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『ストレンナ』を現場で活かす(1)

カトリック碑文谷教会
教会(日曜)学校リーダー研修会
4月9日(日)13:00〜

カトリック・サレジオ修道会では、毎年新年に総長による『ストレンナ(Strenna)』の発表がある。『ストレンナ』とはイタリア語で「贈りもの」。ドン・ボスコの時代からの習慣で、「サレジオ家族年間目標」として全世界のサレジアン・ファミリーが共有している。

2023年は
As the Yeast In Today's Human Family
The Lay Dimension of The Family of Don Bosco

(社会のよきパンだねとなろう ドン・ボスコの家族として)」。
この『ストレンナ』をどのように活動に活かしていくか。キリスト教カトリック信者の少ない日本の小教区、教育現場では、なかなかの悩みどころではないだろうか。
今回、『ストレンナ』を現場で活かす取り組みを行なっていると聞き、取材に向かった。

東京・目黒区にあるカトリック碑文谷教会。ここはサレジオ会が担当しており、子どもたち、若者たちの活動が活発に行われている。毎年4月、教会学校のリーダーをする若者たちが年度初めの研修会を行っている。
2023年4月9日、復活祭の喜びを祝うかのような晴天。ミサが終わる昼頃から、15人の青年と5人の修道者・神学生が司祭館の2階に集まり、自己紹介の後の楽しい昼食から研修会は始まった。この日が初めてのリーダー研修会参加という青年も。
昼食の後、助任司祭である三島神父、教会の青少年司牧委員である山縣|《やまがた》さんからのリーダーとしての心構えや全体の確認事項を読み合わせで共有、三島神父による今年のストレンナの解説を受け、アニメーター*の井貫さんのファシリテートで『ストレンナ』をベースとした全体の目標決定へと続いていった。

*アニメーター:イタリア語「アニマトーレ」。活動を「動かす、活気づける」という意味で、全体のまとめ役、進行役を担う役割。

「社会のよきパンだねとなろう ドン・ボスコの家族として」

三島神父は、カトリック碑文谷教会報『FONS(フォンス)』に自身が書いたストレンナ紹介記事の内容を織り交ぜながら、『ストレンナ』を「日曜学校の中でどう活かしていくか?」を皆で考えていくよう促す。『ストレンナ』は小さな種が大きく成長していくイメージ、ここでの種は「子どもたち」、その可能性を育てていくことをリーダーたちには求められている。一人ひとりを大切に見守り育てる。日本社会の中でのカトリック関係者は数少ないが、その少量の存在が社会を変えていく可能性もある。日曜学校もその可能性を秘めている。日曜学校でのリーダーたちの影響が子どもたちを通して社会によい影響を与えていくことを望んでいると話す。

その解説を元に3グループに分かれて分かち合い、キーワードを挙げていく作業を行う。

神様の愛を広げよう」「優しさを育てよう」「一人ひとりのいいものを育てる、成長させていく」「一緒に成長」「可能性」「小さな良い事を」「小さな優しさ、大きな愛
小さな良いことの種を蒔こう」「小さな喜びの種を蒔こう」「花を咲かせる」「育てよう喜びの種

これらのキーワードからテーマを決めていくためにキーワードを絞り、まとめていく。
中々まとまりきらない中、そのキーワードを元にテーマソングを選んでいく流れになっていった。

候補として挙がったのは、
心をつないで」「なかま」「Together as One」「歩こうイエスの道を」「神様からのおくりもの
の4曲。聞いたことのあるタイトルもあるが、知らないものばかりだ。碑文谷教会やサレジオ会小教区独自の聖歌もあるようだ。
それぞれのグループから推しのポイントを挙げる。
自分に近い人とのつながりを大事にする部分」「しんみりしたイメージはふさわしくない」「一人ひとりの力が弱くても、繋がることで強くなる」「たくさんの笑顔がみんなを優しくする」。

井貫さんの提案により顔をふせ、挙手による多数決で歌を決める。
心をつないで」が半数ほどの票を獲得し、今年のテーマソングに決まった。

だが、この歌詞を題材にキーワードをまとめ上げるのが産みの苦しみだった。
子どもたちにも分かりやすい内容にしていく必要がある。教会学校に来る子どもたちの中には、信者でない子もたくさんいる。リーダーたちも然り。この場での作業は、カトリック信徒を前提とした『ストレンナ』のメッセージを日本社会に浸透させるための翻訳作業なのだ。

カトリックの信仰を背景とする人とそうでない人が、教会またはオラトリオ*の器の中で子ども達の成長に関わり、自分たちが活かされる場を自分たちで作る。それを見守る神父やシスター。
この自主性に委ねられた経験が新たな若い人を惹きつけ、この場を作っている。

*オラトリオ:イタリア語で「祈りの家」という意味。ドン・ボスコはサレジオの精神が息づく自らの教育の場をこう呼んだ。

暖かな陽射しの入る窓の外、すぐそばの運動場兼駐車場で、遊ぶ子ども達の声が聞こえてくる。
研修会は未来への希望を各々に抱かせながらテーマの決定へと着地した。

「小さな善いこと、大きな喜び」

これまでの時間は、何らかの結論を生むためというよりも、ここに参加する若者達全員を1つのチームとしてまとめるための時間。この取材を通して、感じたのは、例えどんなによいものだとしても、一方的に与えられるものは心の糧にはなりにくい。しかし、人が集まってよいものを分かち合い、咀嚼することでそこにいる全員がよいものを心の栄養として吸収できるのだ。それがまた、リードされる子ども達に広がっていく。この連鎖がこの場に人を集めているのだと感じた。

碑文谷教会の教会学校は、信徒だけが集まる場ではなく、地域に開かれ、子どもたちや若い人を受け入れる場所。それはまさにドン・ボスコが大切にしたオラトリオに通じる場所だと感じた。子どもたちと喜びを分かち合うこの場所で、『ストレンナ』という心の糧も、分け隔てなく皆で分かち合われていくことだろう。(終)