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トラペジウムに見るスタートアップ

『トラペジウム』という映画を見た。面白かった。ただ、なかなか判断が分かれる映画だったように思う。ちなみに、原作小説は読んでいない。
(余裕があったら後で読みます……)

そして、見終わった後で考えたことがある。
果たしてこれはアイドルものなのか? 青春ものなのか?
その答えは、Yesであり、Noでもあると思う。

作品を言いあらわすなら、上の記事の通り、「アイドルを目指して志半ばで大失敗する映画」という表現が正に適切だ。

だが、アイドルものとして見れば最後に待つのは失敗であり、青春の1ページとして処理するには、どこか割り切れないものがある。人生は思い通りに行かないものだと言えば、そうなのだろう。
そして、原作者がアイドルという都合から、どうしてもアイドルものとしての側面がクローズアップされてしまうが……自分はこの作品はむしろ、和製スタートアップものだと感じた。大雑把に言うと、『ソーシャル・ネットワーク』みたいなアレである。

順に説明しよう。他のアイドルものと比較した際、トラペジウムの特異な点は、アイドルの側がマネジメントやプロデュースの業務を担っているところにあると思う。
時代柄、セルフプロデュースはもはや標準装備ともいえるし、このあたりは今風なのかもしれない。

スクールアイドルという例もあるが、あれはどちらかといえば部活モノの文脈で、本作との違いは「けいおん」と「ぼっち・ざ・ろっく」の違いみたいなものだと思えば良いと思う(※ 偏見です)。
勿論、東西南北(仮)は厳密な意味ではスタートアップではない。むしろ、目的達成のための合理的手法を追求した結果、スタートアップ的な挙動へ収斂進化したと言えるのではないだろうか。

そんなワケで、以後はこの視点に立脚して作品を見ていこうと思う。
(※ 以後、結末までのネタバレを含みます)

主人公、東ゆう。
アイドルに強烈な憧れを持つ人物であり、作品を見た人間からの毀誉褒貶も激しい人物像だが、はっきり言って性格が悪い……というか、「イイ性格」をしている、と言ったほうが適切かもしれない。
打算的で、使えるものは利用する。綿密な計画を立てるが、必ずしも思い通りに事が運ぶとは限らない。時に視野狭窄に陥り、足をすくわれる。そして時に打ちのめされるが、へこたれない。
一般的な人間、キャラクターとしては欠点も多く映るが……夢を追いかける人間は、これくらい我儘でなければ務まらない

彼女の恐るべき点は、企画・コンセプトが当初から恐ろしく明確であったことだ。
地元の範囲(高校生の活動圏内)から、東西南北選りすぐった人間をスカウトし、4人組のアイドルを作る。
おそらく自分の苗字と高校名のかぶりから思い付いたのだろうが、自分の客観視ができている。

その後のメンバーとの出会いには、ややご都合主義が絡むが、ここは良しとしよう。特に、お嬢様学校が対同年代とはいえあのザル警備なのはちょっとどうかと思うが、それは一回置く。

そして、メンバー同士のソリが良かったことは幸いだった。背景が異なる人間同士のコミュニケーションや人間関係にコストを割かずとも良い、というのは素晴らしいことだ。
彼女には、人を見る目はある、と言っても良いのかもしれない。だが逆に、このことが後に災いする部分もある。

彼女たちはある程度偶然を装った出会いによってアイドルへの道を歩みはじめる。大河くるみについては色々書きたいことがあるが、水中ロボコンの話だけで大変なことになるので今回は割愛する。

ただ、ここで東は一つミスを犯している。
集団のめざすゴール、ビジョンを全員に共有しなかったことだ。偶然に集まった、というストーリーを優先しすぎるあまり、現実的な工程を疎かにしてしまった。

まぁ、スタートアップは勢いありきの部分もあるので、あんまり責めるのも酷かもしれない。ただ、その代償は後でしっかりとのしかかってくる。

四人での活動を行うにあたり、「観光ガイドになってTV取材を待ち、コネを作る」というのは非常に良い判断だったと思う。運の要素も絡むが、英語等の特技を活かすことができる。仮にTV取材がなくても、ローカルアイドル的な路線から駒を進める手も使えただろう。

余談だが、東本人が、考えていることはともかく大人に対しては礼儀正しい、というのも良い(多少塩な対応はあるが)。同年代相手には本音が漏れるのはご愛敬だろうか。

そして、デビュー……東が当初描いていた計画は、どうもこのあたりまでだったらしい。しかし、それがプラスに働いた部分もある。

自分の事業のことは自分で決めたい、立ち上げた人間が手綱を握り続けたい、という欲求は抗いがたいものがある。だが、ここで東はむしろ事務所(プロダクション)所属を歓迎しているし、それに適応している。プロに任せる、という選択ができたのは好材料だった。

ただ、ここで問題も発生する。大枠の営業などは事務所に投げられたが、東はグループ内のマネージャー的な役割からは足抜けできなかった。
どうもプロダクションの偉い人が直接面倒を見ているあたり、事務所側にもある程度「放っておいても大丈夫な子達」という目算があったのかもしれない。
結果、東はプレイングマネージャー的な役割に収まってしまったのである。
プレイングマネージャーとは、プレイヤーとしての働きとマネジメント能力の両方を求められる悲しきキメラのことである。一人二役なので業務負荷がやばい。
本編では先にくるみが限界を迎えていたが、もしそうならなかった場合、負荷が集中する東が限界を迎えていたことは想像に難くない。そうすれば、待っていたのはより深刻な結末だっただろう。

できればメンバーの背景や事情を把握し、こまめなフォローや面談を行うべきだっただろう。というか既にこのんへんで東はタスク的な限界を迎え、グループメンバーのケアを華鳥に投げていた節もある。

一般的な企業なら人間を増やせばいい。これも簡単な道ではないが、やりようはある。
だが、東西南北(仮)はそのコンセプト上、人員増加は困難であり(北東とか南東とか増やすわけにもいかないだろう)、また、初期メンバーが抱えるモチベーションの欠如や、プライベートな課題を見過ごしていた。

メンバーのモチベーションはバラバラになりつつあり、それを繋ぎ止めていた……東が持っていた優れたビジョンも「デビュー後」にまでは及ばなかった。

かくして、プロジェクトは破綻し、東西南北(仮)は分解した。

TV番組にコーナーを持って、曲も出せた。「部活」の文脈なら大成功の部類だろうが、彼女たち、否、東ゆうが目指したのはその先だった。故に、その終わりはほろ苦いものだった。

作中ではメンバーに負荷がかかったことが原因のように描写されているが、やはり本質的には解散の原因は東のキャパ越え、オーバーワークであろう。気付かぬまま調整機構が壊れ、作詞等の無茶なタスクを割り振ってしまった。
リソースが限られている環境では、「やること」を決めるのと同等に、時にはそれ以上に、「やらないこと」を決めるのもマネジメントの重要な仕事である。東に欠けていたのは、その視点であるように思える。

アイドルとして活動していることからして、恐らく以後はプレイヤーとしての役割に徹し、活動を行ってきたのでだろう。
とはいえプロデューサーに近い視点を持っている、グループ内の調整を行えるというのは活動上のメリットになるのは間違いなく、今後の活躍を期待するものである。


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