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『天と地のクラウディア』第11話

五 青に向かって

「私たち飛空隊は大きく二つの部署にわかれているの。探索部と、収集部」
「僕は収集部に助けられたわけだ」
「話が早いね。随分大きなお土産だと思ったらユーリで、しかも実はユーリじゃなかったっていう不憫なオチよ」

 人をそこまで言うことはないんじゃないかな。言い返したかったけれど、立場が僕の口を開かせてくれなかった。

 見せつけるように宙に漂いながら、ジェンナは休憩時間にこの雲の上の世界のことを教えてくれた。

 さっき城で連れて行かれた、だだっ広い会議室のような部屋と、その奥の人々が飛び回っていた雲に囲まれた空間は、飛空隊というクラウディアでも腕利きの猛者たちの組織が集う場所だったそうだ。
 探索部はクラウディアで活用できそうな他の雲がないか調査、収集部は地上に降りて木や水などの資源、時には食材になりそうなものまで調達してくるそうだ。活動時間は、もちろん真夜中。場所は基本的に町から離れた人気のないところ。またはその上空。

 飛空隊、と僕はその響きの格好良さに意味もなく口に出してみる。ジェンナは空中であぐらをかいて、いやいや、と呆れたように言った。

「あなたには無理ね。記憶なくなってなぜか飛べなくなったって言い訳して、ユーリが見つかるまでやりすごせばいいわ」
「上手く飛べると思ったんだけどな」
「からっきしセンスがなかったからね。四つん這いの赤ちゃんが歩く練習している方がまだ希望が持てるぐらいに」
「だいたい水の上に立つ感じっていうのもわかりにくいんだよ」
「わかったような顔してたじゃない。海沿いの町育ちを舐めるなよ、みたいな」

 言い返したくても言葉が見つからなくて、代わりにもう一度練習台に向かって歩き出した。こうなったら意地だ。できるできないじゃない。やるかやらないかだ。

「意地じゃ空は飛べないよ」

 心を読んだように先回りして言われるのも少しずつ慣れてきた。ジェンナのやつ、空を飛ぶ以外にもまだ能力を持っているのではないか、と相変わらず思う。

 水の上に立つように。波紋を起こさないほどそっと、優しく。あとは飛べと念じる。ジェンナの教えは割と忠実に守って、僕なりに最大限の想像力を働かせる。

 言われなくてもわかっていた。意地で空を飛べるもんか。もしそうなら、僕はとっくの昔から自由自在に空を飛び回れているはずだ。

 それから何度も何度も練習を繰り返した。雲のクッションのおかげで怪我はしなかったけれど、本当に赤ちゃんが歩く練習をするよりもずっと絶望的に、飛べる兆しは感じられなかった。

「私ね」

 とうとう教えることもやめ、台に上っては落ちる俺を退屈そうに見つめながら、ジェンナは突然独り言のように言った。

「今夜、ユーリを探しに行ってみる」

 僕は想像上の海にまた沈む。

「一人で?」

 クッションから身体を起こしながら訊き返した。リザミアはこくりと頷く。

「一人で。収集部にあなたを拾った場所を聞いてくる」
「あまり遠くないことを祈るよ」
「あら、心配してくれるの?」
「僕が帰りやすいように、だよ」

 可愛くない、とジェンナは口を尖らせる。近かろうが遠かろうが、どうせ高いだろうから帰れないのに。ここが本当に雲の上なら、距離なんて関係ないのに。

「変な話だけど、ちょっと楽しみなんだ」

 ジェンナは僕を見ることなくそう言った。

 僕はその言葉に驚いて、思わず何がと訊き返す。

「地上に行くこと」

 と簡単に答えるジェンナ。へえ、と思った。もう少し彼女の話を聞き出した方がいいのだろうか。それを、彼女は求めているのだろうか。
「僕たち地上の人に見つかったらダメなんだから、てっきり避けてるのかと思ってた」
「うん、好き好んで行ってはいけない場所だけど……」

 行くなと言われれば行きたくなるような感情かな、と一瞬考えたけれど、続く彼女の言葉を聞いて全くそうではないことを悟った。

「ユーリがよく、見ていたから」
「見ていたって?」
「地上」

 この子は時折こうして言葉少なで物を語る。足りない言葉なんてないように、せいぜい僕が言葉の残りを補填できるものと信じて疑わないように、ジェンナは曖昧に言う。

 そういう時は、しばらく続きを促すように黙りこくって待つしかない。

 僕は台に上って、浮かぶジェンナと視線の高さを同じにする。

「探索部の私たちが地上に降りることは滅多になかったけど、よく地上をじっと見下ろしていたの」

 すごく優しい目で。

 そうどこか寂しげに言うジェンナの目は、声と同じく少し寂しそうだった。

「ユーリって人は、地上に興味があったのかな?」
「わからない。聞いてもいつもはぐらかされていたし、別にそれが当たり前みたいになったから、もうわざわざ問いただしたりすることもないし」
「それでジェンナは興味持ったの?」
「まあ、そうね。ユーリの横でじっと眺めていると、どんな世界なのかなぁって」
「上から見てるんだし、見えている通りの世界だと思うけど」
「どんな生活してるのかなってこと」

 ジェンナはふわふわと宙を滑るように移動し、もう何度落下したかわからない僕の側で手を差し出した。

「今日はもう帰ろう。あなたは一応怪我人なんだから、あんまり遅いとまたみんな心配するよ」

 それが僕にかけられた言葉なのか、それともみんなの中のユーリという存在にかけた言葉なのか、僕には判別はつかなかった。僕のことを言われているようで僕ではない人の話になるのだから、その小さな違和感は仕方ないのかもしれない。

 別に不快になるわけではなかったが、僕の返事は無意識にうわついたものになっていて、差し出された手にそっと触れた。

 ジェンナはぐっと僕の手を握り、強く引っ張った。身体が一瞬宙に浮いた、と思った時には体勢が崩れていて、気が付くと僕は背中と膝裏を支えられ、ジェンナに抱えられていた。

「ちょ、ちょっと、ジェンナ……」
「誰も見てないから。この方が早いし楽」

 よく僕を抱えて飛び上がれるな、と思った。上昇していることよりもそのことの方が気になった。意外と力が強いのかと思ったが、もしかしたら足裏だけでなく腕などにも浮遊の力を加えられるのかもしれない。

 あれこれ考察しているうちに、雲に囲まれた練習空間から飛び出して、小屋の一室へと降り立っていた。

「城の人からいろいろ話しかけられるだろうけど、うまくやってよね」

 僕の身体をそっと下ろしながら、ジェンナはぶっきらぼうに言い放った。

「そんな無責任な」
「基本的に飛空隊は城に住み込みだから、誰にも会わない方法なら部屋から出ないことね」
「寝ていればいい?」
「最高の選択ね」

 僕とジェンナは受付のおじいさんに会釈をして、外へ出る。すっかり日は傾いて、橙と群青の混ざったような空になっていた。明るい星がいくつか見える。

 帰り道の間、僕はジェンナに家の場所や周辺に目印になりそうなもの、降り立つのに最適な人気の少ない林についてなど、僕の町についていろいろ話した。

 もしユーリが僕と入れ違っていたとするならば、そこでどう生活しているのかまるで想像がつかない。ジェンナも飛べることをそう簡単に人に話したりしないと思うし、ユーリもユーリで策を練っているはずだと言った。

 何なら僕と思い込んでいるあの町の人々を見捨ててこのクラウディアへ帰ってくることだってできるのだ。しかし僕が気を失っていた昨日と、今日の二日間を過ごしても音沙汰がないということは、何かしら事情があるのかもしれない。

 ただその事情とやらに思い当たる節はなかった。僕みたいに帰りたくても帰れないのと違って、ユーリは空を飛べる。さらにこんなに多くの人に心配されているのに、どうして、と。

 空を見上げても、何も返ってこない。ジェンナの横顔にも、そんなことは訊けない。

 ひとまず今夜遅くのジェンナの偵察次第だ。見つけたからといってすぐに連れ帰ることはなく、どちらも何事もなかったかのように事を済ませるべく、調整をしていきたいらしい。

 もし僕の家にいなかったら、別の家も一応確認してくれ。

 そう言って診療所の他に、リザミアの家の場所も教えておいた。そんなことはないだろうが、自分の家と診療所を除いた最も高い可能性はそれしかなかった。他はない。きっとリザミアが、許してくれない。

「それじゃあ、着替えでもして部屋で待ってて。晩ご飯に一緒に行こ」
「わかった。どのみち城内はよくわからないし、待ってるよ」

 不思議な感覚だった。

 よく考えれば、僕とジェンナは今朝会ったばかりである。それでもすでに、気兼ねなく話せるようになっている。そんな自分の心持ちが少し不思議に感じた。

 僕がユーリに似ているからだろうか。当たり前のように接してくれるからだろうか。

 またあとで。そう微笑むジェンナの心の内は、どうも測りきれないでいた。素直な子だろうから、裏なんてないのかもしれないけれど、余計な思いは意思と関係なく浮かび上がる。

「うん、またあとで」

 僕もジェンナと同じようにうまく微笑むことができていますように。

 そんなどうしようもない祈りにも近い思いを抱きながら、僕はユーリの部屋へと再び足を踏み入れた。

          *

 記憶がないフリ、というのは案外気が楽だった。

 何か訊かれてもジェンナが代わりに答えてくれるから基本的に話す必要はないし、この世界や人たちを何も知らないことに対する完璧な言い訳にもなる。

 夕食はつつがなく終わった。僕の容態を労ってか、カロルみたいに積極的に、一方的にまくし立ててくるような人はいなかった。容態といっても、殴られたところはすでに痛みなどなく、飛空隊や飛空練習場での出来事が全て凌駕していった。痛みなんて感じる隙もないほどの一日だった。

「案外上手じゃない」

 夕食を終え数人の仲間と別れると、ジェンナが意外だと言わんばかりの口調で言ってきた。

「何が?」

 問い返すと、真顔で答えられる。

「記憶のない人のフリ」
「馬鹿にしてるだろ……」

 こっちだって知りたくなくて知らないわけじゃない。むしろこの僕がこんな夢のような世界に居るのにここまで知的好奇心を抑えられていることに、我ながら感服しているぐらいだ。

「じゃあ、あとはお風呂に入ったら大人しく寝ててね」
「風呂? どこ?」
「準備ができたら部屋に行くから待ってて」
「ありがとう。あ、ジェンナ……」

 背を向けて去ろうとするジェンナを、僕は咄嗟に呼び止めた。

 何? と振り返るその顔は無垢なもので、出会った頃より随分と優しくなったような気がする。そんなこと、面と向かって言えるはずはないが。

「その、地上へ行くの、気をつけて」
「……心配してくれているの?」

 いたずらっぽく薄い笑みを浮かべてそう言うものだから、ちゃんと真面目に聞いてほしいとなぜだか突然思って、僕は真っ直ぐな眼差しと声で返事をした。

「心配してる」

 ジェンナの表情に変化はなかった。特に動くこともなく、そのままの流し目で僕を見て、ありがと、と僕にぎりぎり届くぐらいの声で言った。

「あなたの言いたいこと、わかるよ。同じ目に遭わないよう気をつけるわ」

 それじゃあ、また明日。

 ジェンナは前に向き直りながらそう告げて、広い廊下を歩き出す。

 僕は言葉を返せず、その背中が廊下の角を曲がるまで見送った。気をつけて。再度心の中で祈るように思う。

 地上の人に見つからないように。そして何より、僕を襲った人に遭遇しないように。

 あれが誰だったのか未だ皆目見当もつかないけれど、もしかしたら僕が地上にいないとわかると再び探し回って襲来してくる危険性もある。

 部屋に戻ったら、少し整理しよう。雲の上とか、空を飛ぶとか、そういう衝撃の大きなことにすっかり気を取られて、じっくり考えられていなかったことが大いにあった。自分の立場を思い出さねば。僕は地上では行方不明者で、ここでは飛空隊の一員として扱われているのだ。そんな現実を、考えもせず受け入れてしまってはいけない。

 空も飛べない、世界も知らない。放っておいてもボロが出る日は近いのではないだろうか、とため息混じりに部屋の扉を開く。と、部屋の中で一際目を引く色がベッドの上に横たわっていた。

 それは一度見たことのある色だった。美しく長い金色の、髪。僕が言葉を発するより先に、その空のように青い目がこちらを向いた。

 王女と名乗った女の子。確か、名は――。

「おかえり」

 レミニスはうつ伏せで寝転がっていて、顔だけを上げてそう笑った。ふわりと髪が弾んで、僕は少しだけどきりとする。

 ジェンナよりよっぽど人懐こそうな顔立ちが、だらしなく緩んでいる。何がそんな嬉しいんだろう。僕はユーリじゃないんだぞ、と言いたくなる。そんな当たり前みたいにおかえりを言われても、僕は君の思いに沿えるような反応はできない。

「……ただいま」

 それでも何も言わないわけにはいかないから、挨拶ぐらいは返す。どういう態度で話せばいいかわからない。

「ほら、突っ立ってないでこっち来れば?」

 レミニスがぱんぱんと誘うようにベッドを叩く。我が物顔で寝転がっている、仮にも王女たる人物にそうやすやすと近寄れるものか。敬語の方がいいのか、旧知の仲というので普通に話していいものか、それすらも困っているというのに。

 早く、と不満そうな声で言われたので、僕はおずおずと扉の側から離れる。

「何を緊張してるの?」
「いや、あの、どう接していたのか覚えていなくて」
「あー、いいよ。話す時は普通で。ジェンナ相手の時みたいにさ」
「そ、そうか……わかった」

 下手なことを口走らないようにと意識していると言葉が詰まってしまう。僕はレミニスに呼ばれたベッドではなく、横にある勉強机のような木の机の側に置いてある椅子に座った。

 レミニスは身体を起こして、ベッドに腰掛けるようにして足をぶらつかせながら言った。

「今日はあれから何してたの?」
「今日は……飛空隊にちょっとだけ顔を出して、あとはずっと飛ぶ練習をしていた」
「へえ! 飛べた?」

 飛べるわけないだろ、という言葉は何とか飲み込む。反射的に答えてしまいそうになる。危ない危ない。

「全く。記憶のせいで飛べなくなったのかな」
「記憶喪失と関係するなんて話は聞いたことないけど、まあ頭殴られたんだから、よくわからないね」
「ジェンナにいろいろ教わったけど、それこそよくわからなかった」
「どんな感じで教わったの?」

 僕はジェンナから言われた感覚をそのまま伝えた。レミニスはうん、うん、と機嫌良さそうに頷きながら聞いてくれた。

 やがて簡単に話し終わると、なるほど、と短く一つ相槌を打った。

「よし、ねぇ、今から暇?」
「え、今から? 風呂に行こうかと……」
「お風呂? 場所わかる?」
「わからないから、ジェンナが来てくれて――」

 こんこん、と扉がノックされ、入るよ、と小さな声が聞こえた。

「あれ、お邪魔でした?」

 おどけた口調で、ジェンナは開けたばかりの扉を閉める。

 レミニスはベッドからぴょんと降り立ち、やけに余裕を持った様子で扉を開けてジェンナを呼び戻す。

「もう、よくあることでしょ」

 よくあるのか……。

「記憶がないからって、あまりからかわないであげて」
「ごめん、つい」
「お風呂に行くんでしょ? じゃあ待ってる」

 レミニスは行ってらっしゃい、と言って再びベッドに飛び乗った。状況が状況だからそんなはずはないだろうが、つい思ってしまう。

 君は暇なのか?

第12話
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