もうすぐ終わる┃Essay
私が終活を始めてから10年になる
始めた理由は、逝くときに後悔しないようにである
夢中で生きた若い時代
世の中に振り回された熟年時代
歯車が狂った壮年時代
最後は「力尽きた・・・」
ゆっくり人生を考えてみたくなった
その頃の私はどん底にいた
人間恐怖症で部屋に閉じ籠もっていた
それでも殻の奥では抜け出そうともがいていた
そんな時にカーラジオで日高晤朗塾生徒の募集案内を聴いた
ラジオパーソナリティーになろうとは思ってもいない
でも、何かがあるような気がしてならなかった
何かを求めるようにして日高晤朗塾の門を叩いた
人と話をすることもなく、声を出すことを忘れてしまっていた私は発声練習から始まった
毎月一回、電車で放送局の一室まで通った
四年間は同じダメ出しをされた
「滑舌が悪い・・・・・」
そしてやっと五年目に「いい声だ」と言われた
五年間一日も休まず発声練習してきたことが実ったのだ
この時、思った
「オレ、まだ生きれるんだ」
それから、私の終活計画がはじまった
何を諦めて、何をするかを考えたのだ
令和5年2月7日の終活計画だ
昨年11月に片眼を失った
片眼に馴れるのは結構難しい
モノを持つときは、いったんモノに触れて位置を確認してから掴む
座頭市ではないが、座頭村のような感覚
視覚よりも触覚と勘が優先する
三次元で二次元の人間が生活しているような感じだ
道路のような広いところでは、一点透視図のように家の大きさで距離が判る
しかし近距離のものは距離感が難しい
例えばスマホにタッチする時は三段階の動きが必要だ
最初はスマホの大体の位置に指を差し、スマホに向けて指を進める
ここだろうと思ったところにスマホはなく、あれっと思いながら更に指を進めるのだ
居酒屋で飲み物を受け取るときは、人差し指が触れてからグラスを握りに行く
日曜大工で丸ノコを使うときはかなり緊張する
ノコの歯の位置をいろいろな角度から見て確認をする
不便を考えるとイライラするのでプラス思考を続けている
ドラマの主人公になったような気分で、片眼の生活様式を楽しんでいる
はじめてのことをするのは結構面倒だ
見えない左側の距離感が判らなくて、身体ごとぶつかる
なんとなく行動制限するようになり、生活はシンプルになった
作家の夢は諦めないが才能の無さに情けなくなる
欠点が判ったのだから、あとは欠点を修正していけばいいだけだと考えている
最後まで諦めないつもりだ
そして、1万円で購入し改修したウッドベースは基礎学習からやり直している
目指すは、ジャズベーシスト
見せかけではない本物のジャスを追求したい
もうひとつ夢がある
パンフルートだ
写真のように22管の笛を並べたような民族楽器
郷愁帯びた音にシビれた。
生涯で二曲奏でられれば満足
「コンドルは飛んでいく」と「孤独な羊飼い」
毎日吹いていないと音が出なくなる
最近、突然ハマったものが電子ピアノ
いままでだってピアノに触れる機会はあったが、手の届かない難しい楽器だと思っていた
電子キーボードは持っていて、リズムマシーンと音程の確認用にしか使っていなかった
先日、ヤマハPSR300を入手した
その音が琴線に振れた・・電気が走った(感電ではない)
いまピアノ練習曲ハノンを続けている
目標曲は Autumn Leaves(枯葉)
これが私の終活計画
死ぬまでに・・・・・ものだ。