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誤解が多い名作 ウルトラマン第15話「恐怖の宇宙線」

「ウルトラ6兄弟 THE LIVE ウルトラマン編 ~空想は星空の彼方へ~」の公演を記念しYouTubeで「恐怖の宇宙線」の公式配信がされた。
しかしこの回、色々と誤解が多いのだ。
抽象的な表現が多い実相寺作品とはいえ難しい要素は特にないはずなのに…だ。
なんならブレーザーの第15話や上記のライブステージを見るに円谷プロの人達ですら理解出来ていない可能性があるのではないか。
せっかくなのでここでひとつ私の解釈や持論を書いていこうと思う。



「恐怖の宇宙線」の概要

怪獣が大好きなムシバ少年たちのラクガキに謎の宇宙線が照射されたことで空想が現実となり三次元の生命として実体化したのが怪獣ガヴァドン。
寝ているだけで一切の攻撃をしない(反撃すらしない)がしかしあまりにも身体とイビキが大きすぎるため存在するだけで都市機能を麻痺させるため科特隊は戦車やビートルで攻撃を行った。
その最中ムシバたちが乱入し「やめてくれ」と懇願する。ガヴァドンを倒しに現れたウルトラマンに対しても「帰れーっ!」と罵声を浴びせる。
大ブーイングの中でウルトラマンは「ガヴァドンを殺さないで」という子供たちの願いに応え、誰にも見えない宇宙空間に運んでこっそり殺した。
最後に子供たちに七夕の夜にガヴァドンに会わせてやると約束して物語は終わる。


子供の夢を全肯定する話ではない

確かにブレーザーの「朝と夜の間に」はそんな話だったが、元ネタの「恐怖の宇宙線」は違う。
ムシバ少年たちは(結果的に暴れなかったとはいえ)ガヴァドンに暴れることを願っている。
当たり前だがこんな邪悪な願いを肯定してしまえばヒーロー番組ではない。
しかし肯定はできなくとも否定する権利までは持っていないのでウルトラマンは子供たちに向けて「毎年七夕の夜に会わせてやる」と優しい嘘をついたのだ。


なら何を描いている話なのか

簡単な話だ。人々の平穏を守るためにはいかに嫌われ罵声を浴せられようとも戦わねばならないヒーローたちの悲哀を描いているのだ。
しかし再び宇宙線が降り注いでラクガキが怪獣化したとしても子供たちのラクガキを消す権限は科特隊にはない。
なぜなら科特隊やウルトラマンが守るべき平穏には「子供たちが自由に好きなものを描く権利」も含まれているのだから…


ガヴァドンは死んでいる

同じく実相寺監督が手がけた第35話「怪獣墓場」で怪獣のお葬式のシーンがあるのだがゴモラ、ガマクジラ、レッドキング、アボラスと一緒に遺影が飾られている。
しかし「ガヴァドンは死んでないのに怪獣墓場にいて草」みたいな意見をよく見る。加えて「あれは昭和特撮特有のガバだ」という冷笑を見た時は私は怒りに震えたことをよく覚えている。
何もTwitterや2chだけではない。

信じられない話だがこういう円谷プロ監修の書籍でも「ガヴァドンは死んでいない」と書かれていたりする。
そもそも第15話の中だけでもガヴァドンは宇宙に運ばれて星になったという言及がある死んだということである。
「星になった」と聞いて本当に天体になったと勘違いしている人間はさすがにいないだろうと思っていたが、公式監修の書籍ですらこれなのだから実は結構いるのかもしれない。
かなり根深い問題だと気付かされた。


なぜ七夕の夜なのか

これは私一個人の憶測でしかないのだが、もし「お盆に」と言ってしまうと子供たちにガヴァドンが死んだ事がバレてしまうからだと思っている。
ただ作中の子供たちは現在の円谷プロや客層より賢いので「星になったのかしら」とガヴァドンが死んだ事を普通に察している。


まとめ

昨今のウルトラシリーズは怪獣に対して甘っちょろい対処をする作品や、下手すると「人間側から怪獣サマに寄り添え」と言いかねないレベルの作品まで現れている。Risingとかウルスパとか、それこそ最初に言及したライブステージもそうだ。
まあ今の円谷がこういう方針なのは最悪いい。

しかし「恐怖の宇宙線」をそのふざけた思想のプロパガンダに使わないでもらいたい。

「怪獣とだって仲良くなれるよ」などと元ネタと真逆のことを言うライブステージの宣伝に使うなど論外なのである。



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