ひとりの、しょくじ

バスが出る。緑が丘経由の青森駅行きのバスだ。

バス停でゆっくり、おばあちゃんとふたり乗りながらしみじみと待つ。ゆっくりと待ちながら、だいたいは30分。ぼんやりと待つ。日射しの強いひ。おばあちゃんとなんとなくはなしをしてバスを待つ。バリアフリーのバスがやって来る。ゆっくり歩きながら高低ななめだ。景色が見られるように、日が当たらないような、日の当たらないように坂道の窓際に座る。たくさんの高い段々を登りながら、新青森駅に向かう。おばあちゃんはへばまたねと言いながら挨拶して。新都市病院を新青森駅行きまで降りる。日が顔にチリチリ暑い。ずっと降りていく。やっと古川駅までついて、お財布からバス代を出してありがとうございましたって支払いをして、少し冷たい日射しのあったかい場所で歩く、あそこがいいなあと目星で決めて、ぼんやりチェーン店の喫茶店に入って、サンドイッチと冷たい紅茶を頼んで、喫煙所へ向かう。灰皿を拾って自動ドアに歩いてハシッコを歩いて、ゆっくり隅っこを歩いて端に座って、ゆっくり、タバコを吸う。スモークサーモンとえびのサンドイッチがやって来た。歩いてゆっくりかぶりつく。


ひとりごはんがすきだ。

ひとりごはんというのは、ひとりで歩いてひとりでブラブラどんなものがいいかなと物色して、まあこんなんでいいかなと考えてごはんを食べることを言う。できれば景色がいいのとタバコが吸えるのがいい。スマホでポチポチツイッターを見ながら、だらだらと美味しいかそうじゃない食事をゆっくり取るのがひとりごはんだ。タバコがあるならもっといい。ゆっくりゆっくりボーッとして、お茶がある景色ならずっといい。私はその景色を求めている。卒中がこんなに贅沢だよなあと、考えながら二三時間ただただポカンとボーッとしている日を静かに過ごして、魚の市場で家の食事を物色しながらプラプラして、そうしてバスで帰る日をただただ待っている。

私は脳卒中だ。右半身がうまく動かない。装具を装着して毎日杖で歩いている。これでもまだいい方で、車椅子になるよか自由に歩けた方がマシだと考えて、ゆっくり杖を突いてふらふら歩いている。だいたいひとりごはんは贅沢なので、福祉施設に静かにカーテンを遮る風に遮断しながら、チョコレートをゆっくりなめとかしている。ひとりチョコレートやかましいわ。

ひとりごはんがしたいなあと考えている。あのバスでゆっくりプラプラ歩きながらボーッとして、あそこがいいかななんてぼんやり決めるやり方はとても必要だなと考えている。ひとりごはんができないと考えているひとは、なんて贅沢なんだろうなあとゆっくりひとりチョコレートのマグの紅茶でボーッとしている。タバコは吸いたいけど禁煙なので割愛する。

なんとなく、ひとりで食事がとれないという意見をTL で見た。なるほどなあとうなずいた。結果、私はひとりの食事の方がいいなあとボンヤリと今チョコレートをなめとかしながら考えている。ひとりで食事が取れないというのは単に友人をひとりにさせてはならないっていう強迫観念的な気持ちで、ひとりにしてはならない、ひとりになってはいけないっていう淋しいきもちを想像して納得している。はなしをしなくてはならないとか、ひとりのひとならひとりのひととはなしをしなくてはならないと、そうなんだろうなあとなんとなくわかっている。ちょっと淋しいと思う。

ひとりごはんがしたい。

いま、ひとりにしてはいけないひとと周りにいながら、ひとりのひととはなしをしなくてはならない正直なきもちで今、ひとりごはんがしたい。チェーン店か、気に入っている素敵なお店がすきだ。階段をぽくぽく歩いてそこにいくつかむれみたいなものを作って、ひとりでタバコを吸ったりして、スマホをポチポチしたりして青森のボロのトタン屋根だらけの景色をゆっくりじっくり眺めたい。私の好きなお店のカドリーユは猫がいる。たまにのっそり歩いてくるのでゆっくり歩くのがいい。ゆっくり歩くのに日差しの窓がある。その窓が木床のぽてぽてと歩いていく様を猫の尻尾が影になる。ひとりごはんがしたい。ワンプレートの美味しいごはんが。

そこに、私の大好きな喫茶店には、もう猫はいないわけだけど、もうしっかりと歩いてはいけないけど、バスにはもう乗れないし、つえを使ってまで歩かなきゃいけない。装具は気に入っているけど、たくさんのじろじろ見られるそれはわりと負担になるものだ。

それでもなんとなく思うひとりごはんの懐かしさがいとおしい。ひとりで静かになにかをゆったり考えるもくもくとしたスマホのポチポチがただとても懐かしい。ひとりごはんしたいな。


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