残り14日。
2020年2月19日。
僕が人生の中で忘れることができない日だろう。
一睡もせずに外が明るくなった。ご飯も風呂に入ることも惜しんだが、朝を迎えると同時に悔しさがこみあげてきた。やりたかったことが終わらぬまま朝を迎えた日だった。間違いなくこの日がなければいまの自分はいない。
当日が来る。決まった時間にはワクワクや期待を持っているお客さんがやってくる。現状できることを尽くして満足のイベントを作るために動いた。ロビーの役割を終えて、片付けをお願いして、舞台の後ろに席に着いた。そこからの記憶はない。何日間徹夜していただろうか。DREAMのプレゼンも、WORLDのプレゼンも全部寝ていた。目が覚めたら、代表挨拶だった。東京代表の文ちゃんが前に出てきた。
本日は誠にありがとうございました。
この瞬間に、
僕たちのBackpackFESTA2020東京は終わった。
沢山の思い出がこみ上げてみた。「やっと」と言うべきだろうか、「ついに」と言うべきだろうかTABIPPO東京支部2020は終わった。1階ロビーで誘った友人と話した。「すごかった!」「めっちゃ良かったよ!」そう言われてすごく嬉しかった。自分作るイベントに友人を呼ぶ経験がいままでなかったから、この時ばかりは嬉しさに浸った。
そんなことをしているうちに、舞台で東京支部だけで集まった。最後のMTG。みんなが集まりイベントを終えて、言葉にする。友人からの言葉で、少しの嬉しさに浸っていた。だが、座った瞬間からずっと涙を流した。まだ誰も話していない状況から、僕はずっと涙が止まらなかった。いくら涙を流そうと、悔しさを感じようと、後悔が出てこようと、「大地は頑張っていたよ」と言われようが終わり。「東京支部が作るBackpackFESTA2020」は終わった。もう過去には戻ることはできない。
最初で最後の写真。
この時ばかりは笑顔になったが、この後はやっぱり泣いた。ロビーで集まって話しているときも悔しくて、金子に向かってずっと泣いていた。ここの舞台では泣いた思い出が詰まっている。見上げた客席は大きくて、静かで、夢を見ているような感覚だった。
その後の飲み会。
僕はまたひたすら涙を流した。イベント統括、コンテンツ統括、代表陣の言葉を聞いて涙が止まらなかった。ひたすら泣いた。お手伝いに来てくれて他都市スタッフと話していても、僕は泣いていた。だから友人には後悔しないように残り数日を全力で頑張れ。俺も大阪に手伝いに行って、できることは全部やると告げた。この3日後、仲間を助けるために僕は大阪へ向かった。
翌日の飲み会。
めっちゃお酒を飲んだ。ご飯も食わず、水も飲まず、ひたすら時間に追われて過ごした数日。それを取り返すかのようにご飯を食べて、酒を体に流し込んだ。睡眠時間は2時間とかなのにひたすら飲んだ。でも、僕はまた泣いた。悔しくて、悔しくて、どうしても悔しくてまた泣いた。もう戻ることはできない。終わった時ぐらいイベントの達成感に浸ればよいが僕はいつの間にか泣いていた。涙が止まらなかった。下手くそだけど、後悔を言語化した。
2500人以上の席。
とにかくでかい。そんな魔物と戦った。でも、勝つことはできなかった。僕はまだまだ未熟であった。イベントは想像以上に一瞬で終わった。「え、終わり?」そんな感じで終わる。そしてすぐさま東京支部は解散。終われば僕たちの活動は終わる。僕も今年は翌日から、スーツを着て走り回り日々が来る。毎日ひたすら来る通知、情報が逐一変わり追われる日々、沢山来るメンション、永遠と終わらないタスク、そんなものはその日を境に一瞬で消える。意外とあっけない。
3月22日。2年目を決めた日。
僕は前代表にメッセージを送った。そしてこの日から2年目として活動した。いたのはぐっちだけ。決して楽な道のりではなかった。想像以上にしんどくて、先が見えない中で2年目が始まった。そんな中で学生支部の活動も始まり、苦労ばかりだった。でももうそんな生活も終わってしまう。
ちょっと自慢。
いまの東京支部メンバーを対応していたのは、この2人です。東京だけ代表がいない中で、250人近い説明会参加申し込みが来て、ストップさせて、そしたら他の都市に東京の子が流れて、DMやメールでも問い合わせが来て、そんな中で説明会を開催して、岩津が東京代表という選択をしてくれたと同時にキックオフも準備して、なんとか7/12にキックオフして、TABIPPO東京支部2021が始まった。そんなことをしていた2年目の僕ら。今まで言葉にしたことはないが、ここで言う。東京支部希望の子の対応を他支部のスタッフに任せることが絶対に嫌で、他支部の人に大きな助けは求めなかった。「助けるよ」と言われても、助けは求めなかった。東京の子は東京でやると決めて、ぐっちとひたすらやっていた日々。がむしゃらに動いた。いきなり上の立場になって、右も左もわからぬまま混乱する余裕もなく進んだ。
2年間一緒にいるけど、ぐっちと唯一の写真。普段も全然話さない。腹を割って話すこともほとんどない。でも僕は圧倒的に信頼している。この人がいなければ、僕は「2年目の選択をすること」もなかった。そして、「2年目の活動を辞める」選択をしていた。
最後に
正直な話、このイベントに大きな自信を持てていない自分がいる。オンラインというも少しはあるかもしれない。だけど僕が広報関連を担当しているのが大きいだろう。「イベントを作る」ではなく、「イベントを作る上での準備」をしている。BackpackFESTA関連の記事、バナー、発信文、note、当日までの流れ、当日のリアルタイム発信準備などを役割としてやっている。やっと当日の準備を始めた。だけど、色んなお客さんが感動するような「イベントを作る」ことは一切関わっていない。「感動させるまでに必要なこと」を必死に作っている。大切な部分は仲間に託している。仲間同士ですら毎日会えない日々を過ごしている。それが不安や自信に繋がっているのかもしれない。だから「イベントを作る」ことを担当している子には全力でやってほしい。満足いくような、全力でやり切った、お客さんが参加して良かったと言えるようなイベントを作ってほしい。あなたたちの頑張りで、多くの人の評価が決まる。あなたたちが作るイベントのために、他で動いている人がたくさんいる。当日は一切関われないなかでやっている人もいる。すごいものを作ってくれると信じて動いている仲間がたくさんいる。僕はあなたたちが作るイベントが素晴らしいもので、多くの人を変えられるイベントであることを信じている。
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