真冬の道東を1人で訪れて。
大学4年生の冬。
すべてにおいて「学生最後」がつく日々。何にも縛られず、進みたい道を自由に歩み過ごす日々。色々な選択肢がある中で、僕はバックパックを背負って旅に出た。
真冬の2月初旬。僕は旅に出た。行先は僕が小さい時からずっと行きたかった北海道の知床。知床、網走、阿寒湖、釧路、札幌、仙台を10日間かけて旅をした。
今回のnoteを出そうと思ったきっかけは、社会人になったばかりの4月だった。きっかけは2ヶ月前に行った知床で起きた悲惨な事件。連日のように映し出される好きになった街。そして「知床・ウトロ」という地名。何年も行きたいと思い続けていた場所を訪れて、ウトロが好きになった。また行きたいと思える場所になった。そんな場所で起きた悲惨な事件。だからこそ、道東を10日間回って書いたメモをnoteで公開しようと思った。
知床を訪れるまで
「知床」を知ったきっかけは小学生の時に教科書か授業中に聞いた言葉のどちらかだった。知床の夏場の写真を見る機会があって、すごく綺麗だと僕は感じた。どの都道府県に属するのか、なにがあるのか、どんな場所なのか、そんな事は全くわからなかったけど「知床」という地名は頭の中に強く残った。
そこから15年近い月日が経過して、僕は大学生になり自分の稼いだお金と残り少ない学生の時間を使って「知床」を訪れることにした。
きっかけは学生団体で離れて一緒に活動していた友人とTwitterでたまたま会話をしていて、お互いに「行きたいね」となり行くことに。きっかけもタイミングも偶然だった。そんなことがきっかけで卒業旅行を兼ねて知床を訪れた。
行くまでは苦労の連続だった。
学生という自由な身分でありながらも、世の中は自由ではなく制限のかかる社会が続いている。北海道に宣言が出され、飛行機は欠航。違う会社の便をとってもまた欠航。おそらく人生最後の自由な身分でありながらも社会が自由を許してくれず、行くまではストレスの連続。
なんとか行けるルートが見つかって、5ヶ月ぶりの飛行機に乗る。見慣れたLCCが並ぶ成田空港ではなく、10年ぶりぐらいの羽田空港で緊張しながらもいつもみる東京の景色から少しずつ離れて知床へ向かう。
知床を訪れて
昼前に女満別空港に到着。
そこから2時間近くバスに揺られて、ウトロに到着した。ずっと行きたいと思っている場所は、お金と時間をかければ半日で行けてしまう世界だった。
到着した日に何もせずに1日目が終わるのが嫌で今回は知床半島のナイトツアーに参加した。行きたいと思っていた知床半島を夜に訪れた。
到着した部屋から一面に流氷が見える。
はじめて流氷を目の前にして、言葉が出なかった。お風呂場からも眺めることができて、流氷を見ながら入るサウナやお風呂は別格だった。大小ある流氷が波の影響で頻繁に揺れて、お互いがぶつかり合ってまるで生き物かのようずっと動いていた。
訪れる数日前に今シーズン初の流氷が訪れたらしい。
今年はダメかもしれないと思っていた矢先の出来事だったとガイドさんから伺った。僕たちのような訪問者が見る景色は「あたりまえのようにある景色」ではなくて、「たまたま見れた景色」だと気づかされた。
雪の降る夜。
ライトもほとんどない知床半島。スノーシューだけを履いて他の装備はつけずに雪が何十mも積もる中を歩き始める。暗闇に目が慣れてくると雪が淡く光るように見えてくる。ふと動く事をやめると音が1つもない世界が広がっていた。鳥の鳴き声、動物の動く音、何も音がない世界が広がっていてそこはまるで異世界だった。それは時間を問わず昼間でも同じ世界が広がっていた。
昼間になると動物の足跡や動物がいた痕跡がたくさんあって動物が自分達がいまいる場所に本当にいることを実感した。夜間は会うことができなかったけど、昼間は鹿に会うことができて人間にびっくりすることなく餌を食べ続けていた。人間と動物は壁があるとずっと思っていたけど、案外壁なんてなくて人間が一方的に壁を使って避けてしまっているだけなのかもしれない。
網走監獄を訪れて
網走で友人と別れて1人旅に。
網走に網走監獄があるのは知っていたが、特に理由もなかったから訪れるか迷っていた。母親が言っていたすごく良かったという言葉と、バイト先の社員さんが行ってみたいと言っていた言葉を思い出していくことを決めた。
想像を遥かに越えた。行く選択をして良かったと思えた。僕たちが旅をして何気なく車で通る道、当たり前に歩いている道はもしかしたら死者を出してでも完成させた道かもしれないという事実を知ることができた。
実際にネットや画像で見るよりも1つ1つが大きくて、歴史があって全部を回るのに3時間もかかった。目だけで見るだけじゃなくて、自分の足で目で手で匂いで感じることができた。
たくさんの人や生き物、たくさんの歴史の犠牲の上に僕たちが成り立っていて今の当たり前の生活がある。僕たちの当たり前は当たり前ではなくて、誰かが必死になって作り支えて、守ってくれいるからこそある。それを忘れちゃいけない。
流氷が消えた網走
知床では流氷に触れて乗ったり楽しんだ。
網走に来た本当の目的は、流氷砕氷船に乗って無限に広がる流氷を上から見たかった。ワクワクドキドキしながら前日に眠りについた。
当日の起きて予約サイトの情報には「流氷なし」の文字。乗り場まで行って海を眺めた。昨日までは所狭しと当たり前に広がっていて、溢れるほどあった流氷たちが1日にしてどこかに姿を消していた。
船に乗っても流氷が現れることはなく、今にでも無くなりそうな数個の流氷や取り残された流氷たちが浮いていた。本当に流氷が網走から消えていた。そんな時に僕は知床でのツアーに参加した際のガイドさんの言葉を思い出した。
「今見ている景色は今日だけの景色で、明日にはなくなっているかもしれない。この景色が毎年あるわけでなく、来年にはなくなっているかもしれない。」その言葉が浮かんだ。本当にその言葉の通りだった。自然はいつなにが起きてもおかしくない。それが当たり前の世界。僕たちが今目にしている景色が当たり前ではない事実を知った。
そんなことを考えながら時間は過ぎていき、流氷には出会えず車窓から流氷のない網走眺めてを離れることに。でも、小さい頃に見た名前を覚えていて「いつか行こう、いつか行きたい」で終わらせずに、「いま行く選択」をして、自分の足で訪れて、知床や網走そして道東に来れて良かった。
網走から釧路への大移動
在来線に乗って4時間も電車に揺られての大移動。僕はいま道東を旅している。知床・網走・釧路・阿寒湖・旭川・札幌・仙台とひたすら移動している。まだ折り返し地点にも到達していない。
旅をする時はいつもパソコンを持ち歩く。理由はやることも、タスクもあるから。友人に言うと旅や旅行の時ぐらい旅を楽しんだら?と言われたことがある。もちろんそれも正解。でもこの電車移動を通してわかったことがある。
僕は旅をしているけど、旅一色に染めたいわけじゃない。旅をすると「非日常」の空間、時間にすべてが切り替わる。見たことない景色、初めて見るもの、初めて触れるもの。そんなモノを経験したくて僕は旅をしているのだろう。でも僕にも「大切な日常」はある。友人と連絡を取ったり、タスクをしたり、他にもたくさんのやりたい事がある。
だから「全てを非日常」にはしたくない。日常の中に「非日常」が混じっていると楽しいように、非日常の中にも「日常」を入れて僕は旅をしたい。だから非日常の中にあるパソコンと向き合う日常の時間は嫌いじゃないし、むしろ好きなくらいだ。
釧路湿原を訪れて
何があるのかわからないまま釧路に。
夜に色々と調べて1時間に1本ほどしかないバスに乗って釧路湿原に。展望台から見ると一面に雪景色が広がっていて、奥には山々が連なっていた。すぐ横を向けば住宅街や市内が広がっていた。地図を眺めているとおじさんたちが色々と教えてくれた。それに従うかのように散策ルートに。
湿原の中を遊歩道で歩くと動物たちの足跡、木屑が落ちていて知床で感じたと同じように動物たちと人間の壁がない場所だった。
釧路湿原の中の展望台へ行くと一面何もない光景が広がった。音のしない世界が現れた。かすかにどこからか鳥の鳴き声が聞こえるだけの世界。ずっとぼーっと景色を眺めていた。
先程色々と教えてくれたおじさんたちも展望台に現れた。また湿原について色々と教えてくれた。僕は1人旅をしているけど、1人じゃ何も生きていけない。誰かに教えてもらって、支えられて、助けてもらって日々生きている。
冬で散策ルートが半分閉まっていたり、雪一面の景色だったからまた夏に訪れてたくさんの木々が生い茂り、様々な生物がいる夏の湿原をまた自分の目で見に行きたい。
行きたかった阿寒湖に
僕は1月下旬に阿寒摩周湖を巡るモニターツアーに当選していて、参加予定だった。だけど北海道に宣言が出されだことで予定が白紙に。どうしても行きたかったツアーだったから当たった時はずっと喜んでいたけど、白紙の連絡がき来て1月下旬は落ち込んでいた。
今回の行先には入れていなかった。それでも自分のお金と時間を使ってでも行きたくて、釧路から路線バスに2時間以上揺られて阿寒湖に。
予約した宿は僕がいままで泊まった中でも1番良いホテルだった。大浴場には温泉がたくさんあり、スタッフさんも丁寧に案内してくれて、部屋の空間も全てが快適だった。
朝1番に阿寒湖で見る空はすごく青くて、知床・網走・釧路とどこで見た空よりも青くて透き通っていた。温度を見たら-10度。どこよりも寒く感じた。温泉街らしく温泉の湯気が町中至る所から出ていて、足湯があったり硫黄の匂いもして温泉が好きな僕にはすごく居心地の良い空間だった。
でもお店は閉まっている場所が多くあって、どの時間帯でも閑散としていた。行きたかった街だったけど、いま起きている現実を知って悲しくなった僕がいた。
阿寒湖で見た花火
人と会う機会が減り、とこでもマスクをして、笑った顔を見ることが当たり前ではなくなった世界になってからもうすぐで2年。
いろんなものが延期、中止になってきた。理由はみんな「コロナ」それだけ。そんな世の中になってからすっかり見なくなってしまった花火。花火を見たのはいつぶりだろうか。
純白の景色が広がる中で打ち上がる花火たちはすごく綺麗だった。花火の上には無数の星が広がっていて、星なんていつぶりに見ただろうか。
こんなご時世という言葉は好きじゃないけど、こんなご時世の中で花火が見れたのは幸せだった。お店も、街も閑散としてて物音がない街。それでも快く迎え入れてくれる人や場所があって、すごく優しさを感じる道東旅。お金も時間もかかったけど、それでもかけてよかった。
アイヌコタンを訪れて
アイヌを知ろうと思ったきっかけは東京五輪。開会式か閉会式にアイヌの映像が流れて、学んでみたいと思った。知ってはいるけど、それだけだった。
実際にアイヌコタンを訪れて、色んな彫刻を見たり、歴史について学ぶ事がしたかったけど、学ぶことはできなかった。理由はこのご時世でどこも閉まっていたから。なんでもこのご時世が理由で学ぶ場がなくなり、可能性がなくなり、我慢という選択しかできなくなるこの世の中がすごく悲しい。
歴史を学び、話を聞き、大好きな日本、自分の知らない日本についてもっともっと知って学びたい。
札幌を訪れて
出会ったのは2年前の2020年1月。
場所は縁もゆかりも無い地の名古屋。「はじめまして」から始まった。3つも離れているのに普段話をしない僕の話を聞いてくれて、励ましてくれて、たくさん声をかけてくれて、たくさん救ってくれた。
いつしか連絡を取らなくなって、2年が経った。お互い大学生になり、僕は卒業が迫る大学生で、彼女は大学生1年生になっていた。
今回の卒業旅行を兼ねた道東旅。道東地域を巡って帰る方法もあった。でもせっかく北海道という離れた地に行くから会おうと連絡した。それで札幌を訪れた。理由はそれだけ。生きている限り「いつか」会えるだろうけど、「いつか」じゃなくて「会いたい」と思った今回、僕は彼女に会いに行った。そして友人たちの待つ仙台に。
1人旅を終えて。
北海道の道東にある知床・網走・釧路・阿寒湖、札幌、仙台を10日間かけて訪れた。知床での3日間は友人と過ごして、網走〜札幌の7日間は1人旅に出た。
1人旅を経験して感じた事がある。「1人では何もできないということ」だ。北海道の大きな地域を1人で旅した僕は右も左もわからなかった。場所がわからない、道がわからない、どこにバスが止まるかわからない。旅中はたくさんのわからないの連続だった。そんな時に人間は1人では生きていけない。そう強く実感した。
だから僕は「聞く」という選択をずっとしていた。東京にいた時なら絶対に取らなかった選択だと思う。ホテルの人に聞いたり、お店の人に聞いたり、電話で直接問い合わせをしたりして人に聞くことを毎日毎日続けていた。道東いる間は情報収集で基本1日1回は電話をしていて、誰かに何かを聞いていた。〇〇行きたい、〇〇をしたい、〇〇はできますか?と聞く内容は毎回バラバラ。それでもみんな丁寧に返してくれる。お金が発生している時は当たり前かも知れない。でも、お金が発生していなくてもみんな質問に丁寧に答えてくれて、+の情報も教えてくれたりする。みんなが優しくて、すごく丁寧だった。
特にそんな優しさを感じていた釧路。前日にホテルでの案内、朝食の案内が丁寧だった。だからホテルを出る前にアンケートに「朝食美味しかったです。カーテンだけでなく二重扉、2段ベッドがあって荷物がおきやすかったです。ありがとうございました。」と書いて部屋に置いて帰った。ちょっとした心遣いかもしれないけど、書いた本人の僕があたたかい気持ちになった。
話は変わり、
ホテルを後にして釧路湿原へ向かった。地図を眺めていたらおじさんが教えてくれて、展望台で再会した時は「さっきの」と言われて、また色んなことを教えてもらった。
帰りのバスに乗る前にお年寄りの人がバス停前に雪があってゆっくりと段差を降りようとしていた。僕はごく普通に手を差し伸べて助けてあげた。「ありがとう」とお礼を言われた。たったそれだけなのに僕がバスを降りる前にまた「ありがとね!」と再度お礼を言われた。すごく嬉しい気持ちになった。人は1人では生きていけない。だから協力して生きていかないといけない。だからこそ、感謝を言葉にしていかないといけないと強く感じた旅だった。ありがとう北海道。ありがとう道東。また行きます。
【あとがき】
~知床での悲惨な事件を知って~
最寄駅から車で40分。
空港までは車で2時間。
ウトロはそれほど離れた場所にあって、東京から行くのに半日はかかる。本当に小さな町で冬場は何もなかっあ。だけど人の暖かさに溢れてて、自然と肩を並べて生活していて本当に素敵な町だった。
ガイドさんが言っていた言葉がいまでも記憶に残っている。「いま見ている景色は明日、または来年にはないもしれない。自然とはそういうもの。」自然に生かされながら生きていて、共存していかないと生きていけないと僕は思った。
今回の事件で会社の管理や責任がなど、沢山の意見が出てる。だけど間違いなく知床=今回のニュースになってしまうことが悲しい。ウトロは本当に素敵な場所で、見たことのない景色をたくさん見せてくれる。ずっと埼玉に住んでる僕に沢山のことを教えてくれた。
僕たちが自然に勝つことはできない。自然はいつまでも形を変えず待ってくれてるわけじゃない。いつ何があってもおかしくない。だから形が崩れる前に少しでも早く行きたい場所へ自分の足を使って訪れたい。またウトロへ行きたい。僕は今回のニュースを聞いてそう強く思った。