アヤックスvsバイエルン1972/1973 《ベッケンバウアー&クライフ&マンツーマン・リベロ》 | UEFAチャンピオンズカップ

アヤックス (4-0) バイエルン
1973年3月7日 @Olympisch Stadion, Amsterdam
得点者: >AJA 53m Haan | >AJA 68m G.Muhren | >AJA 70m Haan | >AJA 89m Cruyff

画像1

【大まかなサッカー史】
→前方パス不可から前方パス可へ
→3人制オフサイド
→2-3-5 ピラミッドフォーメーション
→2人制オフサイド
→マンツーマンシステム 5&5分業制 すぐロストしての攻撃のやり合い
→偽9番 ディステファノ & ヒデクチ
→マンツーマン&リベロシステム
→1966 ボビーチャールトン イングランド代表 4-1-3-2 or 4-3-3 ゾーン
→1970 ペレ ブラジル代表 4-2-4 ゾーン (6&6攻守一体) 速攻+ブレイクタイム(ポゼッションでコントロール)
■■■ 1972/1973 アヤックスvsバイエルン ■■■
→1974 西ドイツ&オランダ 4-3-3 マンツーマン&リベロ (相手が4トップなら5)

【大まかなオランダサッカー史】
エールディビジ創設1956年
74年のミケルスまではイギリス出身の代表監督が多い
■■■ 1972/1973 アヤックスvsバイエルン ■■■
→FCバルセロナへオランダカラー伝承 ミケルス クライフ ニースケンス
→W杯1974 2位
→W杯1978 2位
→低迷期
→欧州選手権1988 優勝
→再FCバルセロナへオランダカラー伝承

【大まかなドイツサッカー史】
→W杯1954 優勝
ブンデスリーガ創設1963年
→W杯1966 準優勝
→クラマーが来日しサッカーの基礎を指導
→FCBayern 2人のユーゴスラビア国籍監督
■■■ 1972/1973 アヤックスvsバイエルン ■■■
→W杯1974 優勝 開催国
→FCBayern ベッケンバウアーが退団
→FCBayern 2人のハンガリー国籍監督 うち2人目の Pal.Csernai がPalシステムと呼ばれるマンツーマンと4-4-2のフラットラインを併用する混合ディフェンスを導入
→FCBayern チャンピオンズカップ3連覇 監督 U.Lattek >> D.Cramer
→W杯1986 準優勝
→W杯1990 優勝
→東西ドイツ統一

【UEFAチャンピオンズカップ優勝史】
50・60年代 ラテン系 レアル5連覇/ベンフィカ/インテル/ミラン/ほか
60年代半ばから80年代 ゲルマン系 アヤックス3連覇/バイエルン3連覇/リヴァプール連覇含む4度/ほか
80年代半ばからUCL改変まで ラテン系 ミラン2連覇/ほか

【関連】
┗ ヨハン・クライフ Wikipedia
┗ ヨニー・レップ Wikipedia
┗ ウド・ラテック Wikipedia
┗ フランツ・ベッケンバウアー Wikipedia
┗ ゲルト・ミュラー Wikipedia
┗ ウリ・ヘーネス Wikipedia
┗ バイエルン・ミュンヘン Wikipedia
┗ AFCアヤックス Wikipedia

【チーム特徴】
<Ajax>
監督はミケルスがバルセロナへ、ルーマニアの S.Kovacs。
外国人枠2(?) 西ドイツ国籍のHorstBlankenburg / オーストリア国籍のHeinzSchilcher (※オシムをオーストリアSturmGrazへGMとして招聘した人物)
GD.Muhren と Keizer が左利き。
マンツーマン&リベロシステム バイエルンのベッケンバウアーへズレ対応。
クライフはフィールド前後左右網羅した全権プレーメーカー。フルマッチ動画24:55〜ごろのシーンではマークにつかれていた6番の抜け出しにクライフが最後尾まで下がりディフェンスしている。

<Bayern>
監督は UdoLattek。
マンツーマン&リベロシステム。アヤックスのリベロBlankenburgへズレ対応。

【ベッケンバウアー】
攻撃参加型リベロ。背番号は5か4。

【ゲルト・ミュラー】
世界屈指のストライカー。背番号は13か9。小兵。攻守に泥臭く献身。


いいなと思ったら応援しよう!