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沈黙を経て(2)
葛藤の連続
前回のお話↓
心臓移植を受けたという事実。
どう伝えれば、どんな顔をしていいのかわからない。
適切な時期っていつ?
誰も傷つけない方法って何?
いっそのこと、今までの事を一切封じて
別人として生きていく?
体力的には日々元気になっていくのに
メンタル的にはどんどん落ちていきました。
そんな日々でしたが、春先にとある話が私に舞い込みました。
日本循環器学会の市民公開講座で
体験談を話して欲しい。
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私に何が語れるのだろう?
一旦考え込みましたが、
移植前~移植後
さまざまな心の葛藤の中、過ごしてきたからこそ伝えられるリアルがあるはず。
そう思って快諾しました。
会のメインテーマは
補助人工心臓(VAD)について。
なので、
今、人工心臓をつけて待機している方々へのエールになるような話にしたい。
なんやかんやで、
待機生活って辛くて長いから。
だって、
私がVADをつけている時、周囲からはポジティブに活動しているように見えたのは、
不安やネガティブな感情を押し殺して無理してきたから。
がむしゃらに無理をしないと
マイナスな物がたくさん溢れ出してつらいから。
病気になる人たちみんなが、無理を隠せる人間ばかりじゃ無い
から。
私の他に、患者として登壇された方が2人いらっしゃって
現在進行形でVADをつけて生活をしておられる方々でした。
お二人とも
VADがまだ「社会に認知されていない」
という壁にぶつかりながらも、自分がやりたい事をできる範囲でチャレンジされている様子を写真を交えて語ってくださいました。
そうなんです。
VADがあれば、普通に生活できるレベルまで回復できるんです。
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※山間部のインフラ建設現場好き
ちょいちょい独特の行動制限があるし、たまにアラームが鳴る。
ちょいちょい機械であるVADと、人間である自分のバイオリズムとがケンカして体調不良。入院。
ぐらいかな?普通の人と違うのは。
VADを装着する手術を受けていいのか、VADをつけたらどんな生活が待っているのか、不安に感じている方々にとって、勇気づけられた内容だったと思います。
また、
今までよく知らなかった人たちにとっても、
過度に心配したり、除け者にしたりしなくても大丈夫なんだな。と実際に生活して仕事をされている方々の話を聞いて安心していただけたかと思います。
そういう話を聞く事は
「前向きな未来が待っているんだ。」
そう実感させてくれる貴重なできごと。
ホント大事です。重大な決断をするときは特に。
でもね、
完璧ってこの世には存在しなくて。
あれ?思っていたのと違う。こんなはずじゃなかった。
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そんな瞬間も出てきます。
自分には乗り越えられないかもしれない。
大きな不安が押し寄せてきて絶望を感じる時もあるでしょう。
いいんです。
それが人間というものですから、
そう思うのは今も人間として生きている証拠です。
自分を否定しなくていいです。
でもそんな時、日々を生きていくのに何が支えになってくれるか。
「移植まで生きて辿りつくんだ」
という強い意志です。
「そのために今困難に立ち向かわなければいけないんだ」
もはや、根性論。
いろんな人と話をして、不安を吐き出すのも大事です。
長い待機生活ですから、我慢して溜め込んだらそのうち爆発か崩壊します。
(ちなみに患者本人もそうだけど、介助者ももちろん然りですよ)
でも、
最終的に自分を奮い立たせるのは自分しかいない。
迷ったら、悩んだら、
決心したあの日の「原点」に立ち返って生き抜いて欲しい。
それが私からのメッセージです。
看護師やってるとね、非科学的かもしれないけれど
「病は気から」
に結構遭遇するんですよね…
やはり、今回来られている方の中には、
悩みや不安の真っ只中にいる方もいらっしゃって、何人か私に声をかけてくださいました。
VADをつけて生きていくには
いつも前向きでいなければいけないのか?
「そんなしんどさが少し軽くなりました。」
良かったです。
またしんどくなったら思い出していただけたら幸いです。
だって…
キラキラしている人間を見るのがしんどい。
それ、私めっちゃ、共感できるから。
意外って?
だってそのしんどさ見せて無いもん。
見せたら死ぬと思ってたからw
隠すのに必死。
だから逆に前に出ようと頑張ってた。
そのせいか、(?)
めっちゃ墓参りしてたよねww
墓石に見せても大丈夫やろ。っていう思いで。
ちなみにちなみに
移植後、退院して家に帰ってからもめっちゃ墓参りしてました。
今も移植待機されている方たち、私よりも過酷な状況で待っている方たちへの思い、臓器提供をしてくださった側の思い…
複雑でぐちゃぐちゃな感情、誰にも言えない。
でも、墓石になら聞いてもらってもいいかな。
私の心の拠り所は、墓。
のようです。
なんじゃその話の括りかたww
みなさんも
その「時点」その「状況」での
心の拠り所、見つけておいてくださいね。
ターニングポイントその2
こちらの記事でどうぞ
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