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『素朴さと従順と教育と』
No.3
北川純二神父
サレジオ会日本管区 サレジオ小学校・中学校校長
カトリックの信仰を土台に自分を活かし、
神と人のために尽くす人生を送る人々がいる。
"人間"としてのサレジオ会員たちに
“人生"を伺ってきた。
聞き手:サレジオ会日本管区広報 中村
福岡県の新田原*ご出身ですね。
サレジオ会に入る前まで実家にいらっしゃったのでしょうか。
*新田原:福岡県行橋市大字道場寺付近の通称。JR九州日豊線の新田原駅、カトリック新田原教会がある。ある時期、地域居住者に対するカトリック信者の割合が多かった。
いえ、
中学1年生で福岡教区の小神学校に行って、中学3年生の途中までいたのね。で、中3の途中に新田原に戻って、高校1年生まで過ごして、
高校2年生から川崎サレジオ志願院*に行った。
*1974~1995年に神奈川県川崎市鷺沼にあったサレジオ会の小神学校寮。サレジオ学院の横浜市都筑区移転に伴い移転。同年三重県四日市に「四日市サレジオ志願院」が開設し、その後横浜志願院は2012年3月に閉院。
初めて聞く生い立ちです!
イレギュラーな感じ。
それは、新田原という場所がカトリック信者が多い場所ということで、
周りの大人たちから神父になりなさいと言われて、福岡の小神学校に行ったのでしょうか?
おっしゃる通り、環境が環境だったので、同級生も小神学校に行ったけど、神父になっているのは僕だけ。シスターは4人いるんですよね。一緒に福岡の小神学校に行ったのも4人だったかな。中学生の時にシスターや神父を目指して小神学校や志願院に入った同級生は、10人くらいいたんですよね。
多い方だったとは思うけれども、他の学年もそれなりにいたんだよね。
別にそれに流されたってわけじゃないけれども(笑)。
一つ上の兄も福岡の小神学校に行ってたので、だから、福岡教区の小神学校に行った。
小学校高学年の頃、サレジオ会の倉橋神父様が土日、中津のドン・ボスコ学園から新田原教会に来てくれて、若い人たちのお世話をしてくれてたんですよ。倉橋神父様のあとは松永神父様、山野神父様が来てくれていて。
だから、サレジオ会員とは接点があった。でもそれより以前に接点があった。父の友人が築城(築城町のこと。現在の築上町)の航空自衛隊にいて、時々家にも遊びに来てくれてたりしてたんですが、転勤になって。元々大分の人で、大分に戻ってからも僕と一つ上の兄でその方の家に遊びに行ってて。所属は大分教会で、当時はサレジオ会が担当していたんです。その頃の主任はスーハン神父様だったんです。サレジオ会員で最初に接点があったのはスーハン神父様だった。
その後、5年生の時だったかな、倉橋神父様が来てくれて、「大分教区の召命の集い」に参加して、その責任者をやってたのが溝部神父様(当時)だったんですね。小学6年生の時、「野尻湖(長野県)の聖書学校」に行かせてもらったりして。小さな頃からサレジオ会との接点はあったんですよ。でも、福岡教区の小神学校に行った(笑)!
それは何か、その頃福岡教区にあった聖パウロ修道会とか教区の神学校からお誘いがあったんでしょうか? 当時は修道会や神学校でのイベントやツアーのようなものがよくあったと記憶しています。
当時はそういうのがたくさんあったね。子どもが本当に多かったから。でも福岡教区から誘いはなかった。新田原の小学校が3クラスで、その6分の1くらいがカトリック信者だったんですよね。同級生に25人信者がいて。だから、そういう中で神学校とかシスターの志願院に行く人が多かったんですよね。そういう環境だったので、自分も福岡の小神学校に行って、で……、色々あって(笑)。一旦新田原に戻って、高2の時に川崎サレジオ志願院に。
その頃ロロピアナ神父様が召命の担当で日本中を回ってた。僕の家にも訪ねてきてくれて、お話しして。高2から川崎に編入したんですよね。
神父になるっていうことにあまり乗り気ではなかった?
別にそういう訳ではないんですよ。まあ、色々あったんですよ(笑)。としか言えない。
川崎サレジオ志願院に入った後神父になるまでの過程は、当時のカリキュラムに沿って。
僕が北川神父の姿で覚えているのは、僕が川崎志願院にいた時に、調布サレジオ神学院のメンバーとサッカーの対抗試合してた時ですね。
当時はよくスポーツ交流してたからね。人も大勢いたし。
北川神父はスポーツ万能なイメージがあります。
いえいえ、全然。今は全然動けない。
ある程度動けるけれども、動いて何かあったら、大変なことになるので、それがすっごく心配で動けない。
そういう立場(校長)にいらっしゃいますからね。
数年前までは中学生とサッカーしてたけれども、
ここ5年くらいですかね。怖い。何が起こるか分からないんで。
志願院に入った頃、同級生にはどんな方がおられましたか?
僕が入った時、同級生は3人。
で、1つ上が2人。すごく少なかった。
川崎は、鳥越神父様(北川の3学年上)が中1の時に始まった。初年度は7名だったそうです。で、僕の一つ下から多かったんです。多分10人くらいいたと思う。そして二つ下が小島神父様と佐藤神父様の学年。
1学年に平均して5~10人くらいの志願生がいた時代ですね。
僕は高2からだから、6年間いた訳ではないけれども、学年としては、増え始めた頃ですね。同時に小笠原神父様が赴任されてきた。そして次の年に松尾神父様が来られた。
あの頃はサレジオ会の神父が家庭に訪ねて来られて、声をかけられていた。
それを担えるだけの余裕が会員にあった。とも言えるんだと思うんですよね。
会員が召命育成に専念できるだけの。そこはやっぱり大きいと思うんですよね。
どうなんでしょうね。これだけ会員が少なくなっていく中でも、誰か専属で、その仕事に専念できるポジションというか、作れるのか? 作った方がいいのか? 分からないけれども。
時代が変わってきて、子どもが減ってきているのも影響していますね。
それを実感しています。
びっくりしたのが、もう10年以上前、夏休みに新田原に帰省した際の朝の御ミサの時、小学生が夏休みだから侍者をしてくれたんですけど、6年生が1人いて。6年生何人くらいいるの? って聞いたら、「自分1人」。すっごいショックでしたね。本当に子どもがいないんだって。それを覚えてますね。
日本の教会や修道会が超高齢化社会を反映しているっていう話もあるくらい。
見たらすぐ分かりますね。
それも、10年以上前の話だからね。今はもっと厳しいなあって思った。
だからといって、召命活動というか、それをやめてしまったらおしまいなので。
管区長や総長の話を聞いていても、サレジオ会の活動を本来の姿(青少年の教育や召命育成)に戻そうっていう動きがあるようですが、日本が高齢化しているからといって、子どもや若者に関わることをやめる訳にはいかないですよね。
そうです。
そのために働くというのがカリスマ(霊性、使命)ですからね。
その働き方というか、枠組みみたいなものは今までと同じにはできないから、変えていかないといけない。
会員の中からもそういう話は出ている?
ずっと前から出ています。
具体的にそれを実行していくっていうのは、中々時間もかかったり、難しいところがあったりするんですけどね。
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サレジオ学園まで入れると、広大な敷地だ
北川神父様はかろうじて若者がいる環境にいらっしゃいますが、最近の子どもたちの様子を見て感じることはありますか?
確か、サレジオ小学校・中学校に来られて10年程ですね。
ちょうど10年。
その前はどちらにおられたんでしょうか?
その前は横浜のサレジオ学院。
その前は?
その前は1年間、四日市のサレジオ志願院にいて、その前が11年間、宮崎の日向学院。
ずっと学校畑なんですね。ある意味サレジオ会員らしい現場に関わり続けている。
神学生の時、溝部神父様が院長で。その時に「どういうことをやりたいか」って聞かれて。「学校で働きたい」と言ったんです。
日向学院は実地過程も入れると13年間。サレジオ小学校・中学校ももう10年。
サレジオ小学校・中学校に来られた時は、校長としてではなかった?
いや、校長として来ました。
子どもたちとずっと関わり続けられるっていうのは、サレジオ会員の生き方として理想ですね。
ありがたいことですね。
その場所や時代によって、子どもたちの変遷を見て来られて、何か「最近の子どもたち」に感じることはありますか?
「最近の子どもたち」っていうと、なんかネガティブなイメージを想起してしまうけど、まあなんていうかな。もちろん子どもであるという本質は変わらないので、変わったのは周りの環境だと思うんですよね。社会環境が本当にガラッと変わってる。それに影響を受けるのがやっぱり子どもだと思うんですよね。それは感じる。
日向学院が長かったっていうのはあるけれど、地方と東京、東京だけではなくて、都市部との違いなのか、時代の動きなのか。多分両方だと思うんですけど、子どもたちが放課後自由に遊ぶところがないっていうのが、今の状況じゃないかな。
今住んでいる小平市は自ら「プチ田舎」って発信してるんだけど(笑)。そんな小平市でも放課後に自分たちだけで自由に遊べるっていう環境がほとんどないというか。サレジオ小学校・中学校の子どもたちは実際にどういう過ごし方をしているかを調査した訳でもないので、分からないけれども、多くの子は学童に行ったり、習い事に行ったり、そういう子が多い訳ですよね。家に帰る子も多いと思うんだけれども。でも、みんなで集まって「どこどこで遊ぼう」とか、うちの子だけじゃなくて、公立学校の子どもたちもそういう環境がすごく減ってるんじゃないかなって。
学童に行かせた方が、習い事させてた方が親にとって安心というか。親たちも仕事があるので、その点やっぱり仕方がないといえばそうなんだけど、子どもたちが可哀想だなって。
自由がない、ですね。
だからって訳ではないけれども、サレジオ小学校・中学校の敷地内で結構のびのびと遊ぶことができるから、それは子どもたちにとってはすごくいいことだと思うんですよね。
確かに土地も広大ですし、見守る目もあるからですね。
家の近所で「自由に遊んでいいよ」って言われても、何をすればいいか。どこでも公園がある訳じゃないし。公園でもやれることは限られてるし。
中間的な場所(空き地、駄菓子屋、ゲームセンター)というのも減ってきてますしね。
防犯という意味では、近所であっても親がいいと言わないと他の子の家には遊びに行けないし。近所のおじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃん、おばちゃんの家に遊びにいくなんてできない時代ですね。自分の家か、知ってる子どもの家で親も居て……、っていうのが当たり前になってますね。
まあ、あるところにはあるんだろうけど、一般的ではなくなってきてる。
昔は全て良かったって訳ではもちろんないし、昔に戻せばいいって訳ではないと思うけど、今の日本の社会環境の中で、子どもたちがより子どもらしくやっていけるためにはどうしたらいいのかなって。今のやり方しかないのか、分からないですけどもね。
サレジオ小学校・中学校に来ている子どもの保護者には「特に小学校のうちはのびのびさせたいから」っていう方は多いよ。
私の知っている人にもサレジオ小学校・中学校の卒業生が何人かいます。
何か特別なことをやっている訳ではないんですよね。むしろ、当たり前というか。特別なことはやらなくていいので。本当に子どもたちがのびのびとね、生き生きと過ごすことができるそういう学校の環境。そういうのがあるんじゃないかなと思うんですよね。
でも、募集という観点からいうと、正直子どもが少なくなってきて、今の世の流れというか、学校の流れというか、そういうところに乗り切れてないので。
何かこう、目に見えるプラスアルファというものがないと、今の若い親たちには中々アピールしづらいと思ったりもするんですけどね。
子どもが減って取り合いになっていますね。私立は選ばれないと潰れてしまう。
学校の数は全然減ってないんですよ。それどころか一部増えている。信じられないことに。
これまでは学校経営上余裕があったってことですよね。でも最近は「寄付金のお願い」というのをサイトでよく見ます。
学校経営で得る収入だけでは設備の改修は難しくなってきていると感じます。
賄えないと思います。本当にごく一部の学校だけだと思います。
目に見えない影響、でもそれがいい。
目に見えない当たり前の環境を子どもたちに与えることができていないから、それが希少なはずなのですが。
そこのところをアピールしているつもりだけれども。
サレジオ小学校・中学校にくる子どもの保護者はカトリックのミッションスクールと分かっていて通わせていますね。
子どもたち自身の宗教的環境に対する反応はどうなのでしょうか?
僕が小学生に直接接するようになったのはこの小平に来て初めてで、それまでは中高生だった。その違いはあるかもしれないですが、ミッションスクールに通っている子どもたちは今も昔も変わらず、一般的に宗教とか聖書とかそういったことについては結構素直に受け入れているんじゃないかなって。中学生高校生になったら、もちろん批判的な考え方も出てくる。「なぜ、ここではこんなこと言えるんだ」「ここはおかしいんじゃないか」とか。当然そういうことは出てきて当たり前なんだけれども、全体としては、すごく素直に受け入れてくれていると思いますけどね。
宗教的な授業内容や行事などに対して記憶に残るような反発を受けたことはありますか?
何か感想を書いてもらった時に批判的なことを書いてくれることもあるけれども、ものすごく破壊的なことを考えてたりとか、強い反発を感じている子にはあんまり接したことはないですね。大体好意的かな。成長過程での当たり前の疑問とか、宗教やキリスト教に対して、人生についての疑問とか批判とか、そういったものはあって当然なので。むしろ全然ない方がおかしい。そういうのは当たり前として、根底から宗教とかキリスト教を否定している人は少ない気がする。
子どもたちは今でもものすごく素直だなって思う。サレジオ小学校・中学校では宗教行事とかお祈りとかやりたくないっていう人まで強制している訳ではないので。けれども僕自身は、やりたくないからやりませんとか出ませんとか、そういった人は今まで一度も見たことがない。イヤイヤ出てる人はいるかも知れないけど(苦笑)。
保護者も同じですか?
そうですね。
バイブルクラスというのが保護者のために月一回あるんですけど、人数は少ないんですけど毎回、関心持って来てくれる人がいますよね。
母親が多いですか?
まあ、それはしょうがないですよね。ほぼお母さん。
でも最近は授業参観や保護者会にお父さんも結構参加しますね。土曜日だったら来られる。お父さんが関心がないって訳ではなくて、都合をつけるのが中々厳しいっていう人も多いかな。
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秋には銀杏を収穫するのが楽しみなのだそう
北川神父様は大学で何を学ばれていたんでしょうか。
歴史です。歴史学科。
教師として教えられるのは?
社会と宗教。
なぜ、歴史かというと、キリシタンについてやりたかったんですね。でも、仏教系の大学だったんだけど(笑)。
ちなみに、どちらの大学でしょうか?
駒澤大学です。
普通の歴史学科ということですね。
そう、普通の歴史学科。
僕が調布サレジオ神学院で大学生の時、溝部神父様が院長で、ご存知の通り、溝部神父様はキリシタンについての専門家だから、一緒に古文書を読んだりとかしてた時期があるんです。佐藤神父も史学で。溝部神父様の影響というのもあったかなと思うんですけどね。
その頃から溝部神父様は神学生とかと一緒にキリシタン関連の資料などを調べられてたんですね。
溝部神父様はずっと前から、そういう研究をされてたから。
溝部神父様については、司教様になられてからの方が会う機会がありました。
キリシタン研究をしたければ、一番相応しいのは上智大学だと思うんだけれども、そこには入れなかった。
キリシタン研究したかったってことで史学科。そんなに深くできたとは思ってないけど。
今でも関心はあるんですよね。うちの中学生の修学旅行は沖縄だったんだけれど、数年前から長崎にしたんですよね。熊本、長崎。日本のキリシタン時代に関して中学生も勉強して、修学旅行に行って、文化祭でそれを発表する。そういうことをやってるんですよね。
ツアーの中に五島は入っているんでしょうか?
行きたいけれど、まだ。
中学生の団体を受け入れられる宿泊施設や食事処がないでしょうか。
それは可能といえば可能なんですよ。恐らく。
以前、田沢神父様がサレジオ学院にいた時、一回やったんです。五島でホームステイ。いつかは五島に行きたいというのはあるんですけどね。でも、五島をスケジュールに入れると半分はそれになるので、今までやっている部分を結構削らなきゃいけない。だからそこは腹を括ってやらないと。あと、交通手段がフェリー(船)だから例えば台風が来て、船が動かないとか、そういった時は困る。島に渡るのもリスクが高い。
でも、子どもたちにもキリシタン時代のことについて知って欲しいというのはある。それを含めて長崎にしたかな。
あとは平和学習の一環として。
キリシタンの話が出たので。
福岡県の東側に位置する新田原教会や行橋教会、湯川教会などは長崎・五島からの移住者が多いと聞いていますが、北川神父様の家もその流れを汲んでいる血筋ですよね。
そう、両親とも奈留島。
ご両親から、「隠れキリシタン」の話などは聞かれたりしたのでしょうか?
そういうのは全然ないですね。
どういう家なのか分からないんですよね。確かめてみないといけないかなと思ってる。町の中心に奈留教会があって、その中心部から結構離れた半島の先っぽにうちの実家があるんですよ。本当に端の端。うちの家の向こう側には1件しか家がなくて、その向こうには道がない。そういう場所なので。やっぱり何かあったというか、あるんだろうなとは思っているんだけれども。教えられたことはないので。
もしかしたら、隠れたままになっていたかも知れない。
いつそこに移ったかも分からない、なんとも言えないので。そこらあたりを調べたいなあとは思っている。
そういうチャンス、時間がないなあとは思ってるんですけどね。今は。
私の父親も五島の久賀島出身で自分のルーツを調べていたようです。大村湾から五島に逃れたというところまでは父親から聞きました。そのパターンが多いようですね。
大村湾からと、あと外海。
そうだね、ちょっと調べたいよね。
どういう流れだったのかは分からないけれども、いずれにしても五島から新田原とかに来た人たちの中ではうちの両親は若い方だったと思うんですよね。僕の両親より上の世代の人たちが新田原教会を作っていったんですけど、そういうところに生まれて育ったっていうのは、偶然ではないと思うので。そういう環境を神様は与えてくれたと思います。
それに相応しいというかそういう神父ではないと思うんだけど(笑)。
そんなことはないです。
申し訳ないなあと思ってるんだけど(苦笑)。自分の家系のことぐらいは調べてみたいなあって、改めて思いましたね。どうやって調べればいいのか分からないけれど(笑)。
確かに(笑)。
向こうの市役所に行ってなのか、誰かに聞けば分かるかも。
私の父親は家系図を書いてました。今も本家は久賀島にあるようです。
うちも本家はあるけれども、早くしないと、誰もいなくなってしまう。そういえば、「浦川和三郎司教」って仙台教区の元司教で、キリシタンの研究をされていた方がおられて、本当にたくさんの本を書いてるんですよ。少し前にたまたま『五島キリシタン史』っていう浦川司教様の書かれた本を読んだんです。内容的にはすっごくつらいというか、いかに迫害されたかっていうことが語られるんだけど、でもものすごく詳しくて、それを読んで、改めてキリシタンとか五島のことについて関心を新たにしたというか、結構面白い本だなあと思った。
ご自身のルーツについてお分かりになることがあったら是非、お聞かせください。
話は変わりますが、サレジオ会員は年度の終わりに辞令が出ると思いますが、
ずっと教育の現場に配属が続いていることに対して、拒否する気持ちを持ったことはありますか?
ないことはないですよ。
学校や教育関係以外で勤めてみたい分野などはあるのでしょうか?
そういうのは特にこれっていうのはないですけどね。
そういう希望とか、学校の中で日本にいつつ、自分に合っているかなっていう学校はあるけれども、
別に固執はしていない。
日本にある5つのサレジオ会の学校全てそれぞれ結構違う特色があって。
私はそのうち3つ、日向学院とサレジオ学院とサレジオ小学校・中学校ですけど、3つとも本当に違うそれぞれのいいところがあるなあって感じがするんです。
ほとんどの時間を学校で過ごされていると思いますが、
支部の中での生活はお伺いできますか?
休日の過ごし方とか? 趣味とか?
これといって無いというところが、なんともね(苦笑)。
この部屋(校長室)にはギターも置いてらっしゃいますね。
ギターは必要な時だけ弾いているっていう(苦笑)。練習も全然していない。
歌う方はいかがですか?
まあ、ギター弾きながら、歌う。授業とか、こどものバイブルクラス、「保護者バイブルクラス」の時にみんなで歌ったりだとか。時々キャンプだとか、中学校の宿泊行事のとき。本当にそれくらいの限られた機会なんですけどね。
高校2年生の時に初めてギターを弾き始めて、ずーっと自己流で誰に習うでもなく、とにかくコード弾ければいいやって。そこから進歩してないんで(笑)。とにかくジャカジャカ弾いてるだけ。
サレジオ会の志願院や神学院って、誰かしらギターを弾いたり、ピアノ弾いたり、楽器を演奏して、歌っている環境だったでしょうから、そういう影響もあったのでしょうか。
ギターとかピアノとか本当によくできる人が、会員や神学生にたくさんいるんだけれども、僕は調布神学院にいる時、当時S先生というピアノの先生がおられて、みんなピアノをやらないといけないって事になって。それで教わったんだけれども、2年くらいでギブアップしました(苦笑)。両手を使って弾いていると、脳味噌が左右に分かれそうな感じ、なんかよく表現できないけど。とにかくダメで、もう2年で「すみません」って、辞めさせてくださいって言って、辞めた(笑)。高校卒業してからピアノって中々厳しいよね。
まあ、ギターだけは伴奏ぐらいできれば、その程度でいいっていう風に思ってるんで。そういう意味では高校生の時から少しでもね、やっててよかったかなって思ってますよね。
皆で歌う時に伴奏をつけられるって大きいですよ。
それだけでいいと思ってます。
サッカーはお好きではない?
嫌いではないです。でももう、膝とかよくないので。5年くらい前からゲームは子どもたちとはやってないですね。
試合を見る方はあまりお好きではない?
好きです。スポーツ全般。体を動かしたいなあっていうのはあるけれども。
球技はここ数年少しやる機会はあるけれど、しっかり走ったりだとかは怖くて。
どうしても年には勝てないと言った感じでしょうか。
そうそう(笑)。
やっぱり怖いですよね。そこはもどかしいですよね。
体を動かすのが趣味っていうことでしょうか?
そうでもないんですよね。体動かすのが好きだったら、たとえば1人でも散歩したり、ジョギングしたり、ジムに行ったりだとか、そういうことをやるんだと思うんだよね。そういうのができない。1人で何かやるっていうのがすごく苦手で。みんなと一緒だったらやるんだけれども、1人だとできない。すぐ飽きるし。
そういう性格なのでしょうか。一緒に何かをするのが好きって事なんですね。
そうそう。
一緒に食事とか、一緒にキャンプとか。
一緒にやる人がいないからねえ。
現在所属の支部に他にどなたがおられるのでしょうか。
田村寛神父様です。2人だけです。
「みんなで」って感じでもないですね(苦笑)。
趣味になるのか分からないけど、謎かけ漫談家「ねずっち」のYouTubeにちょっとハマってる。
面白い話っていうか、話し方が上手いんですよね。そういう話し方とか研究している訳ではないんだけれども、上手いなあって、すごいなって思う。そういうのを結構見るんですよね。
漫談とか見に行ったら、はまってしまうんじゃないですか。
そうですね。
現在小教区や修道院でミサ司式に行ったりはされているんでしょうか。
してますよ。毎週日曜日、大体どこかに行っています。
東京教区から声が掛かってという感じでしょうか。
いや、自然にそうなっていった感じですね。
第1日曜日が小金井教会、第2、第4が調布や世田谷のFMAのシスターの修道院などですね。
あとは桜町病院の聖ヨハネ会の修道院に月に1回静修に行ってますね。これは、私とラップ神父様の2人で。ヨハネ会の修道院には毎週水曜日に朝ミサに行ってますね。これは、私と田村寛神父様が交代で行ってます。
それから、東村山にマリア会の修道院があるんです。幼稚園もあって。そこは月曜から金曜までの平日朝ミサに行ってます。
これも僕と田村寛神父様が一週間交代で行ってます。
結構大変ですね。毎日予定が詰まっているんですね。
そうすると、どこか出かけようみたいなことも中々難しいですね。
土曜日とかはね、丸一日空いたりする時もあるからね。そういう時に行こうと思えば行ける(笑)。
朝はスッキリ起きられますか?
最近というかここ数年、4時くらいに目が覚めるようになってきて。
寝る時間は決まっているんでしょうか?
日によってまちまち。10時に寝たり、12時に寝たり。
2時半くらいに目が覚めて、4時過ぎくらいにまた目が覚める。
年齢とともにだんだん起きるのが早くなるんですよね。
朝強くなったっていうか、あまり苦にならないですね。
食事の時にアルコールは飲まれない?
修道院ではほとんど飲まないですね、ここ数年。別に嫌いじゃないんだけれど。
ビールだったら、缶1本でもう十分というか、それ以上飲もうと思わない。
職員との会合の際は飲まれる?
その時は飲みます。
お酒はみんなで飲むのが楽しいんですよね。
1人じゃ、つまんない。
集団生活の方が好きなのかもしれないですね。
そうね。1人で色々やるところまで成長していないっていうことだと思う。
いえいえ、基本的な性格もあると思います。
人がいた方が安心するのかな。
サレジオ会のいいところは集団生活にあると思ったりもしますが。
だんだん人数が減ってしまって、今では中々実現できないですね。
確かに、そういうところが1つの特徴だと思う。
「共同体」というのが特徴のはずですよね。
神学生の頃は、ある程度調布の神学院にも人数がいたので、そういう雰囲気がしっくりきたというか、すごく楽しかったですよね。
そういえば、調布サレジオ神学院対、川崎サレジオ志願院のサッカーの試合とかやってましたね。
他にも、東京教区の教区司祭や修道院の対抗サッカー大会とか。
教区とコンベンツアル、パウロ会ともやってたし。あとイエズス会。人数の少ない修道会合同のチームとか。
いつか石神井でサッカー大会やったんだけど、午前中からやって、グラウンドでお昼食べて、お酒が出て、日本酒とか。飲んでまたサッカーをやったという。そんなバカなことをやってたね。
お祭りみたいな感じですね。
まあ、そういうことをやって楽しかったなあっていうのがあったんですよね。いろんな修道会の人と関わりがあったし。
上智の神学部自体がまだ、修道会や教区の司祭志願の人たちがたくさんいたので、よかったですよね。結局その頃の人たちが修道会や教区を辞めたとしても、ミッションスクールの教員になったりだとか教頭とか校長とかやっているので、自分と同世代の人たちが多いから、そこら辺は知った中だから、気軽に話ができるというか、聞くことができるし、ありがたいですよね。
今のミッションスクールを支えているのもそういう人たちなのかもしれないですね。
そう思いますよ。そういう人が多いです。
学校だけじゃなくて、小教区にもそういう人たちが多い。かつて志願生だった、神学生だったっていう人たちが小教区の中心的メンバーとして動いてくれていたりするんじゃないかなあって。
僕にも思い当たる方がいらっしゃいます。
そういう意味では、いろんな修道会とか教区の志願院とか、神学校というのは、そういうところにもすごく大きな役割を果たしていると思うんですよね。
志願院や神学校がカトリック、キリスト教の人材育成を担っていたと。
そこでの経験が根底にあるので、カトリックやキリスト教の現場に関わりたい意欲がどこかにあって。
学校の理念とか、小教区を支えていると。
サレジオ会日本管区は四日市の志願院をあと2年で閉じてしまうので、そういう時代が来たのかなと思ってしまいますね。
そういう場所がね、やっぱりあればいいなあと思うんですけどね。
形を変えてでも残して欲しいですね。
志願生、神学生の頃に出会った方で今でも交流のある方はいらっしゃいますか?
よくって程でもないけれども。サレジオ志願院の同級生だと溝口くんかな。彼は鳥取大学にいて、数年前、島根県の松江でバレーボールの全国大会に参加した時、松江と鳥取そんなに近くはないんだけれども、連絡をしたら会場に来てくれて、何十年かぶりに会った。
年賀状のやり取りだとか、そのくらいの人は何人かはいる。中々会ったりだとかできないんだけど。
サレジオ学院の同級生で当時横浜教区の神学生だった人がいて、彼が箱根の函嶺白百合学園の教員をずっとやってて。時々箱根に行ったりする時に会ったりだとか。そういう人はいますけどね。
当時のサレジオ学院の雰囲気がよかったのでしょうか。
だと思いますよ。まだバリバリの進学校じゃなかったから(笑)。
今のサレジオ学院の雰囲気も知っているので。
サレジオらしさは本当にあって、それはすごくいいなあと思っています。
これまでの人生の中で印象深い、人生の変わるような経験、エピソードってありますか?
そういうのがあればいいんだけどね~(笑)。
人生が変わるっていうのではないけれども、すごく印象に残っているのは、
修練者の時に当時、信心業を全て調布神学院の地下聖堂でやってたんですよね。
今でもそうなんだけど、日曜日はベネディクション(聖体賛美式)をやってたんです。
その時に修練者が侍者をするっていうことになってたんですよね。で、最後にご聖体による祝福があるんです。自分は侍者だから式をしている司祭を除けば一番近いところで与かってる訳ですよね。地下聖堂が狭いから、すぐ近くで。修練の最初の頃に聖体賛美式の時に、なんていうんだろうな、ご聖体を身近に感じたというか、それまで味わったことがなかった感覚というか、感情というか、そのことをよく覚えてるんですよね。それがすごく印象的だったなあ。
そういうのがずっと続いていればいいんだけど、そうではないのがね(苦笑)。
その時は本当にそうだった。身近に感じた。
霊的な体験ということでしょうか。
霊的な体験なのかどうか分からないけれど。
だから、ある体験が人生を変えたとか、ある言葉が人生を変えたとか、そういうのがないなあとは思うんですけどね。
そういうのがあった訳ではない。
でも、後から考えてみれば、ところどころでこの人との関わりとか、この出来事が今の自分のサレジオ会員としてのやってきていることの助けになってきたんじゃないかなあと思うんですけどね。そういう言い方が一番いいかなと。
支えられている感じが分かります。
そうですね。じゃないと、中々やっていけないなあって(笑)。
北川神父様の自然体な力の抜けた感じが、いい影響を及ぼしている気がします。
結構若い時から落ち着いてるってよく言われるんですよね。そうじゃなくてね、何にも考えてない(笑)。何にも考えてないから、落ち着いて見える(笑)。
世の中の人はそれができないから、落ち着かないんですよ(笑)。
なんか考えちゃうんですよね。焦ってしまうんですよ。
色々あったとき、それで夜眠れないとかいう人、よくいるじゃないですか。
そういうことがないんですよね。
逆にね、申し訳ないっていうか、その程度にしか受け取ってないんだなって思ってしまうんですよ。
すぐ寝れてしまうくらいにしか(笑)。
本当にその人のこととかそのことを気にしてるんであれば、もうちょっと寝れないとかなるのかな~って(笑)。
全然ならない(笑)。
無理にならなくても(笑)。
受け止めるだけで十分かと。
そこはね。「薄情なんだろうか?」とか、たまに思う。
その方が考えすぎです(笑)。
すぐ寝れちゃう。どこででも寝れる。
食べるのお好きですか?
はい、好きですよ。
でも、量的には食べられなくなってきた。出されたものを食べるって感じです。
司祭叙階の時の記念誌でインタビューの時に「何が好きですか?」って聞かれて、特にないんだけれど、「チョコレートケーキ」って言ったんだよね。なぜか。そしたらその後、皆さんから「チョコレートケーキがお好きなんですか?」って言われて。
それで、チョコレートケーキを持ってきてくれた人はいないけど(笑)。時々何食べたいかって聞かれことがあるじゃないですか。そういう時には「なんでもいい」って答える。
聞く人が一番困る答えですね(苦笑)。
納豆だけはダメです。
(終)