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second SADA of love season1



妄想連載シリーズ第一回

2014年頃からTwitterで何故か?さだまさしコラが沢山シェアされる様になりちょっとしたブームに。
これは当時、そこからインスパイアされた筆者が数人の友人に向けて書いた全力オマージュ小説です。
(もちろん全力でフィクションです!)

90年代初頭”セカンドサマーオブラブ”といわれるムーブメントが英国を席巻。実はこのダンスとインディーミュージックシーンの蜜月にあの”さだまさし”が深く関わっていた事はあまり知られていない。

英国北部の街マンチェスターから広まったダンスとロックのクロスオーバーは、ファクトリーレーベル包するhappy mondaysとシルバートーンのstone rosesによって全世界に広がりをみせる。

happy mondaysのリーダーであるショーン ライダーは当時を振り返る。

ショーン:
「俺たちがレコーディングと称してファクトリーでラリッてた時、トニー ウィルソンが日本から会いに来たという一人の男を連れて来たんだ。」

「それがsadaとの最初の出会いだった。」
「実はマンデーズのサウンドにダンスの要素を持ち込んだのはsadaの功績がデカかったんだ。」
ショーンは続ける。
「sadaは日本にYMOってバンドがいるんだが。と言って一枚のレコードを聴かせてくれたんだ。コレがテクノだよって。」

ショーン:「その時の衝撃ったら無かったね。背筋に電流が走る感覚を覚えたよ。それからというもの、俺たちのサウンドはどんどん進化して行った。ベズにマラカスの振り方を教えたのも彼なんだ。」


エクスタシーを英国全土に広めたのもさだまさしだったという。

ショーン:
「そうなんだ。彼が日本から持って来たスーツケースには”E”が満載されていた。sadaは日本のフォーク上がりのメジャーアーティストでdrugをやっていないヤツは居ない。と言っていた。仲が良かったのはaskaとか、なんとか言ってたな..。


ショーン:
「その時とんでもないヤツをメンバーにしちまったな!と思ったね。」

ショーン:「当時俺たちはこのサウンドでイケる!と確信していた。シーン的にnew orderは全米ツアーで不在だったし、the smithsに関してはもう終わりかけていた。」
ショーン:「この時期にloose fitを書いたんだ。ほらsadaは痩せてたからフレアーを履いてもダボついた感じになるだろ。それに彼はチューリップハットみたいな変な帽子をかぶってたっけ。」

(70年代の日本のヒッピー)

なんと!セカンドサマーオブラブとともに英国全土に広がりを見せたスカリーファッションにもさだまさしの影響があったとは!?



そんなsadaとの楽しかった時間も終わりを告げなければいけなくなる。

ショーン:
「ある日トニーがsadaに日本から電話だと言ってsadaをリハーサル室から連れて行ったんだが、戻って来たsadaの様子がおかしい。」
sadaは
「日本から電話があって、明日の正午までに帰国しないといけない」という。

「何でも日本国民が正午になると必ず全員が見るというTV番組に呼ばれたらしい。電話をかけて来たのは”フリーパズル ギター”とかいうsadaフォロワーの2人組フォークグループだとか言ってた。」



ショーン:「こうして俺たちは離れ離れになっちまったんだがマンデーズ解散後に俺が始めたバンド名を覚えてるかい?」
ショーンは不適に笑う。



「そうさ!ブラック グレープだよ!(笑)」


season2へ続く

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