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母の誕生日
母の誕生日だった。
私が子供の頃、私は母に愛されようと常に思っていた。
しかし、母はどんな時も忙しくしていた。
母は誰かの手伝い、世話を優先していた。
私はいつも母の愛に飢えていた。
私を無視していたかのように感じていた。
母は私をいつも後回しだった。
私の中には、子供である自分と私と母の関係を俯瞰して見ている私がいた。
俯瞰して見ている私は、何故母がそんなに忙しくしているのか不思議だった。
私は、愛されるために母の手伝いをした。
手伝いをした時は喜んで笑顔を見せてくれる。
それ以外の時は、私に目もくれなかった。
困った時だけお願いされるのだった。
でも、私に目を向けてくれるのが嬉しくて手伝いをした。
ても、私のことは学校での用事だったり、伝えたことも忘れてしまう母だった。
私は、マイペースな人だったが、自分の事を気にしてないと誰も世話焼いてはくれなかったので、自分で管理するようになった。
そんな母のおかげで家事も人よりたくさんした。
主婦になるのに困らないくらいに。
高校生くらいになって、母に愛されることを諦めた。
しかし、高校2年の時に発症した喘息は自分を思うように動けなくした。
発作が出ると息も絶え絶えで母を頼るしかなかった。
夜中2:00頃、発作が出た時は本当に耐えていた。
母を起こすにしても4:00まで待った。
今、思うと自分を我慢させてたから喘息が出たのがわかる。
私は、親から自由になる為に早く結婚した。
結婚した時は、私も世間の人並みに親孝行が出来ると思っていた。
子供が産まれたら、母は私に対する接し方が変わると思っていた。
確かに私の子供(孫)に対しては、可愛いがってくれていたと思う。
私は、主婦20年で結婚を卒業した。
すると母は息子が可哀想だとか、私に色々言ってきた。
母と父は私が幼い頃から喧嘩ばかりで、お互い分かりあっていなかったと思う。
私が結婚中も別れ話があった。
母は新興宗教に入っていて、一生懸命だった。
母と父には私をこの世に生み出してくださったのだから感謝している。
今、私がしていることを親の耳には入らない方が良いと思っている。
結局、私のしたいことは両親達には理解し難いことだった。
母は5人兄弟の真ん中で、姉さん兄さん妹、弟がいる人だった。
だから親から愛されている実感は薄かったのかもしれない。
だから親類縁者の手伝いを優先させていたのだと思う。
家族で話をした時、母は何も言えなくなるのだ。
宗教の場では上に立って話している人が、家庭内では何も言えない。
宗教の教えでは救われない深刻なこと。
私はありがたいことに、今まで生きてきた道のりが有ったから、今に感謝出来る。
だって幸せなのだもの。
愛されているし愛してる。
私はこれからも楽しんでいく。
母には会わない方が良い。
私は母が思うように育たなかったから。
私は陰ながら祈る、「母が人に囲まれ楽しんで生きていくこと」を。
私の事を忘れて、心静かに人生を送ることを。
心からそう思う、私も子供を産んだから。
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