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second SADA of love season2

妄想連載シリーズ第二回

「LOADED」

2014年頃からTwitterで何故か?さだまさしコラが沢山シェアされる様になりちょっとしたブームに。
これは当時、そこからインスパイアされた筆者が数人の友人に向けて書いた全力オマージュ小説です。
(もちろん全力でフィクションです!)

英国発の世界的ムーブメント、
セカンドサマーオブ ラブに
あの
さだまさしが
影で絶大なる影響を
与えていた事実は前回描いた

あまり音楽史の表には出てこない事実だが
さだまさしは
あの歴史的名盤である
primal screamの
”screamadelica”
のrockとdanceの幸福な蜜月
にも関与していた
事実はもっと広く知られなければならない

長年に渡りprimal screamを牽引し続け
盟友である
jesus & marychain時代
はdrumを叩き
これまで英国のrock史に
数々の重要な足跡を残して来た
bobbyは当時をこう振り返る


bobby:
あれは丁度i'm losing more than i'll ever have
をレコーディングしていた時だったな…

俺たちは朝から晩まで
スタジオに缶詰状態で
そんな日々が何か月も続いていたんだ

夜レコーディングが終わったある日
気晴らしにスタジオ近くのナイトクラブへ
メンバーと出掛けて行ったんだ

そこで彼と初めて逢う事になるんだが…

bobbyはクロワッサンを頬張りながら続ける
(テーブルや彼のジーンズにはクロワッサンの破片がパリパリと所構わずブチまけられている)

bobby:
そう! ナイトクラブに入った瞬間から俺たちはそこで流れていた音楽に夢中になったね!

今まで聴いた事のない新しい音楽だった…
歌があまり無くってリズムは反復していた

俺は丁度kraftwerkなんかを
好んで聴いていたから
すぐにピン!と来たね!

(kraftwerk在籍時のさだまさし)

これは新しいタイプのdisco musicだって!
そう!彼は(さだまさし)は当時、
レジューム?
っていったかな?
あのナイトクラブの
レジデントDJを務めていたんだ!
しかもkraftwerkにも在籍していた事もあるんだよ!
信じられるかい?
俺はおもむろにブースに
近づいて行ってすぐに話しかけたよ

ヤア! あんた!イカしてるなあ って

最初彼は素っ気なかった

sadaは
変なチューリップハット
みたいなの被ってたし
フレアーパンツを履いていたんだが
痩せているからダボダボだった
t-shには
スマイルマークの
額が撃ち抜かれたプリントがしてあったし


日本の漢字かな?
zen kyoto?
”全共斗”とか書いてあったと思う

見た目はまるでヒッピーだったね

しかしレコーディング後
毎晩の様に
彼のパーティーに遊びに行く様になり
彼から放たれる音楽を
俺たちは存分に吸収していった
彼がかけるレコードは
他のどのDJとも違っていたね

サウンドが根本的に違っていた

何でも
日本のnew waveの
レコードを沢山持って来ている
とか言ってたな
それとイギリスに来る前は
シカゴでレジデントをしていたらしい
当時彼はイギリスの
どのDJよりも早く
シカゴ産のacid houseをスピンしていた

それと日本の
ダンスミュージックをmixしていたんだ!
そう、アレは確か…

ナゴムとかいうレーベルだったな!

最近sadaとmixiで喋ったんだけど
当時のsadaの
お気に入りは
”UCHOUTEN”


とかいうバンドだったらしい
今は劇団をやってるとか言ってたっけ

そうこうしているうち
次第にsadaと
俺たちの距離は近づいて行ったんだ

ある日彼はレコーディング中の
スタジオに遊びに来てたんだが
俺たちは今までどうりの
ガレージロックンロールを演奏し続ける事に
限界を感じ初めていた

彼は

いったいコレは何だ!?

とビックリしていた

さだまさしが当時を振り返る

あー、彼らは87年にもなろうって時に
いまだに
前時代的な
ガレージロックンロールを
演奏していたんですよ!
信じられない!
まるで裕也さんの
flower travelin' bandが
蘇ったみたいでしたねえ〜
しかしね
そこがヨカッタんですよ〜

(loadedのプロモーションビデオの原案は、当時さだがボビーに貸したflower travelin' bandのこのレコードのジャケットが元ネタだという)

(loaded / primal scream)

あの頃ね
居ないでしょう?ああいうの
国内はBOOWYみたいな
バンドばっかだったじゃないですか〜
なんかこいつら信用出来るなあって

それでね
僕は彼等が録音を済ませた
ばっかの曲を
卓でいじってあげたんですよ〜

このアイデアは
日本のstreet slidersの
リミックスを頼まれた時からあったんですよ
アレは売れなかったなあ〜

いやね
当時のワーナーの
お偉いさんがさあ
こういう若者たちがいるんだけど
さださんが
リミックスしたら面白いだろうねって
言うからさあ
レーベルの枠を越えて
やってみたのよ!

まあコンセプトは一緒だよね
若者たちの
ロックンロールの曲を
どうdisco風に引き伸ばして
アレンジするかってところで

えっ?
あの頃はまだ
ダスキンのCMの話はなかったからさ(笑)

丁度その時
映画 ”長江” がポシャってさあ
経済的にも困ってたからさ
丁度いいかなって(笑)

僕が世界中を放浪の旅に出たのはね

電話がかかってくるじゃない?
借金取りから

それがね
もうね
耐えられなかったのね

こうして産み落とされたのが
英国rockとdance musicの最高に幸せな蜜月を代表する名曲”loaded”だった!

クロワッサンを食べ終わったbobbyが続ける

sadaは俺たちが録音したばかりの
i'm losing more than i'll ever have
を聴いておもむろに
卓をいじりだしたんだ

48時間
彼はブースから出て来なかったね
そのmixの作業を見せて貰ったんだが
アレは正にDUBそのものだったね!

彼は卓を演奏していた!
トラックを抜いたり出したり
そこに彼がシカゴに居た時
えらく感銘を受けたという
アメリカンニューシネマの
声を足したいと言い出して!

俺たちはドニントン中の
レンタルビデオ屋を
一晩中ハシゴして
そのビデオを探し回ったよ!

こうしてあの有名なサンプリングが産まれたんだ!

ワイルドエンジェルス
っていう
ヘルズエンジェルスの映画だったな



そこから俺たちは
どんどんrolling stonesや
アメリカンニューシネマの
vanishing pointなんかに
傾倒して行ったのは事実だよ

それから彼はmanchesterにあるclub ”hacienda”のレジデントDJの依頼が来てmanchesterに旅立って行ったんだ…

(毎夜熱狂の渦に包まれていた頃のクラブハシェンダ)

その時期だったと思う
creationのアランマッギーから
電話がかかって来て

おい!bobby!
大変な日本人が現れたぞ!
お前の知り合いらしいんだが
manchesterに行く途中だと言う

スーツケースにはdrugが満載で
彼はレコーディング中だったmy bloody valentineのケビンに
drugを教えてしまって
もう手がつけられない!

ケビンはまるで廃人の様に
drugにハマってしまって
レコーディングが
全く進まなくなっちまった!
ってね

season3へ続く

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