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私が病院へ行きたくない訳

  • 目次

    1. 幼い頃の私

    2. 頭痛持ち

    3. 喘息

    4. 子供を産んで

    5. 別居してから

    6. 旅人

    7. デリ嬢





1.物心つく前から私は身体が弱かったと言われて育ってきた。

すぐ熱をだし、病院とお友達のような生活であった。

だから薬は大嫌いで、錠剤は飲めず粉薬ばかり処方された。

その粉薬も吐き出したりして親は四苦八苦だったそうだ。

元々、アデノイド肥大で口で呼吸しないと息苦しかったから、余計食べるやら飲むやらが苦手だった。

手術を勧められたが、免疫力が下がったりするのは良くないと両親は断ったそうだ。

そう、こんな幼い時分から薬は弱めのものしか処方されなかった。

何故なのかは私は知らない。

私の両親は私が身体が弱いと言うだけで、理由だとか、薬についての知識等を医者に訊ねることはしなかった。

2.私の身体について心配はするけれど、医療的な知識をつけようとか云う余裕はなかったのだ。

それは、両親は仲が悪く私所ではなかった。

私は幼い頃から学ぶことが好きで、よく本を読んだ。

従兄弟の本まで読んでしまうので叔母に怒られた。

学んでは考えてばかりで頭痛になったのだろうか。

小学校3年生から頭痛持ちだった。

小児用バファリンを処方された。

度重ね頭痛は起きるので、小児科にかかる度に小児用バファリンを処方されていた。

中学生の時は部活などで頭痛に気がいかないことが多かったけれど、中2で生理が来てからは生理の度に頭痛になった。

この頃から身体に無理をするようになっていった。

3.高校に入学してから宗教関係の活動や学校との板挟みで高校2年の時、頭痛が酷く、小児用バファリンも切らしてしまっていた。

その時、母は大人用バファリンを半分にして飲めば大丈夫と言って私に飲むように言った。

私は本当に大丈夫か?と思いながら飲んだ。

この後、喘息のような症状が出てしまったのだ。

今ならアスピリン喘息と云うことは結構、医療機関でも知られている。

当時はよく分からず、しばらく民間療法で対処していたが、咳が酷くなりすぎて日赤病院に受診した。

母は私が大概のことは自分で出来る人だとして病院も付いて来なかった。

3回目の受診時、担当の医者が「母を連れて来るように」と言うので私は母にその旨伝えたが、忙しいので私だけで行くように言ってきた。

担当の医者は3回程そんなやり取りが続いて、母を連れて病院へいった。

母は担当の医者に「お子さんの命は大事じゃないんですか」と怒って話していた。

私はそのやり取りよりも自分の身体が大変で生きていられるかの方が心配だった。

この頃になると自分で命を守らないとと云う思いが強くなっていたが、余り苦しいので死んだ方が楽なのかなとさえ思った。

喘息の発作は22歳位までよく頻発した。

それでも、自由を求めて25歳で結婚して親元を離れた。

4.結婚してからはネットを自由に使える環境になったので、病気のこと薬のこと色々調べた。

親がそばにいなかったせいか、発作が出る頻度は減っていた。

子供を産んでから喘息は身体からなくなっていくような気がした。

ほとんど薬も要らなくなり、27歳から喘息があったか分からない状態になった。

有難いことだったが、子供達は何かと病院とお友達で、私の薬の知識は増えるいっぽうだった。

次男が2歳から喘息だったから、なんとか学齢期までは生きて欲しいと病院にも通った。

病院は本当のところ嫌だった。

日々の薬の管理から、診察券の管理、どれも楽しくはなかった。

私が病んでる暇はなかった。

病院へ行く一方では、酵素玄米を日々食べ体質改善を図っていた。

この頃には家族でお世話になっている薬剤師さんがいて、本当に助かった。

次男も中学生になる頃には喘息は自分で大丈夫になった。

私は子供達がインフルエンザにかかっても私一人かからなかった。

私は身体も気持ちも限界が来て、一人別居した。

5.酵素玄米を30年以上食べ、薬も身体から抜けたのかなと思った時、私は普通の生活を捨てる決心をした。

別居してから自分の体質が以前と違うように感じた。

風邪もひかなかった。

だからこそ、旅に出ると決めた。

6.Facebookでお友達になった方を頼りに旅を初めた。

お金が潤沢にある旅ではなかったけど病気にはならずに済んだ。

一年位過ぎた頃、流石に疲れてきて何処か拠点を求めて点々とした。

今、一緒に住んでいる人の所に辿り着いた時新たなことを始めようとデリ嬢になった。

7.公的な借金を返すにもお金が必要だったから丁度良かった。

でも、この仕事は結構危ういことが多かった。

生理が月に2度来て、産婦人科を受診した。

検査したけれど病気ではなく、ストレスのようなものだった。

これがきっかけで最初入った店を辞めた。

辞めてほっとしたら、感冒で1週間寝込んた。

この時、病院は受診せず2週間部屋に篭っていた。

私がこれだけ病院を受診したくない訳は、アスピリン喘息しかり、子供の頃からの特異体質しかり、薬に対する耐性が弱いのだと思う。

今回、梅毒にかかり、喉が腫れ上がり熱が出て、苦しくて病院を受診したのに検査結果がでないと何も対処してくれなかった。

余り夜も寝れないで、受診したから朦朧として、喉も塞がって喋るのも大変だった。

診察時、かろうじて喉が痛く熱が続いた旨を説明した。

それなのに、そのまま検査だけして帰った。

検査結果を電話で確認してから受診するように言われていたのに、窓口は事情も知らず1週間は普通かかると言ってきた。

本当に商売なんだなぁと思った。

こちらは身体が苦しいから問い合わせているのに、無理して受診しているのに。

おまけに、薬に弱い旨を毎回説明しなければ分からない医療従事者はなんなんでしょう。

薬の知識の薄い医師にどう分かって貰うか、私には分からないから。

なるべく、受診したくない。

デリ嬢をしていたら、性病はついてまわる。

自分の身体を危険に晒してきたと気づいた。

やってみなきゃ分からなかった。

やっぱり、病院はなるべく受診したくない。

梅毒が治るまでは大人しく受診しますけど。

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