神聖かまってちゃんだけは、いつも私の味方でいてくれた

「○にたい」なんて言ったらBANされちゃうかもしれないくらい、デリケートになってしまった世の中。

Instagramなどをみているときに「○」という文字が黒く塗られているのをよく見かける。

たしかに、鋭くて扱いの難しい言葉だ。

私は一度だけ、親に「○にたい」と言ったことがある。

長引く体の不調、突然襲ってくる大きな不安、キャパオーバーする自分の脳、何もかも全てが嫌で、普通に生きることができなくなった自分が嫌で、それから解放されるために、小さな脳みそで「○にたい」というワードを思いついたのだと思う。

もちろん親には「そんなこと言うのやめて」って言われた。

そりゃそうだよな、比較的愛されて育ったはずだから。

わかってる、わかってるよ。

わかってるよ、わかってるって……そんなの……

「いちばん言いたくないのは私だよ」

まあ当時のことを考えると見事に自分勝手な発言だとは思うが、一人で苦しみを抱えるのに疲れていたのだと思う。

それから「○にたい」を自分の中で何度も反芻しながら、時間をかけてゆっくり消化することしかできなくなった。

真っ暗な部屋の中で、ベッドの中でうずくまって、声を押し殺して、大粒の涙と鼻水を垂れ流す。

声を押し殺さないと、また親に心配される。

「○にたい」なんて言えない。

ひとりぼっちだ……

真っ暗闇で、ひとりぼっちで、頭を抱えて、うずくまって、アイツがいなくなるのを待つ、私は弱い人間。

このままひとり、消えていければいいのに……

ある程度落ち着いたとき、神聖かまってちゃんの「天使じゃ地上じゃちっそく死」を聞いた。

会社の帰り、比較的健康なとき。

歌詞はシンプルだけど、深く刺さるものがあった。

アイツにナイフでブスブス刺されている時の私と同じだった。

かゆいかゆいかさぶたまみれの私の隣に、じっと体育座りで寄り添ってくれるような優しさと、お互いの痛みを分け合い共有し合うことができるような歌詞。

心のどこかで「○にたいと思ってはいけない」と思っていた自分が昇華される気がした。

それと同時に、アイツも帰っていく。

アイツは、ひとりぼっちのやつを狙うずるいやつだから。

神聖かまってちゃんの曲は、今回紹介したもの以外も優しくて、切なくて、鋭くて、でも温かい曲がたくさんある。

きっと、私たちをひとりぼっちにしないようにしてくれるための、ヒーローなのかもしれない。

私にできる恩返しは、いまのところ「曲を聴くこと」と「ライブに行くこと」くらいしかない。

後者は体が元気になったら、ゆっくり呼吸ができるようになったら、いつか………



2023.6.24.
よなかのかきなぐり、おきもちひょうめい
あと神聖かまってちゃんが好き。

おやすみ


2023.12.18.
こんな下書きを見つけました!今のところ1月のライブに行く予定です!よかったね!過去の自分!


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