わたしが支えてもらったもの。
誰かのために働くことで、承認欲求を満たしていた時代があった。
全力で働いて、ほとんど終電や、電車もなくてタクシーで帰るのがザラだった頃。
毎日すごく疲れてたけど、そうやって働いて、上司に認められることでだけ、自分を満たすことができた。
そこから何年も経った今、残業はほとんどしない。
昔は15時間労働とかしてた(しかもそれを自慢してた…)けど、今は8~9時間。
前の半分じゃん!と思ったら、すごくぞっとした。
そして先月、持っていたうちのひとつのチームが私の手から離れた。
初めは、私から取らないで!と悲しいや悔しいや怒りがわいた。
それも、いちいち向き合いながら、やっと手離せるようになった。
と思ってたら、昨日また新しいリーダーに言われた。
あの仕事も引き継ぎます。って。
あの仕事とは、別に誰がやってもいい、ただのルーティーンのようなもの。
だからそこに何のこだわりも、執着もないはずなのに、また怒りがこみ上げてきた。
この人が悪いんじゃなくて、私の問題。
まだ出てくる、怒りと悔しさ。
ちょっとその感情をよく見てみた。
私は今、他にやりたいことができたから、会社を辞めたい。
なのにどうしてすんなり渡せないの?
明日会社を辞められてもいいくらい、もうここには何の執着もない。
全部やりきった。
あんなに嫌だと思ってたけど、今は感謝しかない。
なのに、なんで?
考えてたら、答えが降りてきた。
私にとって、猛烈に働いていた頃、上司に認められることで承認欲求を満たしていた頃、それが私の唯一の支えだった。
例えるなら、足を怪我してて松葉杖で支えないと倒れちゃう。
そんな感じ。
だからその時の私には、人に認めてもらうことが、承認してもらうことが必要だった。
でももう私の足は怪我してない。
松葉杖はいらないの。
今、怪我をしていて松葉杖を必要としてるのは、新しいリーダーになる彼。
彼は以前のわたし。
だから見ていてイライラする。
ぼろぼろに疲れてるくせに、新しく任されて、目はキラキラしてるから。
見ていて痛々しい。
見せないでよ!痛い!
ここに反応してたことに気付いた。
でも、私も松葉杖の時代があったから、ニコニコ笑って働ける今がある。
あの時をすっ飛ばしてたら、今はない。
だから、松葉杖を渡すときなんだ。
足、治ってるよ。
ずっと杖を持ってたから、それがないと歩けないと思い込んでた。
ハイジのクララが、車いすから立てないと言ったときみたいに(笑)
杖が必要な彼に渡さなきゃ。
引き継ぎますね。よろしくね。って言おう。