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小説「ある朝の目覚め」第七章

洞窟の中の寝床で女の小人たちは休んでいる。おそらく魔女から様々な労働を要求され疲れ切っているのだろう。どの小人たちも良く眠っているようだ。洞窟の入口から光が差し込んでいる。わたしは入口から外を眺めて空を見る。地平線に近い位置に明るい満月が見えた。その光が洞窟の中に向かっている。ふと気づくと、光は柔らかで温かい光に変化したようだ。光に手を差し伸べるとひときわ強く光が輝き、何かとても心温まる優しい力の元がわたしの胸に染み込んでいった。痛みは感じない。身体全体を何か温かい膜で包みこまれたような心地がする。ふと周りを見渡すとその光は、洞窟の中にまで広がり、小人たちも包み込み癒やしているようだ。

わたしはそれが夢だと気づいた。そうっと目を開ける。薄暗い寝室の天井が目に入ってくる。なぜかわたしはまだ夢の続きを見ているような心地がした。夢の中で感じた身体の温かさが続いている。わたしはぼんやりと考え事をした。生理中に見ていた夢の続きのようではあったけれども、今朝の夢はいつもと違い、痛みは感じなかった。それに何か温かい心地よさがあった。

そのときわたしは気づく。まなは満月のペンダントをしていた。女性労働者の支援をすることが目標であるとも言っていた。夢の中で、まなの象徴である満月の光が、魔女に使役される女の小人たちを癒やしていたのかも知れない。わたしも、まなの満月の光から力を貰ったようだ。わたしは、夢の中の満月の光の温かさを思い出す。まなの柔らかい表情を思い出す。わたしは、もっとまなと一緒にいたいと感じる。私は、きっとはじめから、まなに恋していたのだ。最初は小さな芽であったその気持ちは満月の光を浴びて少しずつ成長し、今朝、花開いたのだ。

わたしはゆっくりと身体を起こす。生理は終わりだろう。もう下腹部の痛みは無い。わたしは朝の準備を済ます。昨夜出しておいたパンツスタイルのスーツを着ようとして、わたしは迷った。まなに思いを伝えるのにどのような格好をするのが望ましいのだろうか。わたしは珍しく、前日のうちにポールハンガーに用意した服を片付けて、クローゼットを覗き込み思案する。これまでは冬だったこともあり、ずっとパンツスタイルを続けてきた。まなは冬に異動してきた。わたしのスカート姿は見たことが無いだろう。女性に思いを伝える日にわざわざ普段見せないスカートを履くべきだろうか。少し迷ったものの、わたしはそれも素敵だと思った。わたしは、女性として、女性のまなに惹かれたのだ。わたしのきれいなところを見てもらって、まなに受け入れてもらいたい。

わたしはしばらく着ていなかったお気に入りの淡いパステルピンクのセットアップのスーツスカートを取り出し、軽く消臭スプレーをかけて、スチームアイロンをかける。顔色が映えるように、インナーにはアイボリーのレースブラウスを組み合わせる。わたしは、着替えて顔を洗い、念入りにスキンケアをしてから、メイク道具を持ってダイニングテーブルに移動する。

わたしは、化粧鏡に映った自分の顔を見つめる。年齢に比べると幼い無防備な表情をした女性が映っている。わたしは、いつもこの女性に戦闘の準備を施し、意志の強い女性を演じさせてきた。この女性は、今日もいつものように戦いに出かけるのだろうか。わたしは少し考える。まなに自分の思いを伝えることは「戦い」ではない。自分の身を守るための「武装」を施す必要は無い。それよりも、わたしはまなへの恋心を、まなを支えてともに生きていきたいというわたしの願いを込めたい。

わたしは、丁寧に化粧をする。いつもは意志の強い視線を導くアイメイクを施してきた。今日は、わたしの本来の目の形を活かして柔らかい印象の目元を描く。本当は好きだが普段の「武装」メイクでは使わないピンク系のアイカラーで、今日の装いにも合った春らしいやさしさを表現する。化粧鏡の中のわたしは、まなを受け入れ支えたいと願うわたしの思いの伝わる表情を見せているだろうか。まなはこんなわたしを見てどう感じるだろうか。まなの慈愛に満ちた笑顔を思い浮かべて、わたしはつい微笑んだ。化粧を終えて、髪を整える。すずらんの花をあしらったシルバーのネックレスを着ける。普段は休日に身につけるトンカビーンズの甘い香水を着る。メイク道具を片付けて、朝食を摂る。

わたしは、キッチンのペーパータオルの上に置いて乾かしていた万年筆を手に取り、ペン先を組み合わせる。裕司さんに贈る予定だったインクセットから新緑を感じる明るい緑のインクを選び、万年筆に入れる。寝室の棚から、新しいノートを一冊持ってくる。一ページ目を開き、そこにまなへのメッセージを書いていく。


親愛なるまなさんへ、

春の新しい息吹と共に、わたしたちの心にも新しい章が開かれようとしています。この朝の光の中で、深い感謝と未来への希望を、まなさんと共有したいと思います。まるで新たな目覚めのように、わたしたちは一歩を踏み出そうとしています。

まず始めに、この新しいノートをわたしたちの交換日記にしましょう。日々の小さな発見から、心の奥に秘めた深い思いまで、このページに自由に綴っていけたらと思います。お互いの心をもっと深く知る手段として、そしてわたしたちの絆を強くする架け橋として、このノートが役立つことを願っています。

まなさんの手紙を読み、アルテミス・ブレンドへの深い愛情と、女性労働者や子ども、そしてセクシャルマイノリティの人々へ手を差し伸べようとする熱い思いに心から共感しました。あなたの言葉からは、世の中の弱い立場に置かれた人々への深い理解と尊重、そしてその方々を助けたいという強い意志を感じます。わたしは、そんなまなさんを全力で支えていきたいと強く思います。

まなさんとの出会いは、わたしの人生に新たな色を加えてくれました。まなさんの存在は、わたしにとってかけがえのない宝物です。まなさんと一緒に、お互いの夢を追いかけ、支え合い寄り添い合って助け合いながら、二人で素敵な関係を築いていきたいです。わたしたちの未来は、きっと美しく輝いていると信じています。

このノートが、わたしたちの物語を綴る場所となり、お互いの心を繋ぎ、わたしたちが一緒に成長していけるように、心から願っています。まなさんとの日々を大切にし、共に成長し続けることを約束します。まなさんとの関係が、わたしたちにとっての春の光となり、いつまでも温かく、心地よいものでありますように。

心からの愛を込めて、

2023年3月9日 与田あや子


わたしは、まなへのメッセージを書き終えると、トンカビーンズの香水のスプレーを手に取り、軽く目の前にプッシュする。その空間にページを開いたノートを数回通し、紙にほのかに香りをまとわせる。栞を一ページ目に挟み、ノートを閉じてゴムバンドで止める。

わたしは、普段使っている方のノートに今朝の出来事を記録する。まなに渡すノートと、普段遣いのノートと万年筆をバッグにしまい、ジャケットを着て、オフホワイトのライトウェイトコートを羽織り玄関に向かう。普段よりも少しヒールの高いパンプスを履くと全身鏡に念入りに表情を写し、口角を上げ笑顔を作る。わたしは、まなに恋をするようになって笑顔が大きくなった。恋は女性を美しくしてくれる。わたしはそのことを嬉しく思いながら、鏡の中のわたしに向かって「いってきます!」と声をかけた。


中央の駅から、スターボックス・カフェに向かう途中に、河津桜の通りがある。河津桜は冬の終わりを告げ、春の訪れを先駆けるかのように咲き誇っている。わたしは、その桜並木の下を歩きながら、春の訪れを実感する。わたしは春が好きだ。鮮やかな様々な色の春の花が咲き乱れるのを見るのも好きだ。花の勢いが衰えると同時に鮮やかな緑の葉が勢いを増し、花弁を押しのけて葉が生い茂る様子も好ましい。

梅の花が咲き、いまは河津桜が満開だ。この後は杏や桃の花が咲きはじめ、吉野桜が咲き、八重桜の時期が来る。その頃には初夏の新緑も一緒に楽しめるだろう。わたしはだんだんと明るくなる朝の陽の光を浴びながら、冬の終わりと春の訪れを感じ嬉しく思った。こんな朝日の眩しい朝に、まなに自分の気持ちを伝えられることをわたしは幸せに思った。

立ち止まり河津桜の満開の花を見上げる。わたしは、桜の花の短い盛りに思いを馳せる。人生も恋も、美しい瞬間は永遠には続かない。だからこそ今朝のまなへ感じた思いを大切にして、いまこの瞬間にわたしの気持ちをまなに伝えたい。河津桜の花びらが風に舞いながら流れていく。その先にはスターボックス・カフェがある。桜の花びらが風に導かれる様は、わたしの心を表しているようだ。

スターボックス・カフェの前に来る。まなが施錠を外して、ドアを開けてくれている。まなは、カフェに向かうわたしを見て、満面の笑顔でわたしを見つめる。それを見て、わたしも大きな笑顔でまなを見つめた。

(了)

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