クソです。しにましょう。

いいわけあるかよ。嫌なんですよ。軽々しく死ぬって言うの。言えば言うほど軽くなっちゃうじゃないですか。でも、言葉の逃げ道として一番大通りで近道なんですよねこの言葉。まあだからなんだって話だが。

自我を取り分けました。昔。
本気で痛い話だからうわ〜、、、笑
と思って読めばいい。

中学ぐらいの頃自分は自分という自覚を持った瞬間からめちゃくちゃ暗かったから、これまでの自覚を持たなかった明るい自分を保つために思考を二分させようとしたんですよ。

明るい方を私(正確にはウチだがノイズなので私とする)。
暗い方を僕として、考えるようにしたんですよね。浅はかですけど。
根本は暗いく周囲根こそぎ恨んでるが、そうも言ってられないので(机に死ねだけで大きな死の字は書いてたが)明るい自分を作ろうと、というかこっちを主人格にしようとして、暗く鬱屈とした感情や気分は全部全部全部自分の感覚から遠い僕として押し込めたんですよ。
この感情は別の人格の感情であり、自分は本来明るいものだ!
これは別の人格!
自分ではない!
自分ともう1人の感覚!感情!考え!
明るい私ではない!

どんどんおかしくなりましたね。
まず、明るい自分に自我が移れば映るほど、スッカラカラの中身が気になって、明るい人格の中でバグが生じ始めました。自分の自信の喪失ですね。
自分はこうであるはずなのに?自分は今こう出来ているが、本当は、本当は何もないんだ。と、明るい自分という側だけ作ったので中身が伴いませんでした。明るい人格の形成の失敗です。自我は半分移ってしまったのに。
では、暗い方は?
形成するまでもありません。明るい人格の中身はこいつに詰めてしまっていました。元々全部暗いからです。しにたかったです。それを詰めました。僕は出来損ないで、暗くて、努力が必要で、何も出来ません。何も持っていません。全員にしねと思っています。わけもわからず恨んでいます。産まないで欲しかった。こんな奴です。

要は、根本の原因を特定もせず別人だと鬱屈を全部僕に押し付けておきながら、後付けの人格形成私に失敗し、損失だけを残しました。明るい人格の私には既に自我が宿っており、僕に残った自我とは相反します。ですが、どちらも自分です。
どちらも自分が嫌いで、方や上部は明るく、両者中身は真っ暗です。
救いようのない人間の誕生です。


私はいまだに心の中で自分が呟く時、「僕は」を主語とします。結構中身が強かったんですかね。あえて押し付けた僕という人格が結局主人格になりました。今も尚。僕は僕です。

嫌ですよ。いつか自分が男になりたかったんじゃないかと勘違いしてしまうような一人称。また新しい、自分の何かを生み出してそいつに頼ろうとしてしまいそうで、嫌。これが残る限り何も変わらないのに。


別に多重人格です!
ってことじゃなくて、違うし。これは、自分の中でそう思い込むようにしただけでどれもこれも自分で、でも分けて考えたからごちゃごちゃでぐちゃぐちゃになってあーあもうめんどくさいな。やめちまえよ何もかも。人はこんなに複雑に出来てないし、そんな必要なんかないんだよ。
ダサいな。無様だな。やめちまえ。


僕はただ理想の自分が欲しかっただけだ。

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