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毒親

私の両親は毒親でした。

幼い頃は、喧嘩ばかりでいつもビクビクして家になるべく居ないようにしてました。

近所に祖父母宅が在ったので、そこに入り浸っていました。

幼稚園に入園する頃になると母は新興宗教に入会しました。

それからはその宗教が母の中心になり、私達も宗教の行事に連れていかれる事も多くなりました。

母は気づかなかったかもしれませんが、原付バイクで事故をした事も、今は分かりますがこの宗教が遠因になってました。

母はいつも忙しくしていて、私と戯れることはありませんでした。

添い寝をしても自分が寝てしまい、私は勝手に外に行く子供でした。

しかし、この宗教の行事に一緒に行ったり、率先して参加すると母は私とたくさん話してくれるので、私はますます協力したのでした。

思春期に入る頃、宗教施設の管理人として建物に住むことになってからは、私が協力するのが当たり前のようになっていました。

私はなんでも楽しむことが出来る人でしたけど、母の手伝いの為に友達との約束や行事の誘いを断るのはとても断腸の思いでした。

私はいつしか籠の鳥のような気分でした。

よく手伝いもしたし、家の家計を心配して節約にも励みました。

母は化粧品の販売員も傍らでしていたので、家を空けることが多かったからこそ手伝いをしていたのです。

そんな中でも母はトップセールスにもなったのにお金が無いと思っていたようです。

家には母が着ない服が溢れていました。

お金の使い方が分からなかったのかなぁとも思いますが、本人に聞いてみなかったので分かりません。

私は17歳で酷い喘息にかかり、歩くのも苦しく夜も横になって寝れない日も続きました。

高校生活も宗教との割合を葛藤し過ぎた結果なのだと私は思っています。

母は高校の先生と私が対立した結果だと思っていると思います。

今だから、俯瞰してあの頃を見れ、分析出来ますが、高校生の私は自分の世界の中で溺れていました。

喘息のおかげで受験勉強も充分出来ず、本当に行きたい大学には受験させて貰えず、理系から文系に変えてモチベーションも上がらず受験失敗しました。

それでも大学というもので勉強してみたいと云う欲求が有ったので慶應の通信に学籍を置きました。

家事手伝いは続いていたので、母の都合のいい時間で私はバイトに行き、手伝いの報酬として生活費をみて頂いてました。

私は忙しく動く母に合わせて、常に忙しさを感じてました。

だから、幼い頃からパラレルワールドを自分で作り生きてました。

パラレルワールドは自分の一日でしたいことをこなせるように自由に使えてました。

だから、周りの人たちは私と母が忙しいのにどうやって色々こなしているのか、よく聞いて来ました。

でも、説明はつかないのでした。

私は自由な時間が夜中しかなく、夜な夜な彼氏に会って朝バイトの前に帰りました。

だから、いつしか早く家から出たいと思うようになりました。

25歳で結婚して夫が働く東京で住みました。

結婚した時、私は夫に「浮気してもいいけど一生離婚してあげない」と言ってました。

しかし結婚してしばらくして「しまった」と思いました。

疲れて帰って来た夫は「たわいない話しを聞きたくない」と私に言ったのです。

私は周りに友達も居らず、話しも出来ないと追い込まれてしまいました。

そのため早く子供を作ろうと思ったのです。

子供は思うようにはならないと感じたと同時にとても学べたとも思いました。

自分だけで何とかしようと云うのが無理でした。

人様の有り難さも感じさせていただきました。

子供達からはたくさん学びました。

いつか自立する事を常に意識して育てていました。

結婚20年で外に働きに出るようになった事をきっかけに離婚しました。

家族は私に家事を頼りきっていたのです。

協力を求めても無理だと言われ、私は家を出ました。

アパートを借り、3ヶ月位はご飯を作りに家に戻りましたが、自分を痛めつけているだけでした。

それからは自分と向き合い、自分がしたい事を優先させる方向に動き始め、旅に出ました。
 
ゆく宛はFacebookでお友達になった人を訪ねたりして。

お金は心もとない位しかありませんでしたから、今思うと無謀だと思います。

宿に困ったら自分の身体で払えば良いとさえ思いましたが、案外そういう人は居ないものでした。

不安が多い世の中なのだと思います。

全く見ず知らずの人を信用は出来ないのでしょう。

私は宇宙の導きに従って、何とか一年旅する事が出来ました。

今は、私を置いてくれている人と同居して生きていられます。

この世のシステムに乗っていないとお金を手にする事が大変でした。

私自身はしようと思うことが見えてきて、今はとても幸せだと思っています。

ただ、棚上げしていた事がありました。

両親の事です。

次男は大学生です。

私はとても尊敬してます。

自分の道を自分で歩いて欲しいと伝えてから自分で進路を決めていたから。

それが、昨日、母から電話がありました。

「次男が大学がダメになった。○○が次男を捨てたからメンタルが傷ついてそうなったんだ」といきなり言って来ました。

私は確かに捨てたと言われても仕方はないと思います。

でも、もう自分で身体を動かせば生きていける歳になっていたから、私は私の事をしていこうと思っただけです。

自分が産んだ子供なので可愛くないはずはありません。

ただ、自分で生きていくのには干渉は邪魔でしかないと思っています。

私の両親は気づいてないと思いますが、未だに私に干渉し続けてます。

私がデリバリーヘルスの仕事をしたいからしてますが、親はこの事実を知ったら悲しむ事を知っているから、近くに居ないし知らせもしないのです。

私は私をこの世に生み出してくれた事を有り難く思っています。

今まで生きて来た境遇を通れた事を両親に感謝しております。

しかし、昨日の電話には私は切った後、泣いてしまいました。

私の両親は何がしたいのでしょう。

考え方が違うのにそばに居れば、衝突するかどちらかが我慢を強いられるからこの状況を保っていたのに。

私に改心を求めているのでしょうね。

元々違うのですから、今更そんな風には変わりません。

ただ、このように執拗に言ってくるなら絶縁した方が良いか、宗教から強制的に引き上げていただくしかないのかとも思います。

放っておいて頂きたいものです。

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