噂の真相1988年に話題のジャニーさんが。統一教会同様に、日本の闇は30年以上放置されてきてますねえ


噂の真相1988年12月号より

4月12日、元ジャニーズJr.のカウアン・オカモト氏(26)が、日本外国特派員協会で記者会見を行い、改めてジャニーズ事務所創業者のジャニー喜多川氏による性加害について告発した。

というのが今年ですが、もう30年以上前にこの話はごく一部で報道されていたんですけど。30年も被害者が増え続けていたという点では、統一教会同様。また、皆が知っていても知らぬふりで過ごしてきたという点でも同様かと。これが日本社会だということでw

当時の記事をテキスト起こしして掲載してみます。

PhotoScandal
あの北公次が再出発に向けて近々半生記を出版へ ジャニーズ事務所ホモ体験を綴った赤裸々な告白

 写真の人が一体誰なのか、一発で当てたら大変なものである。とりあえず、かつてのジャニーズ事務所のアイドルというヒントを与えればピンとくる向きもあるかもしれない。そう、元フォーリーブスの北公次なのである。
 なぜいま北公次なのか、ということになるだろうが、本誌は近々彼の半生記が出版される という情報をキャッチし、その原稿の入手に成功したのである。
 北公次といえばフォーリーブスが解散してからというもの、アイドルの座を失なったば かりでなく、覚醒剤で逮捕されたり、心身ともに不遇な生活を送ってきた。故・金子正次の 映画「竜」でカムバックのキザシを見せたものの、いまだに泣かず飛ばずのタレントといっていい。その彼が過去の自分と決別し新たな人生にチャレンジするきっかけにしようとしているのが、この半生記というわけである。
 それだけの決意を固めたものだけに、内容も実に赤裸々。アッと驚くようなジャニーズ事務所の実力者・ジャニー喜多川サンのホモ趣味の描写などはまさにリアリティに満ち満ちている。例えばこんな具合だ。
 <ジャニー喜多川さんの手がおれの男性器を優しくもみほぐし、巧みな手の動きでおれの 男根は意志に反して徐々に波うってくる。ジャニーさんがおれの首筋から頬にかけて口を つけてくる。その間もずっと男根がまさぐられていく。これがホモというやつなのか・・・>  ちなみにこの半生記の中では、この北公次だけでなく郷ひろみ、小坂まさる、豊川譲、川崎麻世といったジャニーズ事務所に所属したことのあるタレントの名前も次々と出てくる。<詳細は本文特集>


あの北公次が”ジャニーズ事務所体験”を赤裸々に初告白
レポーター横山弘次

 ジャニーズ事務所といえば、今やもっとも多くの人気アイドルをかかえ、芸能界の最大 勢力にまでのし上がったプロダクションとしてあまりにも有名である。光GENJI、少年隊、男闘呼組、田原俊彦、近藤真彦etc…. ジャニーズ事務所のアイドルたちのファンを網羅すれば、巷の女子中高生の大半は網にかかるとまでいわれている。
 ジャニーズ事務所が成長するにつれて、所属タレントや幹部の醜聞を取材しようとする マスコミへ強力な圧力が加わったり、取材側が自主規制してしまう風潮が広まっていった。そんななかでジャニーズ事務所所属タレントだった北公次による半生記が出版される。
 フォーリーブス時代の内幕話や覚醒剤逮捕後のどん底期、さらには映画「竜二」での金 子正次との共演等々、興味深い内容になっているが、とりわけ注目されるのが、ジャニー ズ事務所副社長・ジャニー喜多川氏との特殊な関係である。
 ひょんなことから筆者は、今回出版前にこの原稿を入手するに至った。そして、やはり 噂通りそこには、あまりにセンセーショナルな”ある事実"が克明に記されていたのだ。これを読めばジャニー喜多川という男の特異な性癖がジャニーズ事務所のアイドル育成そのものに向けられていた事がよくわかる。ここにその一部を抜粋して公開してみたい。

ジャニーさんの手がおれの男性器を

≪ジャニー喜多川氏に拾われたかたちでジャニーズの付き人となったおれ(本誌注 北公次のこと)は、ジャニー喜多川氏の勧めで四谷のお茶漬け屋の二階に住み込みを始めた。
 ジャニーズの付き人になればひょっとするとおれもデビューできるかもしれない、夢みる おれにジャニー喜多川氏は優しく「いつか芸能界でデビューさせてやるよ」と語ってくれ た。(中略)
 そこの部屋に寝泊まりするようになって2日もたつかたたないうちだっただろうか、あ るできごとがおれの身にふりかかった。そしてその体験はそれ以後4年半にもわたりほぼ 毎日続くのだった。(中略)
 熱い吐息を吐きかけおれのからだを優しく何度もさすってくる。マッサージと言えなく もなかったが、そのうちに手がおれの下半身に及んでくる。
 ジャニー喜多川さんの手がおれの男性器を優しくもみほぐし、巧みな手の動きでおれの 男根は意志に反して徐々に波うってくる。
 ジャニーさんがおれの首筋から頰にかけて口をつけてくる。その間もずっと男根がまさ ぐられていく。これがホモというやつなのか……。中学時代、ふざけて体操部で互いの股間をさわって騒いだことがあったが、あのばか騒ぎとも違う、これは男と女がベッドで営む行為と同じことではないか。(中略)
 せつなくささやきかけるジャニーさんは、いつの間にかおれのパジャマを脱がせていき、舌で細いからだをなめまわしていく。指でおれの男根をまるでおもちゃのようにいじりまわし、そのうちに口にふくみ、しゃぶりだした。巧みな舌の動き、初めてのことではないな、これはきっと経験を積んだおとこの愛撫にちがいない。
 怖さといやらしさと不安と...。せっかく芸能界にデビューできる近道を手につかんだと思ったその恩人に今こうやっておもちゃのようにもて遊ばれていることに言い知れぬ感情が渦巻いていった。「やめてください…。 ジャニーさん...。 いやですよ・・・ぼく」
 指と舌で巧みに男性器を刺激する。ジャニーさんも裸になり、おれのからだに密着して くる。両手でジャニーさんのからだを突き放そうとするが、上に乗ったジャニーさんは巧 みにおれのからだを舌で愛撫しながら、手で勃起したペニスをしごき続ける。
 心のなかで必死に嫌がっても、巧みな技巧でおれはあっという間に放出してしまった。 ジャニー喜多川さんがホモセクシュアルの性癖があると知ったのは、その時だった。16歳のおれは女を知る前に男と性体験をしてしまったのだった。喜劇とも悲劇ともつかない複雑な心境に陥った。おれにもしホモの性癖があるならば、また多少なりとも両刀使いの素質があるのならば、あるいはこのジャニーさんとのホモ体験も我慢できたのかもしれない。しかしその気がまったくないおれには毎夜のジャニーさんの愛撫はまさに生き地獄だった。嫌ならばさっさと部屋から出てしまえばいい、何度そう思ったことか。しかし東京で食いつなぎながらアイドルになるためには、ジャニー喜多川氏のもとで生活する以外に手段はなかった。ジャニー喜多川氏の求愛は毎夜続いた。おんなのからだを知る前におれはいやという程、男のからだを味わうはめになってしまったのだ。
部屋で一人寝ていると黙ってジャニーさんがもぐりこんでくる。そしていつものようにぬいぐるみを愛撫するようにおれのからだをまさぐってくる。「疲れてるの? じゃあ肩 をもんであげようね」愛撫しながら優しくおれのきゃしゃな肩をもみほぐしてくれる。そして下半身に手が伸びて、まだ縮んだ男根を取り出して、巧みに手で刺激を与える。最初は抵抗するおれだが、半分はあきらめの境地、半分はこれもアイドルになるためとわりきってジャニーさんに身をまかせるのだ。ジャニーさんは勃起したおれのペニスを口に含み、音をたててしゃぶっていく。微妙な舌と唇の動きでたちまちのうちにおれはジャニーさんの口の中に射精すると、そのままジャニーさんは飲み込んでいく。>

デビュー後も続いた関係

 ジャニー喜多川氏の同性愛については今まで風聞でしかなかったが、当事者それも元人 気アイドルみずからが告白したのはこれが初めてである。アイドル予備軍としてジャニー ズ事務所に所属しているデビュー前の少年たちは、ジャニー喜多川氏の寵愛を受けながら、芸能界デビューを飾る、という図式がはからずもこの告白で明白になった。
 寵愛を受けた少年たちのなかでもとくに北公次は4年半の長期間にわたり、ジャニー喜 多川氏と同棲している。 北公次によるとデビュー後間もないアイドルたちもまた"寵愛”されているという。
 <合宿所名義の部屋でジャニー喜多川氏と共に夜を過ごす生活はそれからも続いた。いやでいやで仕方がなかったのに、ジャニーさんに身をまかせなければならなかった自分に自己嫌悪を感じたこともしばしばだった。
 ジャニー喜多川氏の寵愛を得ていたおれは、雑用係でしかないボーヤの身だったがいつも大事にされていた。普通ボーヤがタレントの下着を洗うのがその頃の芸能界、音楽界の常識だったので、おれもタレントの下着洗いはよくやったものだったが、おれ自身の下着は自分で洗うことは滅多になかった。なぜならジャニーさんがおれのパンツまで洗ってくれたからだ。(中略)
 郷ひろみもまた一時期合宿所に住んでいたことがあった。当時少年たちが10人ほどアイ ドル予備軍として合宿所に寝泊まりしていたが、ひろみはそのなかでもすでにアイドルの 座をかちえていた。そのひろみが悲しそうな顔で部屋にいるのを何度も見掛けたことがあ った。そして母親が毎晩彼を迎えにきて自宅まで連れて帰ることが続いた。ジャニーズ事 務所のタレントたちはお互い”あのこと”について話したりはしなかったが、ひろみもまた”あのこと”で悩んでいるのだろうと思った。(中略)
 そろそろ二人の特殊な関係は限界に達していた。もう4年半にもなろうか、女との関係 以上におれとジャニーさんとの関係は深くなっていた。おれは職場であるテレビ局や地方 公演で恋人が甘えるためによく喧嘩をふっかけるように、ジャニーさんに当たり散らした した。たまにおれがリハーサルで踊りをトチッたりすると、ジャニーさんは「ばかやろうっ! ちゃんとやれっ!」と大声でおれを叱るのだ。だがそのあとでみんなの見えない廊下などでソッと、「ごめんね公次、ああいうふうにぼくが言っておけばみんなが公次のことを気の毒がってくれるだろう。公次がかわいいから怒るんだよ。」
 二人の”恋人"はそんなことで互いの親密さを確認しあうのだった。合宿所は渋谷に移っていたが、毎晩の求愛も依然続いていた。ある晩、ファンが大勢集まり帰るそぶりも見せないなか、ふたりの部屋にジャニーさんが戻ってきた。先にベッドのなかで寝ていたおれに、いつものように迫ってくる。疲れきって寝ていたいおれは、荒い息を吐きながらからだをまさぐってくるジャニーさんにたまらず、「やめてくれっ!」と叫んで枕を抱え階下に逃げ出していった。
 パジャマ姿の北公次が階段から駆け降りてくるのを見てしまったファンは、誰もが普段 の嬌声をあげていたが、おれが真っ青な顔で涙を流しているのを見ると、不思議そうな視 線を投げかけた。いつも公演に来てくれるファンクラブの女の子のなかには、すでにジャ ニーさんの性癖に関して気づいている子もいたので、パジャマ姿の北公次を目撃してある 種の想像をめぐらせたのだろう。≫

他のアイドルたちも次々と・・・・

 ≪無口で人見知りしがちな内向的な少年、豊川譲もよく「ジャニーさんにせまられる」とこぼしていた。
 ジャニーさんの寵愛はなにもおれだけではなかったのかー。おれのあとに合宿所に入ったアイドル予備軍もまたジャニーさんの性愛の対象になっていたのだった。ホモセクシュアルな性癖がある少年ならば、その行為もまた快感になったのだろうが、皆幸か不幸かその方面の趣味は持ち合わせてはいなかった。
 というよりもジャニーさん自身がホモの男を嫌っていたのだ。同性愛者というのは、ホ モのその性癖のある男を求める場合と、ホモの性癖のある男には見向きもしない二つの傾向がある。ジャニー喜多川さんは後者、つまり元気で少年っぽい10代の男の子が大好きだっ た。
 合宿所からおれが抜け出ても、その頃には郷ひろみをはじめ小坂まさる、豊川譲、川崎 麻世、ジャニーズ・ジュニア・スペシャルといった少年たちが大挙住んでいたので、こと さらおれを追い求めることはなかった。なかには豊川譲のように合宿所を抜け出すのではなく、ジャニーズ事務所を辞めてしまうのもいた。金銭的問題で郷ひろみがジャニ ーズ事務所から脱退したのもその裏にはやはり”あのこと"が大きな要因となっていたと思う。
 ジャニー喜多川氏の“好みの少年”が結局デビュー時にプッシュされる。「個性的、やんちゃっぽい男の子が好き」(ある関係者) という彼の好みは、少年隊、シブがき隊、光GENJIといったグループがステージに立つ際、誰が中央に立つかでよく確認できる。
 ≪「ねえ、おとなのおとこの人ってみんなあんなことやるの? あのねえ…ジャニーさんがメンソレータムもって部屋にくるの……。みんなあんなことやってるの? ぼくいやだよ、あんなこと.....。きもちわるいよ」 まだ小学3年生位だったその少年もそう告白をしていた。今もジャニーズ事務所に所属しているれっきとしたアイドルだからもうこれ以上のことは書けないが…・・・・・。
 こうしてみるとジャニーさんの寵愛は所属タレントの大半に向けられていたことがわか る。北公次だけがそんな関係にあると長い間信じていたおれはあらためて複雑な気持ちに なっていった。≫
 ジャニーズ事務所とは、ジャニー喜多川氏による少年愛が核となって始まり、まさに趣 味と実益が合体した特異な芸能プロダクションであったことの貴重な証言といえよう。憂いを秘めた元アイドル北公次。彼は今、役者として芸能界復帰を狙っている。そしてこの告白は、11月中旬にある出版社から出版される予定である。 <敬称略>

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