ひろがるスカイ!プリキュア 総括
「ひろがるスカイ!プリキュア」が今日最終回を迎えた。一年間とても楽しませてもらった。私がプリキュアシリーズにハマるきっかけを与えてくれたという意味でも感謝している。
先に言っておくと私が観たプリキュアは
ふたりはプリキュア(好き)
ふたりはプリキュアMaxHeart(好き)
ふたりはプリキュアSplash☆Star(一、二を争うほど好き)
Yes!プリキュア5(四番目に好き)
Yes!プリキュア5 GoGo!(ニガテ)
フレッシュプリキュア!(一、二を争うほど好き)
ドキドキ!プリキュア(三番目に好き)
スマイルプリキュア(ニガテ)
GO!プリンセスプリキュア(五番目に好き)
魔法つかいプリキュア(とてもニガテ)
HUGっと!プリキュア(好き)
キラキラ☆プリキュアアラモード(ニガテ)
スター☆トゥインクルプリキュア(好き)
キボウノチカラ オトナプリキュア23(とてもニガテ)
だけであり、半数くらいまだ観てないのでシリーズ最新作という文脈での評論は出来ない。ご了承ください。
評価点
・令和によみがえる「ふたりはプリキュア」
主人公ソラ・ハレワタール(キュアスカイ)と相棒の虹ケ丘ましろ(キュアプリズム)は対照的なヒーローだ。友達に傷ついて欲しくないから一人で戦うソラ、友達だからこそ一緒に戦いたいましろ。同じ「ふたりはプリキュア」概念でもプリキュア同士から友達になった初代プリキュアとは真逆の関係性になっているのが非常に面白い。特にましろは凄い。「一見おっとりしたように見える相棒ポジションの方が実はヒーローとして既に完成している」という点が雪城ほのか(キュアホワイト)をオマージュしたキャラクターとして完璧だった。
・考え続けるヒーロー
ならソラは美墨なぎさ(キュアブラック)をオマージュしたキャラクターなのか?と言われれば全くそうではない。
ではどういう人間なのかというと、彼女は「考え続けるヒーロー」である。
永遠に未完の大器なのだ。とにかく考える。敵であろうと命までは奪わない。敵の言葉にも耳を傾けて真意を知ろうとする。私が特に好きなエピソードである第41-42話では大幹部スキアヘッドの「愛する人が望むのなら」という言葉に衝撃を受けて隙を突かれる未熟さを見せた。しかしソラはそれを「未熟でも良い」と受け止めてスキアヘッドの真意を知るために戦う。
未熟だからこそ成長をやめないソラにとって大きな試練の始まりだったが…
・ツバサの「ひろがる夢」
こ賛否両論を呼んだ男プリキュア・キュアウィング。彼はプリキュアになった事で「空を飛びたい」という夢をクッソ雑に叶えてしまい以降夢に対する言及が無くなったため私はガッカリした。しかし!
夢はひとつじゃない。夢を叶えれば次の夢が出てくる。ザ・ブルーハーツの「夢」の歌詞のように。そして原作版セーラームーン第四部の内部戦士達と同じ「戦士として世界を救うことが今の夢」という結論に到達する。思えば私的動機が強い他三人に比べツバサは使命感の強い生粋の「戦士」だった。実はプリキュアじゃなくてセーラー戦士なんじゃないの!?ってレベルで。おあつらえ向きに「プリンセス」までいる。そういう意味では男プリキュアを出した意味は大いにあったと思う。これまでのプリキュアで避けてきたステレオタイプなヒーロー像をやるには男はもってこいだ。
・不殺と勧善懲悪の完璧な両立
本作はヒーロー番組なので当然だが勧善懲悪である。しかしただの勧善懲悪ではなく徹底的な不殺を前提に行われる勧善懲悪なのだ。
今作のプリキュアはカバドンやカイゼリンはもちろんバッタモンダーのような卑劣漢にもやり直すチャンスを与える。
他作品で例えるなら「キン肉マン」が近いだろうか?力に執着するバッファローマンを正義に目覚めさせる展開はひろプリと同じと言っても過言ではないだろう。
・力の使い方
かつての戦争でエルレイン(キュアノーブル)の光の剣がカイゼリンを傷つけた。そしてカイザーの闇の力がカイゼリンの傷を治した。そして300年後にカイザーと同じ方法でバッタモンダーがシャララを人質にする作戦を取っていた。
とにかく光の力だろうと闇の力だろうとそこに善悪などなく結局はその人の使い方にすぎない。同じ力を持っていても心構え次第で神にも悪魔にもなれるのだ。
決戦前夜となるクリスマス回にはランボーグが登場しない。しかし変身はする。では何のために変身するかと言うと「災害救助」と「プレゼント配布」のためである。敵を倒すだけがヒーローではない。本作のヒーロー像を如実に表した傑作回だと思う。
・マッチョイズムの否定
「ヒロイズム」とはなんだろうか?私は「マッチョイズムの否定」だと思う。
私の大好きなヒーローの一人であるテッカマンブレードはアックスに「強くなったな」と言われて「強くなどなりたくなかった」と言っていたし、デビルマンのラスボス・サタンは「力の強い者が弱い者を滅ぼしてよいわけがないのにな」と自らの悪行を反省していたし、北斗の拳のケンシロウは最強の力を持ちながら誰よりも弱肉強食の世紀末時代を憎んでいた。
後述するがスキアヘッドはあまり出来のいいラスボスとは思えなかった。それでもマッチョイズム全開でヒーローガール達に立ちはだかる姿は「ヒーローが倒すべき最大の敵」としては正しかったと思う。
微妙だと思った点
・エルちゃんが全体的に描写不足
ソラやツバサを引き立てる舞台装置としてはかなり大活躍だった。が、エルというキャラクターの掘り下げは足りなかった。それくらい他四人のキャラが完璧に立っている証でもあるが…
孤独なエルレインがエルとして転生した際にミラージュペンを生み出す力を持たせた理由も素晴らしかったが、私は普通に「エル」という一個人の話がもっと見たかった。
・家以外の日常描写が希薄
学校にはかろうじて行っているが街の人との絡みはあまり多くない。ハロウィン回でも普段からソラシド市を描写していれば市民に応援されるプリキュアという展開の説得力になったはずだ。かと言ってスカイランド全振りというわけでもないからよくわからない。
「Goプリ」の七瀬ゆいのような「正義感の強い一般人」を出せなかったのは痛い。
問題点
この作品の評価点と問題点は表裏一体である。
なぜなら「今まで出来ていた事」が最終章に入った途端、急に出来なくなったからである。
・スキアヘッドに丸投げしすぎ
終盤の展開で一番目立つのはここ。一応黒幕である伏線は張っていたらしく設定の整合性は取れているのだが、思想的な整合性に比べればそんなものは二の次である。旧Twitterでは「令和のゴーヤーン」などと言われているようだが「命を侮辱する存在=大自然の使者たるプリキュアが一番倒さなければいけない敵」として徹底して描写されたゴーヤーンと、ただ黒幕だっただけのハゲを一緒にしないで欲しい。
じゃあなんすか。相手を理解するために戦っていたソラにとって目的さえ知れればスキアヘッドはもう用済みってことすか。まともに話し合う事なく殺してしまいましたもんね…
・最終決戦での唐突な不殺解除
この作品のヒーローは基本的に不殺である。しかし第49話でスキアヘッド改め闇の化身ダークヘッドをキュアプリズムが殺害し、最終話では五人のプリキュアがダークヘッド改めダイジャーグを殺害した。しかも前者は直接手を汚したようには見えない描写になっているのが本当に小賢しい。
というかスキアヘッドの自爆の際に絶望していたのはなんだったんだ?敵さえも救おうとするひろプリのヒロイズムではなかったのだろうか?人間・スキアヘッドは救う気はあっても闇の化身・ダークヘッドは生物ではないから救えないのか?
これを指摘された時に制作サイドは恐らく初代プリキュアのメップルよろしく「闇に還っただけ」だと言い訳するのだろうが、当の初代プリキュアでさえピーサードを殺した後のほのかとなぎさはPTSD寸前まで行ったし、自ら「死」を選んだキリヤは間違いなく「命」だ。闇の化身だから殺してもいいなんて言い訳は通らない。
勘違いしないで欲しいのは私は不殺を強要したいわけではない。むしろヒーローならちゃんと敵を殺して勧善懲悪を徹底する方が好きだ。
だがひろプリは「悪を殺す」のではなく「改心を促す」のタイプの勧善懲悪を貫いてきたはずだ。
殺すにしたって「力を求めるがあまり、肉体を捨ててまで闇に染まってしまう貴方なんか...!」と一言あるだけでも違ったと思う。
何ならMax Heartの九条ひかるのように子供に転生するという形でも良かったかもしれない。それこそラストシーンの子供をスキアヘッドを彷彿とさせる少年にする、でもいい。
・光と闇の安っぽい二元論
カイザーがカイゼリンの傷を塞いだ闇の力を、次世代のバッタモンダーがシャララを人質にするために使った。
先代が善き力の使い方を見出だしても悪い使い方をする奴がいるのに、それでも見捨ず改心の機会を与えるひろプリの器の大きさが好きだった。
しかし第49話から唐突に闇の力自体が悪なるものとして描かれた。急なテコ入れがあったとしか思えない。
繰り返すが今まで不殺を貫いてきたプリキュアは浄化という免罪符で「闇の力の化身」であるスキアヘッドを殺害した。
そしてダークキュアスカイだ。デビルマンや仮面ライダーのように「悪の力を正義の心で制御する」展開に私は期待した。実際スカイはそのつもりだった。しかし結局はプリズムの光によってスキアヘッドごと浄化されてしまった。
オールスターズFでキュアプーカ・キュアシュプリームを生み出した作品が最後にすることがこれ!?
そして闇から生まれたカイゼリンやミノトンの身体からも光の力が発現した。
以上の展開から導かれるこの作品の結論はこうだ。
「闇の力はクソ!みんなで光になろうぜ!あ、でもスキアヘッドは闇そのものなので無理でーすw」
である。本当にくだらない。
セーラームーン(原作版)なら「ひとりぼっちの星」のスキアヘッドを救えていたのかな?肉体は器ではなく愛し合うためにあるとスキアヘッドに教えてあげてほしい。
・スキアヘッドに対して「正しく」怒れていない
もうスキアヘッドに罪を丸投げするのはこの際良いとして、誰か一人でもいいので「お前のせいで何人死んだと思っている!」みたいな事は言うべきだったと思う。
目の前のカイゼリンの涙を見捨てたくないから戦うというのはわかる。だったら尚更スキアヘッドの「この女のした事が許せるのかよ?」って煽りに対して「戦火を広げたお前が言えることか!」みたいな返しはすべきだった。
そういうヒロイズムも最終盤には欠けていましたね…
ラスト2話に鍵れば勧善懲悪の「懲悪」部分は0点です。
・結局「力」で勝っている
プリキュアは光の力で闇の化身スキアヘッドを抹殺した。「力が全て」という彼の思想を論破できないどころかプリキュア側が力で勝っている。思想的にはプリキュアの完全敗北ではないか。
結論
ヒーロー観に関しては間違いなく名作。
しかし力や命に対するスタンスは一貫せず。
「考え続けるヒーロー」なので結論に全てを懸けた作風でありかがら出した結論がクソなので
「A-」 良作(大傑作になり損ねた大愚作)
です。
評価点で挙げた要素の半分以上はラスト数話で台無しにしていますからね。残念ながら当然。
まあオールスターズFのBlu-rayが届いたのでこれから観ようと思います。47話までは大好きな作品なので見返す事は今後もあると思います。本編のBlu-rayはキャンセルしました…
一年間ありがとうございました。
追記(2024-02-22)
テコ入れ、あったみたいです…
解散。理由は「見えない子供にビビったから」らしいですがたぶん上から強引に変えられたんだと思います。東映は原作準拠のはずのセーラームーンCrystalをプリキュアのような作風に改悪した前科がありますからね…
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