BackpackFESTA 僕らは旅ができる時代に生まれた 東京支部での悔い
こんにちは。だいちです。
だいぶ時間が経ってしまったのですが、1回目のnote投稿でかなり多くの人からコメントをいただきました。
Twitterで多くのいいねやリツイートなどがあってすごく嬉しかったです。
自分の1年間の記録として書いたnoteだったので、ここまで多くの人からコメントをもらえると思っていませんでした。
今回はBackpackFESTA(BPF)について書きたいと思います。
前回の内容とは違ってBackpackFESTAを通しての後悔などを書きました。
BackpackFESTA2020
2/19 BackpackFESTA2020東京が閉幕しました。
それと同時に東京支部としての1年間の活動が終了しました。
僕は当日4階オリエンタル(アジア)フロアで責任者をやっていました。
2020年度東京支部として自都市の活動が終わっても2/25大阪、2/27福岡のBackpackFESTAにも参加して運営のお手伝いをしました。
2020年度BPFは名古屋・東京・大阪・福岡に運営側として参加しました。
嬉しいことに全会場に友達が来てくれました。
久しぶりの再会が多くありました。会場でゆっくり話すことはできなかったけど、自分が頑張っているイベントに友達が来てくれることはすごく嬉しかったです。
参加した数が4都市と少ないですが、僕の日程上これが限界でした。
(BackpackFESTA2020福岡)
感謝
当日会場に来てくれたみなさん本当にありがとうございます。
各都市のBackpackFESTA2020はどうだったでしょうか?
ロビーでの様々なゲストさんによるトークイベント、DREAMやSHINEやWORLDなどの舞台はどうだったでしょうか??
たくさんの感想を聞かせてください。聞いてみたいです。
今回のBackpackFESTAのテーマは、
「僕らは旅ができる時代に生まれた」
この言葉を聞いて参加したみなさんはどう思い感じましたか??
旅に行きたくなったり、行ったりしましたか?
旅という新たな選択肢があなたの中にに入ったでしょうか。
旅を通して様々な事が伝えられたでしょうか?
どうなったのか僕にはわかりません。でも旅というものを通して何かしらのきっかけになったり、ここで知ったことや学んだことが多くの人に届いていると信じています。
BackpackFESTA2020に来てくれてありがとうございます。
(BackpackFESTA2020東京パンフレット)
BackpackFESTA2020終演
(BackpackFESTA2020東京ロビー)
最強と感じた東京支部
決して東京以外の他支部を下に見たり、馬鹿にしたりしているのではありません。素直に僕が感じた事です。「自都市だからだろう」と思う人もいると思う。それは違います。自分が運営側として参加した名古屋・大阪・福岡のBPFを回って自分が感じたことです。
僕も自都市で活動している時は東京支部が最強だとは思いませんでした。
自都市の活動が終わってBPF大阪・福岡に参加して、改めて東京支部が最強だったのだと感じました。
「何が最強なの?」「そこがそう感じるの?」など思う人も多くいると思います。全部ではないけど話そうかなと思います。
・BackpackFESTA2020東京を通してのCONCEPT・MISSION・VALUEが
しっかりと定められていた。
・常に求められるレベルが高かった。
・驚くほど成果主義を貫いていた。
・組織を動かす人が代表陣以外に複数人いた。
簡単にまとめるとこれだと思います。まだまだあると思うけど挙げたこれらは強く感じました。
なぜ最強だと感じたのか。
BackpackFESTA2020東京を通してのCONCEPT・MISSION・VALUEが
しっかりと定められていた。
よくわからないですよね。他都市でもBPFでの目標やなってもらいたい姿など決まっていたことなどはたくさんあると思います。でも東京は他とは違うなと思うところがありました。是非これを読んでみてください。
僕が作ったわけではありません。たしか細井さんだったと思います。
CONCEPT・MISSION・VALUEがしっかりと詳しく定められています。これがあるからこそ友達を誘いやすいことはたくさんありました。
自分の中で曖昧だったところがはっきりと書かれていて、何かあればこれを見て再確認することができました。だから自分はしっかりと軸をぶらすことなくすることができた。
今になってBPF全体を見てみると、当日のスケジュールやゲストさん詳細、魅力まとめ、完全攻略などは記事として他都市でもありました。
でもここで挙げた記事のようにBackpackFESTAを通しての未来やイベントを通してどうなってほしいなど、お客さん目線にわかりやすく書いた記事はないと思います。
驚くほど成果主義を求められていた
東京支部は1年間を通して成果主義の組織でした。
成果を求めるあまりにおろそかになっていると感じることもありました。でも成果を求めるからこそ、他よりも基準というものが高かった。
僕はそれについていくのに必死でした。でもあそこまで常に成果を求めているからこそ、頭を毎日使い考けた日は人生の中でわずかしかない。
成果とは表現しにくいし、決まった形もない。
でもそれを追い続けることができる組織は少ない。しかも学生だけで。
それを1年間続けれた東京支部は最強だったと感じる。
成果主義の組織だからこそ熱狂できた。中学・高校の部活動以来の熱狂。
(BPF前日、深夜まで必死に作業)
組織を動かす人が代表陣以外に複数人いた。
僕はTABIPPO東京支部での1年間を通して、組織を動かす人にはなっていないと思います。でもその人たちの下で動き、サポートなどを行っていました。
もちろんこれをやる事でデメリットもたくさんあると思います。
固定メンバーになってしまう可能性が高く、全員でやるということが薄れてしまうなどたくさんのデメリットも存在すると思います。
どの組織にも完璧はありません。メリットもデメリットもたくさんあります。
すべてが良い組織は存在しません。そう考えると今年の東京支部が行ったやり方は、選択肢の1つであり正解・不正解を決めることはできないと思っています。
でも東京支部は1年間を通して成果主義を貫いていました。
それを考える終わった今ではうまくいっていたと自分自身は思います。
そのため他支部のBPFサポートに行っても動ける人が複数人いました。
自分はBPF大阪でけーすけの下についていました。東京の時よりもはるかに大阪では動けました。常に成果主義を求められていたから、やることや時間管理などが理解できていたので、素早く判断して行うことができました。
だから東京の時よりも大阪の時の方が会場中を走っていました。(笑)
他都市の舞台を引っ張っていく人、
他都市で監督陣並みの情報を把握して全体指揮をとる人、
大人数を抱える客席誘導の先陣で引っ張っていく人、
などたくさん先陣に立って引っ張っていく人がいました。
そういう姿を見て今年の東京支部は最強だったんだなと感じました。
これらの多くの部分に気づくことができたのは、活動中ではないです。BPF大阪や福岡にお手伝いに行ったからこそ気づくことができました。
活動中は東京支部が最強だとは思わなかったし、考えもしませんでした。
そんな最強だと感じた東京で僕は後悔があります。
最強だと感じた東京支部を1年間引っ張ってくれた
石川文太・西脇謙志・細井大輝の3人に
最高の景色を見せることができなかったこと。
石川文太・細井大輝は2年間、西脇謙志は3年間TABIPPOに関わっています。
3人とも今回で学生支部での活動は終わりでした。
だからこそ悔しかった。今回が本当に最後だった。
他には当日オリエンタルフロアの責任者として動いていたけど、責任者としてロビーを自分が満足するものにできなかったことです。
史上最強のロビーにすることができなかったこと。
最強になりきれなかった後悔
ここまで東京支部は最強と感じると書いてきました。
でも自分はBackpackFESTA東京では最強にできなかったと思っています。
まとめると2つの後悔があります。
1. ロビーを史上最強にすることができなかった。
2. 東京支部の3人の代表を最高の形で送り出すことができなかった。
最初に書いておこうと思います。
ロビーでの「史上最強」や代表陣への「最高の形」などには決まった形は存在しません。自分たちが「史上最強」や「最高の形」などと思えばそれで終わりです。完結です。
【ロビー】
僕はロビーで1つのフロアの責任者を任せてもらうことができました。
TABIPPOに入って初めて責任者という重要なポジションをもらえました。
自分の中では責任者は重要なポジションだと思っています。
いつもは統括の下についたり、2番目だったりでした。
実際にロビー監督・コンテンツ統括の下ではあるけれど、担当階をまとめて担当階の責任を背負っているため、責任者は僕の中で重要なポジションでした。
だから自都市での最後の活動となるBackpackFESTAでの責任者ポジションは僕にとって最初で最後の大きな挑戦でした。
そんなに重要なポジションをTABIPPOで務めれたことはすごく嬉しいです。
フロア全体を管理して動かさないといけないし、常に連絡を取り合って各フロアとの連携、ほかの人へ仕事をふるなど自分にはかなりの重圧のかかる仕事でした。
結果はうまくチームをまとめることはできませんでした。
オリエンタルフロアの装飾や確認も当日の朝ギリギリまでやっていました。
自分がやろうと思っていたことも終わらないままイベントをむかました。
原因は完全に自分です。責任者の自分です。
責任者としてまわりを動かすと同時に管理がしっかりとできませんでした。
・当日の具体的なイメージができていなかった
・担当階のタスクをうまくふることができなかった
・チームメイトを思いやる配慮までできなかった
・決まったことなどをうまくチーム内で共有することができなかた
などなど。挙げようと思えばいくらでも出てくると思います。
自分の実力不足でオリエンタルフロアを最高のものにできませんでした。
他のフロアはどうだったか。責任者はどう感じたのか。当日に実際に自分の目で各ロビーを見れなかったのでわかりません。
当日の朝、自分はザキとけーすけに怒られました。
最後の最後まで自分のチームをコントロールすることができませんでした。自分の実力・管理不足でした。
ロビーだけじゃくて、装飾のゆかにまで迷惑をかけました。決まっていないことや自分が把握していないことが、実際起きていて多くの人を混乱させてしまいました。
とにかく色んな人に迷惑をかけてしまいました。
だからこそBackpackFESTA大阪の開催日が近いのに大阪から手伝いに来てくれた、やまけんとまおの存在は大きかった。
やまけんとまおがいなければ当日しっかりと運営が回らなかったと思う。
まおに関しては片付けの指揮をやってくれたおかげで自分が舞台を見る時間を作ってくれました。
2人ともありがとう。本当に助かりました。
自分でコントロールしきれないチーム。
チームでの連携がうまくいかない。
本当に逃げ出したかった。辛かった。
でも責任者が逃げ出したらBPFは成り立ちません。崩壊します。ひたすら我慢するしかなかった。
自分の実力不足でロビーを最高にできなかった。
ザキとけーすけがのぞんでいた最高のロビーにできませんでした。
けーすけは今年でTABIPPO学生支部として最後の活動と聞いていた。
ザキは去年を経験してのことや今回にかける思いを直接本人から言葉でから聞いていたからこそ、すごく悔しかった。
【3つの約束】
TABIPPOに入る前に1年間の活動を通しての3つの約束が言われた。
1つ前のnoteに書いていたが自分は信じていなかった。だけど現実になった
1.かけがえのない一生の仲間
2.圧倒的な成長
3.最高の感動体験と一生の思い出
現実になるとは思わなかった。
でも僕の中で1つだけ実現できなかったことがある。
感動の最高体験
これだけが達成できないまま活動が終わってしまった。BPFは意外とあっさりと終わってしまった。
感動の最高体験を感じることができなかった。
感動というよりも、後悔ばかり残ってしまった。
BPFというものは最高の体験であった。TABIPPOでの活動は一生の思い出にもなりました。でも感動ではなかった。それが僕の中で唯一残ってしまった。
(BackpackFESTA2020東京のザキ・けーすけの下で動いたロビー責任者で)
【少し違った後悔】
僕は当日はオールで、前日は2時間ぐらいしか寝ていなったためとにかく眠かったです。だからだと思うけど舞台は寝てしまいました。だから全部見れていません。
頑張っていた舞台チームには本当に申し訳ないです。ごめんなさい。
自分は「舞台すごかった」「舞台最高だったよ」という言葉を何度か打ち上げ会場ででも、東京支部内でも色んな所で聞きました。
僕はこの言葉を聞くとすごく悲しくなり、悔しく感じます。
もちろん同じ仲間が頑張ったから誉めるべき。
舞台はお客さんを巻き込める場所であり、変えられる場所だと思っている。
だからこそ舞台チームに「良かったよ、最高だったよ」など、自分の声で仲間の努力や成功を褒めるべきかもしれない。
そこはするべき行動だと自分でも思っています。
でも舞台がすごかった一方で「ロビーは?」と自分は思ってしまいます。
合宿時ので映像BackpackFESTAクリエイティブの持つ力でゆかが言っていた
装飾がきっかけで何かが変わるわけではないと思う。
でも舞台やロビーにそっと花を添えるような存在がクリエイティブ。
元々ある満足度が80%だったら、いかに5%でも10%でもあげられるかが私たちがやらなければいけないこと。
というようなことを言っていた。
自分もロビーは舞台にとってそのような存在になるべきだったと思う。
監督のザキはロビーの役割を次のように言っていた。
ゲストのトークイベントを聞いてもらって、ワクワクしたり・旅に少しでも興味をもってもらったりする状態にさせるのがロビーとしての1番の役割。そこから舞台に行ってもらう。メインではない。前菜みたいなものだと。
もちろんこれには納得していた。それがロビーの役割と認識もできていた。
でも最強だと感じた東京支部の部分でも話したが、東京支部は成果主義の組織だった。
だからよけに成果を気にしてしまうのだ。よけいに「ロビー良かった。すごかった!」と言われなかったりすると悲しくなる。すごく悔しく感じる。
メインはロビーではない。それは理解している。
けれど舞台が褒められている時に、「ロビーは?」と問いかけたくなってしまう。
もっと評価してほしかった。褒められたかった。
評価やロビーについての発言される機会が少ないことが悔しい。
打ち上げで「舞台すごかった」と言われているのを聞いて、「ロビーは?」と問いかけてしまいたくなる自分もいた。
BPFの次の日の東京支部での焼肉でも同じようなことがあった。
だから僕は悔しくて泣いてしまう。最強にできなかっのだと思って。
もっとやれりことはあったし、ロビーをすごくすることもできた。
BPF1カ月前からザキとけーすけのそばでフロア責任者の立場として、ずっと2人を見てきたからこそすごく悔しい。あんだけ努力して考えて、人数も多く、中々まとまらないロビーを引っ張ってくれていたからこそ悔しい。
最強の基準や明確なものはない。そんなのわかっている。それでも悔しい。
でもザキとけーすけの下でロビーの責任者として活動できてよかった。
楽しいこと、辛いこと、たくさんの迷惑をかけたけど共に過ごせて良かった
たくさんのタスクを振られてこなしたし、睡眠時間を削ってロビーのために頑張った時間は今の自分にとって大事な時間だった。多くのことを学んだ。
ザキ・けーすけありがとう。
#ザキファミリー
(ロビー・装飾チームで)
舞台チームを敵として見ている受け止め方をしてしまうかもしれません。それは違います。同じ目標を目指し一緒に歩んだ仲間です。敵ではないです。
舞台チームがいなければBPFは成り立っていなかった。満足度が高くなることはなかったと思う。
お疲れ様。舞台チームありがとう。
【代表陣】
東京支部 代表 石川文太
副代表 西脇謙志・細井大輝
本当に最高の代表陣でした。
この人たちのもとで活動をできて良かったです。
でも2/19 神奈川県民ホールを満席にはできませんでした。
BackpackFESTA2020東京を満席にすることはできませんでした。
満席がゴールではないです。満席は過程にしか過ぎないです。
自分は以前のnoteにも書いたように第3回全都市合宿に参加して以降から、集客というものに対しての考え方が変わりました。
他の人と比べると、頑張った期間はとても短いです。遅かったです。1年間で見ているとコミット量を増やせたのも後半からです。でも頑張りました。
頑張ったからこそ後悔というものが残った。
頑張らなければ後悔も残らなかったと思う。
それでもやってよかった。頑張ってよかった。
3/1
BPF福岡も終わり2020年度の活動も終了した。
家で1年間の振り返りをはじめていた。
そんな時に代表の文ちゃんのことを考えてみた。
改めて組織というものから離れて1年間TABIPPOでの活動を振り返りしているときに、代表という存在の大きさを実感した。
あの時文ちゃんがいなかったらどうなっていたんだろう
と感じることが多くあった。
自分にとっても、東京支部にとってもかなり大きな存在だった。
そう感じている時にLINEが来た。話している流れで来年度のことになった。
2020年度スタッフで活動できるのは1度だけ。1年間しかない。
話していて改めてそう感じた。そこで最高のものを作りたかった。
石川文太が代表する東京支部はもう存在しない。
悔しいけど満足できる結果ではなかった。
でも本当に多くの事を教わった。僕にとってすごく尊敬している人。出会えてよかった。
代表陣も辛いはずなのに、泣く姿や弱い姿をみんなの前では見せよとしなかった。いつまでも強く、たくましかった。すごく大きな存在だった。
石川文太
https://twitter.com/BuntaIshikawa/status/1229875643594051586?s=20
西脇謙志
https://twitter.com/240ki1124/status/1225820923195875328?s=19
https://twitter.com/240ki1124/status/1225822520953061377?s=06
やっぱり神奈川県民ホールはでかかった。
満席の県民ホールを見てみたかったな。
石川文太
https://twitter.com/BuntaIshikawa/status/1230089031624486913?s=19
西脇謙志
https://twitter.com/240ki1124/status/1231169994282528768?s=20
細井大輝
https://twitter.com/hosoichi07_/status/1231282457732771840?s=20
かぜ・こーだい・ひろこ・あかね
集客・広報陣お疲れ様。ありがとう。
文字にして書いてみるとたくさんの後悔や悔しさがあった。
泣いているのが僕です。
終わったあとの円陣から、打ち上げ、次の日の焼肉などずっと泣いていた気がする。それほど悔しかった。考えれば考えるほど悔しくて泣いていた。
後悔ばかりのnoteになるのは嫌なので自分が好きだったTwitter投稿を載せていきます。
ザキ
https://twitter.com/EeeSnew/status/1226479279841542144?s=06
文ちゃん
https://twitter.com/BuntaIshikawa/status/1226166925094293504?s=20
担当したゲストさん DADA・岳さんhttps://twitter.com/Gaku7771/status/1230293419412471808?s=06
まる
https://twitter.com/tchan_oh/status/1230392245997588481?s=06
https://twitter.com/tchan_oh/status/1230245427078807552?s=06
なんか普通のやり方でやってるのにみんなみたいにTweetを貼れなかったけど、是非見てください。
まとめ
どうしても長くなってしまいました。笑
BackpackFESTAを通しての後悔はみんなそれぞれあると思う。もちろん1年間の活動を通しての後悔も自分はたくさんあります。
でも様々な後悔があるけど、1つだけ言えることがあります。
「やらない後悔ではなく、やって後悔でよかった。」
去年度から個人的に決めていたことなのでそれは守ることができた。
それに後悔以上に素晴らしいものがあった。
TABIPPO東京支部で活動できて、たくさんの仲間と出会い・経験・活動した時間などたくさんの素晴らしいものを得ることができた。
楽しい事・辛い事・マサラタウンでのシェアハウス生活など多くのことを含めてたくさん経験できて自分自身が想像以上に変われた。
TABIPPOを通して自分自身がすごく成長できた。
ここまで感情がはいって、熱狂したのは中学・高校のラグビー以来だった。
もちろん失ったものも多くある。けどそれ以上に得ることができたと思う。考えさせられることもたくさんあった。失敗もたくさんあった。
4月からの事を考えるとそろそろ離れて自分なりに頑張らなきゃいけない。しっかりと自分と見つめ合って考えないといけない。でも少し休みます。
正直今は何に対してもやる気がでません。体が動こうとしません。
だからたまには休みます。休む大切さを学んだ1年でもあるので休む。
休むと言っても何もしないでいるのができないタイプなので、色んな人と飲みに行ったり、話したり、1年間を振り返ったりなどしようかな。
4月からのことは追々報告しようと思います。
長くなってしまってうまく言葉にはできてないけど
TABIPPO東京支部として活動して良かった。
みんなありがとう。
これからも会おうね。飲みに行こう。
東京支部代表陣
石川文太・西脇謙志・細井大輝
ありがとう。1年間お疲れ様でした。
一緒に活動できて幸せでした。
終わり。読んでくれてありがとうございます。
コメント待ってます。
TABIPPO東京支部 中山大地
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