いまさらわかる新世紀エヴァンゲリオン㉚劇場版第26話『まごころを、君に』Part.1
劇場版最終回。本連載にここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。まだもうちょっと続くんですが。
冒頭の監督挨拶。「5人の女性」についてですが、メインキャスト陣という解釈がされることは多いものの、「キャスト」は別枠で上がっているため疑問。素直に、個人的な謝辞と捉えるのが良いのではないかと。
といわけで、ゲンドウのターン。
ゲンドウの野望は「ユイとの再会」な訳ですが、ユイは初号機と融合して戻ってこない。そればかりか、神に近い不滅の存在となってしまった。
そこでゲンドウが考えたのは恐らく、自らもまた神に近い、不滅の存在となり、初号機と並び立つことです。具体的な方法はアダムを自身に取り込み、レイとリリスの融合の間に挟まること。
こうして、最終的には初号機とも融合するつもりだった、というのがエヴァンゲリオン2で述べられている内容。この方法、多分ちょっとサードインパクト起きるのが難点ではあります。
妻と再会するためには、文字通り全てを犠牲するというゲンドウのエゴが多分に含まれている計画ではあるのですが、本編ではユイが一人で宇宙へ旅立つエンドになるわけで。想像を逞しくすれば、それでは寂しすぎる、というのもわからないではない。あのヒゲグラサンは死んでもそんなこと言わなそうですが。
レイの身体が崩壊している点についてですが、キーワードはやはり「リリスの覚醒」でしょう。
リリスはレイの本来の身体であり、本来のリリスが目覚めかけることで、レイという在り方(を維持するATフィールド)を保てなくなっていると考えられます。ゲンドウの手が身体にめり込むのも、そういうことかと。
リリスの分身(下半身)である初号機に翼が生え始めたのも、関連する事象ではないでしょうか。翼が本体じゃなく初号機の方にいっちゃってるのが面白いですけど。どういう原理?
というわけで、記事では何度も取り上げましたが、ここで、ゲンドウ案の補完計画が、「人間が今の肉体を捨て、一つの完全な生命となる」というものであることが説明されます。そして、これを一部転用し、覚醒したリリスに自身を組み込むことでユイと再会する、というのがゲンドウの目的というお話。
このように、ゲンドウの難しいところとして、「公私」がまじりあっていることが挙げられると思います。人類補完計画という、人類を救うための「公」の目的と、ユイとの再会という「私」の目的を両立させようとしているため、外から見た時にモチベーションがわからなくなりがち。つまるところ、奇しくも一話で言われていた通り、「人類を守る大事な仕事」という点は、実は真実なのではないかと。
それはそうとして、レイをまさぐるゲンドウの絵面はヤバいです。
25話ラストの続き、絶叫するシンジ。そして、その声を聞き届けるレイ。
前々回のDEATH編で言った通り、レイはシンジを護る武人キャラ。既にレイの代替わりでゲンドウの計画は地味に崩壊寸前ですが、決定打と言えるのは、ここで「シンジが声を上げた」ことでしょう。覚えておきましょうね。
そして、レイはシンジを護るため、リリスとして覚醒することを選択する。なんでリリスのシンジへの好感度がこんな高いのかは、相変わらずよくわかりませんが。
ロンギヌスの槍、始祖(のコピー)の覚醒に反応して飛んでくる。
この場合、覚醒したのが「初号機」なのか「リリス」なのかが疑問なのですが。突き刺さらず、直前で停止。
アダムや使徒を相手にしたときのロンギヌスの槍は遠慮なく対象をぶち抜く(例の残酷な天使のテーゼMV、1分45秒あたり。ロンギヌスの槍らしきものが思いっきり背中から突き出た発掘中のアダムの映像があります)ところ、今回はブチ抜かないので、ロンギヌスの槍視点だと「覚醒しそうなアダムかリリスかと思ったけどなんか違う……?」となって直前で停止、という感じでしょうか。形状変化していない点も注目?
アダムやリリスを依り代にしてたらロンギヌスの槍にぶち抜かれて終了していた可能性大なのかもしれません。
ということで、経緯はどうあれオリジナルのロンギヌスの槍が戻ったため、ゼーレの計画の遂行条件がクリアされます(25話参照)。ここからゼーレのターン。
ゼーレが話している内容、言いたいことはなんとなくわかります(多分ゼーレ版の計画の内容)が、宗教的比喩も含まれている感あり。以降のゼーレの発言も、多分適度に流すのがいいんじゃないかなと思います。
ゼーレ「些か数が足りぬが、止むを得まい」
これについては、以前の記事内容の通り、ゼーレの依り代となる予定のエヴァ(量産機)の数だと思われます。「13号機までの建造」を行っていたこと、ゼーレのメンバー数が概ね12(たまに増える)であることから、12体のエヴァを用意するつもりだったのでしょう。そして、これが戦自侵攻時、初号機だけでなく弐号機も確保しようとしていた理由ではないでしょうか。
エヴァは大変高価なので、世界を支配する秘密結社といえど、おいそれとは作れなかった、という世知辛いお話。レイのセーブデータ壊されたゲンドウといい、使徒相手に舐めプしすぎです。
量産機が初号機を拘束、上空へ。別に地上で発動してもいいとは思うのですが、理由は後述。
そして、エヴァシリーズはS2機関を解放。ここからがサードインパクト開始と思われます。
この辺、「聖痕」とかカバラのセフィロトの樹(いちおう、「生命の樹」のモチーフでもあります)が出たりとか、謎の要素が結構あります。ゼーレの趣味なんでしょうか。
冬月「アンチATフィールドか」
アンチATフィールドの説明は後でします。恐らく、冬月教授はこの時点で「これから何が起こるか」を悟ったのでしょう。
さて、ここで思い出して欲しいのが、セカンドインパクト時のアダムが爆発した理由が「S2機関の暴走」と目される点。要するに、セカンドインパクトの時のアダムは「この段階」でバラバラになったよ、という話なのかなと。
言い忘れましたが、今回のサードインパクト、「セカンドインパクト時の答え合わせ」としての意味合いも含んでいる、と考えるとわかりやすいです。マヤも丁寧にその辺を示唆してくれています。
というわけで、初号機をわざわざ上空まで拘引された理由は、地上で発動すると、セカンドインパクト同様、地球がヤバくなるからです。
分子間引力が維持できない、という発言が出てきますが、アンチATフィールドの作用が初期ではそういう形で現れる、という話なのでしょうか。
冬月「まだ物理的な衝撃波だ! アブソーバーを最大にすれば耐えられる!」
この後みんな溶けてLCLになるけどな! とまでは流石に言わない冬月。大人。
S2機関解放の余波によって、ジオフロント本来の姿、リリスの卵である「黒き月」が姿を現します。
この辺の流れはセカンドインパクトも多分一緒。ちなみに、新劇場版破のセカンドインパクトの回想シーンでも、アダム(ス)の卵である「白き月」と思われる球体が空へ浮上するカットが地味に描かれています。
(追記 20210113)
零号機の自爆がビデオ版では「インパクト未遂」の疑いがあることを考えると、あの第3新東京市を吹き飛ばすだけの破壊力も、これと似た原理であることが推察されます。
(追記ここまで)
人類をはじめとする地球生命はリリスから生まれた、という説明。「殻の中へ戻ることは望まない」とのことですが、ゲンドウ達の補完計画は人類の魂をひと所に集め、新しい生命と為すものの筈。或る意味、人類をリセットし、卵の中へ還るものの筈です。「リリス次第」と言っていますが、その真意や如何に。ゲンドウの計画の成否が、リリス≒レイに掛かっている、という意味でしょうか。
そういえば、エヴァ劇中において「冬月の目的」は地味に描かれていません。ゲンドウに協力し、最後には、迎えに来たユイを見て満足したようですが。ユイに対する感情はあったものの、どちらかと言えば、ゲンドウとユイを見届けることにモチベーションがあったのかなぁ、という感じでしょうか。なので、冬月的には、もしかすると補完計画の成否自体はどうでもよかったのかもしれませんね。
レイ「私は、あなたの人形じゃない」
レイ「私はあなたじゃないもの」
そう言って、レイはゲンドウとの融合を拒絶します。でも復元されたアダムだけは貰っていくスタイル。
人形じゃない、自体は二人目のレイもアスカの口論の時に言っていましたが。
レイに他人との繋がり方を教えてくれたのはゲンドウであった筈なのに、そのゲンドウがレイを人形として扱っていた、という矛盾。これもまた、ゲンドウの一側面であると言えます。このオッサン、複雑すぎるよ……。
レイ「碇くんが呼んでる」
ということで、レイはシンジを護るために、レイという在り方を捨ててリリスへ戻ることを選びます。ATフィールドを自在に操れるなら、肉体の再生くらいはできる。暴走したエヴァ初号機が度々機体を再生していたのも、同じ原理なのかもしれません。
人形じゃない(自分の意志がある)けど、護るべきもののために己の存在を擲(なげう)つことができる。ということで、やっぱりレイ、武人キャラなんじゃないですかね……。
???「おかえりなさい。」
これ誰の台詞!? リリス!?
という訳で、レイの帰還によってアダムをも吸収し、遂にリリスは完全な存在として覚醒します。この時点でゲンドウの野望は終了。お疲れ様でした。
さて、リリスは復元されたアダムをも吸収したわけですが、このアダム、ちょうどこの辺で死んだカヲルくんの魂が入っている疑惑があることを24話の回で取り上げました。少し覚えていてください。
覚醒したリリス、物理実体というよりはエネルギー体に近いようです。但しATフィールドはある模様。第二使徒であるため、パターン青は納得。但し、使徒というより人間に近いのは、レイの姿を模しているからでしょうか。使徒でもアルミサエルは形態変化にパターンが変化していましたね。
ミサトさんの十字架を握るシンジの手。「聖痕」とやらは消えています。マジで何だったんだアレ……。
そして、巨大な綾波レイを見て大絶叫するシンジくん。
エヴァンゲリオン、ディスコミュニケーションを執拗に描いてきた作品ですが、ここに来て、レイとシンジくんが最大級のすれ違いをしている、と言えるでしょう。
レイとしては、シンジくんを助けるために出てきたのに、まさかこんなに怯えられるなんて……。
この時点を以て、サードインパクトの主導権は誰あろうシンジくんに移ります。ただ、シンジくんは願い事とかできる状態じゃないので、好き勝手やらせてもらうね、とゼーレが横槍。
「欠けた自我」とか言われてますが、その通りだと思います。
ゼーレはエヴァ量産機を使用。覚醒したリリスのアンチATフィールドの増幅を開始します。
この辺のゼーレの思惑としては想像するしかありませんが、多分、量産機をリリスと同期させることで、量産機を完全な存在に格上げしよう、という感じですかね……。
というわけで、レイ(リリス)と同期したので、顔がレイになります。そうはならんやろ。なっとるやろがい!!
ちなみに、エヴァ初号機がレイ化しないのは、「魂がある」存在だからでしょう。恐らくは魂のない零号機は、23話(ビデオ版)でレイ化しかかってましたし。
おかげでシンジくんのSAN値が0になります。
マコト「デストルドーが形而化(下?)されていきます!」
冬月「これ以上はパイロットの自我が持たんか」
冬月先生、極めて優秀な解説役です。デストルドー、極めて雑に説明すると「しにたみ」みたいなやつです。シンジくんはいつもつらたん。
エヴァ初号機のコアの光も消えます。
シンジ「もう嫌だ」
カヲル「もういいのかい?」
というところで、ヤツのターン。カヲル再び。先述の通り、吸収したアダムから復活したのでしょうか。リリスが自分ではシンジを救えないと判断したので、主導権を渡した感じかもしれません。
同じ巨大存在なのにカヲルくんはいいんだ……。
巨大なカヲルくんはシンジに手をのばしますが、奇しくもシンジがカヲルを握り潰したのと逆の構図になっていることに注目しましょう。
満たされたシンジくん。
そして、シンジの「個」である初号機のATフィールドが弱体化した隙に、初号機とロンギヌスの槍が合体し、生命の樹に……って、それ何!? どういうこと!?
生命の樹、旧約聖書では、人類の食した「知恵の実」のなる木と共に出てくる「命の木」、ここでは要するに「生命の実」を分け与えるもの、という意味ではないでしょうか。
つまり、不滅の存在となることを求めたゼーレの欲しがってたのは、実際のところコレだと思います。そして同時に、「ロンギヌスの槍」というアダムの天敵の無力化手段、とも言えるかもしれません。
生命の実と知恵の実を手に入れた初号機は、完全な存在になった。
そして、その初号機を組み込んだ生命の樹を用いて生命の在り方を作り直すのが、恐らくゼーレ案の「サードインパクト」。ここで、もう一度エヴァ2の機密情報の一部を引用しましょう。
『人は神を拾ったら、何をするか。
自分も神になろうと思ったのである。』
『(前略)ゼーレはこの人の作りし神によって、優良な者(自分達)を神に近いところへ導くつもりであった。』
(エヴァンゲリオン2 機密情報「人類補完計画の内容」より)
ということで、正にこの「生命の樹」が、ゼーレの計画の手段と考えられます。
冬月「未来は、碇の息子に委ねられたな」
ということで、遂にシンジくんに世界の命運が託されます。
自分達は正しいのか?と問うマヤと、「わかるもんか」と答える青葉。
サードインパクトが佳境に入ったため、カヲルは再びレイと交代。
ユイ?「今のレイは、貴方自身の心。貴方の願い、そのものなのよ」
レイ「何を願うの?」
今や、不滅の存在となった初号機とリリス(レイ)を従えたシンジは、星の生命の在り方を決定する権利を有しています。リリスがレイの姿をしているのも、何だかんだでシンジの心に応えた結果、と言えるのかもしれません。
さて、ここまで精神をベコベコにされ続けたシンジくんは、ほぼほぼ万能の力を前に何を願うのか?
というところで、人類補完計画が遂に発動するのですが……此処から先、かなり心理描写や抽象的なシーンが増えます。
シンジくんが世界の命運を握った以上、シンジくんの内面描写が最重要課題となるわけですが。その解釈をしていくにあたり、実は、恐らく劇場版だけでは不完全です。
此処で思い出して欲しいのは、エヴァンゲリオンのもう一つの最終回。テレビ版について。テレビ版最終回、26話の冒頭にこんなテロップがあります。
『時に2016年
人々の失われたモノ
すなわち、心の補完は続いていた
だが、その全てを記すにはあまりにも時間が足りない
よって今は、碇シンジという名の少年
彼の心の補完について語ることにする』
つまり、一番重要な「シンジの場合の補完の詳細」は、実はテレビ版で既にやっているのです。
此処に、エヴァンゲリオンを巡る、最後の誤解の正体があります。それは、誰もが知るであろう、エヴァの最終回について。
テレビ版の最終回は精神描写を扱っており、視聴者は混乱の渦中に叩き落とされました。しかし、テレビ版最終回は本来、劇場版の「一部分」であり、劇場版の描写は、「テレビでやったこと」を前提としている節があるのです。
言葉を替えれば、テレビ版と劇場版は、「二つで一つの最終回」とも言えるでしょう。
つまり、テレビ版を「偽のエンディング」、劇場版を「真のエンディング」として扱ってしまうと、何が起こっているのかわからくなる可能性が高い。それが、エヴァンゲリオンの解釈を難しくしているのではないでしょうか。
ということで。必要な最後のピースを埋めるため、今一度寄り道をしましょう。
次回、テレビ版25話「終わる世界 (Do you love me?)」。