんが目指す鯖江市の将来像みたいなものはありますか?

竹部:面白くしたいねと福野さんといつも話しています。ただし、今から街を賑やかにできるかというと結構難しいなと思っていて。どこの地方も衰退の一途じゃないですか。でも、それは止めたい。面白くしていれば、こうやってインタビューさせてくださいとか、注目してくださるじゃないですか。そうすると人が来る、企業が来る。

角田:これまで十数年間にわたり活動を継続されてきましたが、活動の成果を実感するときはありますか?

竹部:やはりコンテストやHana道場を長年にわたり継続しているので、その人脈ができました。その運営に関わった学生たちが別の授業やプログラムを手伝ってくれたりとか。当時小学生だった子たちが福井高専の学生とか大学生とかになって、うちの活動を手伝ってくれたりとか。今度は教える側に回ってくれたりとかするので、ほぼ内製化できるとか。若者が育っている実感はあります。

角田:それは素晴らしいですね。

竹部:うちのNPOだけでなく、地域にも面白い人たちがたくさんいます。市民主役とはこうだっていうことをどんなに言っても、モデルがない。それを示したいっていうのは自分の中で決めていて、そこはできたかなと思っています。お金の面でもそうだし。そうすると、みんなが市民主役ってああいうことだよっていうので、民間の人も私を使ってくれるし、行政も使ってくれるし、そこをみんな目指そうって思ってくれたらいいかなと思っています。そういう雰囲気でなってきました。

角田:竹部さんは様々な活動をされていますが、やはり若者の人材育成に力点を置いている感じですか?

竹部:そうですね。そこは少しこだわりがあります。例えば他の地域の人が視察に来たりとか、私も講演に呼ばれたりとか、逆にこっちから視察に行くとかあるじゃないですか。すると、鯖江でやっていることをうちでもやりたいとかって結構あるんですよ。私は、ノウハウは提供できるけど、結局誰がやるかが大事で、やる人がいないと立ち消えになりますよと言ってます。私にお金払って終わると。地元にプレイヤーがいないとダメなんですよって話をいつもします。どの地域においても本当にそこが課題だと感じますね。

 

◆ヒトとカネを巻き込む

角田:竹部さんは周囲の人々を巻き込む力がすごいですね。

竹部:私は周囲の人たちに助けてもらっているだけです(笑)。学生たちやエルコミュニティの仲間たちには頭が上がりません。特に、私の活動には学生たちが欠かせません。大学生がいっぱい手伝ってくれて成り立っています。学生団体withという団体を立ち上げて、そこも学生で回しています。私はそこをサポートしているだけです。

角田:私から見ると、竹部さんの人間力というか、人間的な魅力だと思います。普通の人はそれが難しいんですよね。普通の人は、人が集められないし、人はついてこない。あと、ヒトに加えてカネもですよね。普通の人は資金が集められない。

竹部:これはすべて、Hana道場のスポンサーなんです(オフィスの壁には、スポンサーの名前が記載されたレリーフが数多く飾られていた)。

角田:たくさんありますね。スポンサーは、竹部さんが東京の企業へ説得して回った感じですか?

竹部:いえ、そうではありません。多くは先方から提案されます。支援できますかと。

角田:それは羨ましいですね。きっと、そこへ至るまでが大変でしたでしょう。本インタビューの前に、NPO法人の事業報告書や決算報告書を拝見しましたが、企業からの寄付や事業収入により潤沢な資金(収入)がありますよね。街づくりやってるNPOで、これほど潤沢な資金はあまり聞いたことがありません。普通のNPOは資金集めが苦手です。特に地方にいるとそれが顕著です。

竹部:そうなんですよね。

角田:地方のNPO法人が東京のIT企業をドアノックなんかできないですよ。人脈もなければ、覚悟や勇気もない。非常に難しいです。

竹部:私の場合、福野さんがいるのが大きいですね。福野さんがオープンデータやるので企業が鯖江に来るみたいな感じです。私は福野さんと一緒に動くことが多いので、その利を得ています。

角田:私は先ほど東京の企業へ訪問するみたいな言い方しましたが、逆に鯖江に呼び込む感じですね。

竹部:面白いことやってるって評判になることが大切だと思います。地域でプログラミングやっている、地域活性化プランのコンテストもやっていると。なぜ優秀な大学生たちが鯖江に来るのか、みたいな話を聞きたくて来ます。

角田:視察に来てくださいと呼んでしまうわけですね。

竹部:いや、私が呼ばなくても、次々と勝手に来ます(笑)。東京でプレゼンする機会はありますけど、向こうは興味持っている状態なので、それほど大変じゃない。ゴリ押しとかは全くないですね。

角田:それは素晴らしいですね。その好循環がすごいと思う。来てもらった方がいいですね。

竹部:そうですね。福野さんもお客様と東京で会ったときは、「鯖江は面白いから、ぜひ来てください」と呼び込んでます。

 

◆地方と東京では人脈と情報に格差がある

角田:また別の観点のご質問です。地方で活躍されている皆さんにインタビューすると、多くの人が1回は東京で働いて地元に戻られています。地元にそのまま残って活躍されている人はほとんど見ない。そういうキャリアの人が多いです。やはりそれって何か関係あるのでしょうか?

竹部:大いに関係があります。一番大きいのは人脈ですね。

角田:今でも東京時代の人脈が生きている感じですか?

竹部:めちゃくちゃ生きています。東京で一緒に働いていた元同僚とか友達と話すと、いかに地方が遅れているというか、刺激という意味でもそうだし、ITリテラシーとか情報リテラシーとかという面でもそうだし、あと、みんな本当によく勉強している。やっぱり地方はぬるいんですよね。私もぬるま湯で育っていたら、こういうことやれてなかったと思います。

角田:それが当たり前だと思ってしまうということですね。そういう危機感みたいなのも芽生えないですよね。

竹部:今でも東京へ行くと、みんなすごく勉強しているし、会話をしていても、最新のこととか、すごい会話が生まれて、行く度に新しいことを知ります。今そういうのが流行っているんだとか。

角田:それは、情報の格差ですね。それは納得感があります。

竹部:そうです。人脈と情報。情報をたくさん持っていて、勉強している人の人脈が大きいですね。

 

◆将来の夢

角田:最後に、将来の話を聞かせてください。竹部さんはまだ非常に若くて、今後様々な展開が考えられますが、将来こんなことをしてみたい、こういう姿になりたいといった話をお聞かせください。

竹部:2つあります。まず1つ目が、今ずっとこのHana道場で子供たちに教えてきました。鯖江はずっとプログラミング教育とか担い手育成とかやってきたんですけど、数年前から福野さんと課題として言っていたのが、新しく事業を起こすとか起業するっていう人が全然出てこないことです。福野さん自身が2年前に上場をして余力が出たというのもあって、来年の1月からITスタートアップ支援事業を始めます。

角田:それはVC(ベンチャーキャピタル)ということですか?

竹部:いえ、資金面ではなく、活動の支援です。ちゃんと事業計画書を出してもらえれば、多少は資金面での支援と、うちはシェアオフィス持ってるんでそこ自由に使っていいですよとか、うちのNPOの役員って上場企業のアドバイザーやってたりとか、起業家だったりとか、スタートアップのことやってる人が多くいます。私以外の皆はそういうスキル持ってるので、うちのメンバーをフルに使って協力して支援をしていく活動を、来年1月から始めます。

角田:今まで十数年プランコンテストをやられてきて、実際に立ち上げた実績というのはこれまでなかったのですか?

竹部:地域活性化プランはたくさん実現しています。ただし、本格的なビジネスは、これまでありませんでした。2015年にこのHana道場を作りましたが、一応サブタイトルで「子ども起業家道場」って言ってたんですよ。でも全然それができてなくて、今やっと人材も育ってきたし、福野さんも上場して、自分が見本になる状況になって、ここで満を持してベンチャーの支援事業をしていくので、一人でも二人でもいいから、たとえ失敗してもいいので、起業するっていう人たちを出したいと思っています。

竹部:2つ目として、将来的には、本当の意味での街づくりをしたいと思います。商店街がすごく衰退しているというところから危機感を持って動いているので、そこをなんとかしたい。エルコミュニティの事業を私が少し減らしてでも、そういう本当の意味での街づくりをやりたいなと。行政とか商工会議所とかいろんな人と協力しながらやっていきたいと思っています。

角田:素晴らしいですね。本日はインタビューをありがとうございました。

 

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