【ミシャグジ】
諏訪信仰の根底にある「ミシャグジ」とは、いったいどんな神、あるいは精霊なのか?
柳田は『石神問答』で、石神を主張しつつも巨木信仰の根底にあるものと同じではないかと指摘され、心揺らぐ。
一 、楽屋入りをして、物の色めも見えざる所は、人の胎内に宿る形也。
一、幕を打上げ出づる風情、是、人間の生る形なり。
一、翁といつぱ、釈尊出世の仏法を弘め給ふ心也。翁の謡、陀羅尼と神道をもつて、これを作り、大夫・笛・大小・太鼓をば、五鉢・五輪に表し、地・水・火・風・空を象る。大夫をば空の字にたとへ、笛をば風の字に象る。小鼓を火の字にたとへ、大鼓を水の字にたとへ、太鼓を地の字にたとへ、大夫を空にたとふ事、空は、天地陰陽・五鉢・五輪・仏法の水上なり。此理、釈尊も述べがたきと、説き給ふ。御歌に、空の字はちゞみがしらにたとへたりとくもとかれず言ふも言はれず(『八帖花伝書』)
結局、それは確かに感じられながら、捕らえようとしても捕らえられず、しかしそれを感知して自らを依代とすれば、新たな境地をもたらしてくれる。
諏訪から八ヶ岳西麓一帯には、ミシャグジが充満している。
その根源はやはりフォッサマグナの核心部であることなのだろうか?