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結局、ウルトラマンの「神秘性」って何なのさ?
「近年のウルトラマンは擬人化されすぎて神秘性に欠ける」「いやそんなものは初代から無かった」などの論争は未だ絶えない。神秘性と玩具販促のバランスは毎年制作陣を悩ませている事だろう。
もちろん私も一人のウルトラバカとして意見は持っている。
結論から言ってしまうとウルトラマンの神秘性とは「化けの皮」である。
「こいつは神ではなく人間ですよ」という展開のためには人間以上の美しい姿や仕草をしている必要がある…というわけだ。
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…言いたい事は全て言ってしまった。
なので以降は補足的な内容になる。
神秘性とは何か
しんぴ‐てき【神秘的】〘 形容動詞ナリ活用 〙 ふつうの理論、認識をこえた不思議なさま。
第1話のウルトラマンはかなり不気味だった。
確かに仏像のような美しい姿をしているが、抑揚のない声で淡々と喋っていたと思ったら、突然笑い始めたりとにかく不気味なのだ。未知との遭遇。まさしく人間の理解を超えた神秘的な存在だった。
ティガとダイナの初変身もかなり不気味だった。人間の肉体が分解され光となって吸い込まれていくなど、冷静に考えたら物凄く恐ろしいシーンではないか。
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姿が美しいだけではダメなのだ。底知れぬ恐ろしさがあって初めて「神秘的」なのではないだろうか。
ウルトラマンは神か否か
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これは「作品による」としか言えないが、多くの場合は作中でその神格が否定されることが多い。
否定パターンは大きくわけて
①持っている神格を捨てる
②そもそも神格など最初から持っていない
の二種類。
具体例を挙げよう。
まず①の「持っている神格を捨てる」例。
主な該当作品は「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団(ハヌマーン)」「ウルトラマンG」「シン・ウルトラマン」など。
宇宙の調和を保つ上位存在でありながら、秩序ではなく愛のために命を賭ける事で神は人間になる。グレートやハヌマーンは愛する友のために大自然の摂理にも挑む勇気を見せ、シン・ウルトラマンに至っては人間を奮起させるために人間宣言して神格を捨てた。
秩序(Cosmos)ではなく愛という名の混沌(Chaos)を選んだ永遠なる勇者たちである。
次に②の「神格など最初から持っていない」例。主な該当作品は平成三部作。
ガイアとアグルが根源破滅天使ゾグに敗れた時、テレビ中継されていたためウルトラマンの正体が高山我夢・藤宮博也という「ただの人間」だった事が世界中に知られてしまった。ただの人間に世界が救えるわけがないと絶望する人が多くいた。
しかし我夢と藤宮はウルトラマン以前に人間として、地球に生きる命として、総力戦でもう一度ゾグに挑み勝利した。マンやグレートが「堕天使」ならばガイアとアグルは「神殺しを果たした人間」と言えるだろう。
ティガはもっと露骨だ。超古代の神々は人間の選択には干渉しないスタンスを取っていたが、ダイゴの変身するウルトラマンティガは神ではなく人間なので人類の選択にも干渉する。
ティガという作品のテーマの集大成たる第45話では「緩やかな滅亡」という人類の選択にノーを突きつけエゴを貫いた事で神々を超えてみせた。
昭和二期シリーズも本来ならここに該当するのだが、一作だけ特例が存在するので割愛。
神か?悪魔か?ウルトラマン
多くの作品ではウルトラマンの神格は否定されるが、中には前向きに肯定する作品もある。その最たる例が「ウルトラマンA(エース)」だろう。
メインライターの市川森一がクリスチャンである事から作中の随所に聖書の要素が見られる。ゴルゴダ星やマリア1号などはあまりにも有名だし、最終回のエース最後の願いは神の啓示そのもの。
だが、もっと強烈なキリストのメタファーが存在する。ウルトラの父である。
クリスマスとはキリストの降臨祭であり、ヒッポリト星人との戦いで命を落としたウルトラの父が第38話「復活!ウルトラの父」にてサンタクロースの姿で降臨する。
医者と隊長のやり取りにこんなものがある。
「ウルトラの父だ!」
「あれはサンタクロースですよ。竜隊長、頭を打ちましたか」
「いや…あれはウルトラの父だ」
38話の「自分が信じたいものを信じろ」というテーマに沿ったシーンだが、ウルトラの父がキリストのメタファーである事から意訳すると
「ウルトラの父だ!」
「あれはイエス様ですよ。竜隊長、頭を打ちましたか」
「いや、あれはウルトラの父だ」
という本質が見えてくる。
ヤプールが目立って登場しないエース後半は過小評価されがちだが、第38話は多神教の国である日本の神を崇めていながらも一神教のような立ち回りをするナマハゲを「悪」として断罪する非常に思想が強い回なので観てほしい。
キリストのメタファーでありながら悪魔のような角が生えているという、矛盾。
— 刑太 (@DC_WATCHMEN) January 26, 2025
ウルトラの父のこの姿は「自分の信じたい神を信じろ」というこの回のテーマの具現化だと僕は思っている。
「おじさんは良い人?悪い人?」
「君はどう思う?」 pic.twitter.com/YJtGXVhlaj
この悪魔のような角の生えたイエス様は上記の「不気味さ」もしっかりと満たしていて個人的にはかなり神秘ポイントが高い。
そういえば「コスモス」の世界観ではウルトラマンはサンタクロースのようなおとぎ話の存在として人々に認知されているため、エースの神秘性を踏襲しているのかもしれない。
まとめ
シン・ウルトラマンの「ウルトラマンは神ではない」は非常に感動的だったが、全てのウルトラマンに当てはまるわけではない。
持っている神格を捨てる者、最初から神格なんて持ってない者、神として責務を果たそうとする者などウルトラマンは多種多様だ。
神格を否定してもいいし肯定してもいいが、そのためは美しい姿をしている必要があるし、ただ美しいだけでもダメなのだ。
終