メタバース空間は20年前にも存在していた

僕がメタバースという言葉自体を認知したのはFacebookが社名変更を行なった2021年の10月の終わりごろだった。

Metaっていう社名を聞いたときは創造力の欠如している僕は真っ先に6Vのメタモンでも目指しているのかな?などとくだらないことを真っ先に考えてしまっていたのだが、正直そんなことはどうでもいい。

メタバースという空間が目新しいモノのように見えたかというと、そうではなく、むしろ懐かしささえ感じていた。


小5くらいの頃、インターネットがまだ黎明期を脱したくらいに展開されていた、「さぱり」という3Dチャットを思い出したからだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%B1%E3%82%8A

さぱり(SAPARi)とは、かつてソニーが運営していたアバターチャットサービスの1つである。ユーザーはソニーが開発した専用ブラウザであるCommunity Place Browserを使用して、動物や人間などの「アバター」に扮し、サーバー上の3次元仮想空間「ワールド」にアクセスすることにより他の参加者と会話することができた。(メタバースの先駆け的存在とも言える) 引用:wikipedia
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3Dの感じからほのかに漂う2000年代前後感めっちゃあるよね


当時のWeb1.0の時代で僕個人がはまっていたことといえば、このさぱりでのチャットとジオシティーズでの無料Webサイトの制作、flash動画の閲覧などだった。

PCを初めて買い与えてもらった僕は大学生の知り合いなどを頼りに、ネットで享受できる娯楽を思う存分エンジョイしていた。(今思うとコードすら書けないのに当時はなぜサイト制作でコードをすらすら書けていたのか。。。振り返ってもよくわからない笑)

3Dチャットの世界の中でできることは、会話する以外だとアバターを好きな動物やサイズに変更できたりマウスで移動する、といういたってシンプルなもの。

当時でもこの移動のカクカク具合には若干イラつくぐらいには動作がめっちゃモッサモサであった笑

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集まった人たちとは「こん♪」とか「おひさ」そんな感じの挨拶で始まり、会話が盛り上がると「(爆)」とかもう今では取り上げられもしない死語のオンパレードで会話していた、そんな昭和とは異なる懐かしい空気感で満ちあふれた世界観だった。

当時のさぱりで可能性を感じたこと

(1)従来までのオンラインツールよりも 相手のキャラがわかりやすかった

今となっては当たり前のことのように思えるが、相手の顔はわからなくても中身を知ることで信頼関係が作れる、というのが一番大きな部分ではないだろうか。

それ以前のオンラインでのコミュニケーションの手段は電話かポケベルか、という感じで人的なネットワークはオープンなものではなくクローズなものであった。

電話もポケベルも、基本的には相手のプロフィールを知っている前提で交換するものだ。

だからこそ、知らない相手と話をするというのは抵抗があるものだし、テキストのチャットだけだと相手のパーソナリティを掴みに行くのに非言語情報が取れないので、どうしても信頼関係を築くのに時間がかかってしまう。

でもさぱりの場合は色から体のサイズまでアレンジ可能なアバターが用意されているので、その見た目を見ることで相手がどんなことが潜在的に好きそうな人なのか、ちょっぴり見当がつく。(やたら頭のでかい犬にしてたり、足だけめっちゃ長くなった女性になったり)

(2)サードプレイス的な人間関係が気づけるコミュニティとしての価値

あとは、小学校と家族以外の人と話ができるという体験は当時とても新鮮だった。

当時仲良くしていたユーザーの年齢層は当時の僕のような小学生のキッズから大学生、若手社会人、OL、専業主婦と結構幅広かった。そして全国各地にユーザーがいたのも新鮮さを感じる一因だったのかもしれない。

実際ところで仲良くなった人たちとは自分のホムペ(ジオシティーズやガイアックスなど、当時無料で作れる個人のWebサイト)のリンクを共有してそこでもお互いが展開しているコンテンツや、当時流行っていたFlash動画などをシェアして楽しむことができていた。

実際関係値さえ作ってしまえばリアルでも会うことは可能だったと思うが、「知らない人に会っちゃダメよ」と学校や親に強く教えられていた20世紀の小学生時代を過ごしていた僕はその言葉を鵜呑みにしていて日和ることしかできなかったので残念ながらそんなOMOのような体験は経験することはほぼなかった。

(実際仲良くしていた専業主婦の人とは東京に来るというので一度会う機会があったが、あまりに想像していた見た目と違いすぎて日和り散らかしてしまい、その場で逃げてしまったことがある。会えるならちゃんとお詫びしたい。。)

でもこのようなさぱりというメタバース空間の中で生まれた人間関係がお互いの隙を共有しあえたりできる、という体験が小学生のうちにできたのは、今の僕のインターネットやコミュニティというカテゴリーへの興味などにつながったのかもしれないと思うと貴重な体験だったのかもしれない。

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当時実装されたらたらいいなと思っていた機能

アイテムのお買い物ができるようになったらいい意味でバーチャルとリアル関係なくなるよなー、くらいに思っていたが残念ながらさぱりではその機能は実装されることはなかった。

2001年ごろに有料化したことで、本来ならそういった機能に開発投資をソニー側が試みたのかもしれないが、有料化によってユーザー離れが加速してしまったことで結果的には2003年にサービスが終了してしまった。

僕もそのタイミングで部活などのリアルな活動に勤しむことが多くなり、ログインすることがなくなった。(小学生の財産、決済のシステム的に払うことができなかったことも一因にあるのはいうまでもないがw)

その後に登場するSecond Lifeやアメーバピグにアイテム購入などのリアルな体験機能が実装されていたのは記憶にある人も多いと思われるが、ハマる時代が違ったら僕はどっぷりネット廃人になっていたかもしれない。笑

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Second Life

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アメーバピグ 

ただ、これらのサービスもスマホの普及とともにユーザー数はそれほど大きは伸びなくなってしまった。

ピグについてはAdobeが提供していたFlashがスマホで互換性がなかったことが要因として大きいが、Second Lifeについては開発・運営する「cluster.」の加藤CEOによるとサーバーの問題もあり、人口密度を多くの人数で作り出せなかったことが衰退の要因として大きいと語られている。

「Second Lifeでは1つのワールド(シムと呼ぶ)に最大50人しか入れませんでした。さらに、ユーザーが自由に空間が作れたので(アバター)密度が低くなりがちだったのです」                      引用:セカンドライフはなぜ失敗したのか、そしてclusterはVRリビングルームで何を目指すのか?

今後のメタバースで変わらず求められる要素

隣に人がいる、と錯覚するくらいの体験

メタバース空間で求められることはリアルと変わらない情緒的な体験だろう。

上記で人口密度の話を挙げたが、オンラインでもオフラインでも過疎化しているコミュニティは当然ながら盛り上がりに欠ける。

何かの熱狂が生まれるには密度はとても重要なことなのだと思う。

(前提としては熱狂を作り出せる「イノベーター」と「ファーストピン」となる熱狂的なフォロワーがキーになるけれど長くなるのでこれはまた別に書きたい笑)

コロナ禍でリアルのライブなど引き続き制限が続くと思われるが、メタバース空間で多くの人がイベントなどで集まる場が体験できて、リアルで隣に人がいて、見ているコンテンツに同じように熱狂できるような体験が多くの人に蓄積されるようになったら、きっとアフターデジタルの著書で言われいていたようなOMOのような世界が、多くの人に現実的に認知されていくのかもしれない。

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VRが普及していくことで

上記のコンテンツは今までPC上での提供が中心だったが、VRがちゃんと普及していくことでリバイバルするのではないかなと考えている。

VRはその場に人がいる、という擬似体験ができる反面、同じ位置にアバター同士が被さったりすると気持ち悪さを感じたりする。

このことからも、VR空間でも人はパーソナルスペースは必要で、良くも悪くもリアルな体験に通ずるものがある。

メタバース上でこういった良くも悪くもオフラインに近い体験が経験できるようになれば、オフラインかオンラインかという2択にとどまらず、日本、世界中の人と今よりもっと気軽に人と会う・信頼関係を築く選択肢が増やせるのかもしれない。

そして自分にあったコミュニティを選択肢が増え、選べるようになればより自分らしく生きることができる人も少しずつ増えていくのかなー、なんて思ったりしている。


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