京都嘱託殺人事件から考える⑥~多様性はなぜ必要か~
熱帯夜続きでなかなか身体にこたえる日がつづきましたが、少し秋の空気になってきました。
水分とミネラルをしっかり摂って引き続き熱中症にならないようにしたいですね。
色々と書いてきましたが京都嘱託殺人事件については今回で締めたいと思います。
書きながら自分の考えもだいぶまとまってきました。
やはり表出することはとても大事ですね。
今日は人の多様性について書きたいと思います。
よく「自然世界は弱肉強食なのだから人間社会も弱い人を助ける必要などない」といった言説を見かけることがあります。
今回の事件を見て「24時間介護が必要な人を税金で生かす必要なんてないんじゃないの?」と感じた方もいるかもしれません。
そういった方には有名なヤフー知恵袋での回答をご紹介します。
「この世は弱肉強食ではない」
かいつまんで説明すると
「個体レベルでは全てが食われ(死ぬ)、環境に適した種のみが生き残る(遺伝子をつなぐ)。人間は社会の力で繁栄することができた。自然の中では人間は全員弱者。弱者が互いを生かしあって繁栄してきた。」
というものです。
私は概ね納得できました。
また、この中で出てくる
「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」
という問いに対しては私なりの回答があります。
それは「目の見えない人の気持ちが分かる」ということです。
人間社会で生きる上で必要な要素は無数にあります。
身体機能、思考力、想像力、創造力、共感力、智恵、判断力、経験…。
生きる上で必要なスキルを全て持ち合わせている人はいません。
それぞれが強さと弱さを持ち合わせています。
そして社会の中で弱さを補いながら生きてきた。
弱さがあるから気付ける、理解できることが沢山あるわけです。
目が見えないからこそ気付ける社会の問題や人の強さ・弱さがある。
私はそう思います。
進行性難病の方も同様で、24時間の介護が必要だからこそ気付ける価値がある。
人間の強さ・弱さ、つながりの大事さ、生きる意味…。
前回も紹介した「こんな夜更けにバナナかよ」(渡辺一史著)を読むと24時間介護の世界がなんとなく理解できると思います。
分厚い本ですが一気に読めてしまう面白さがあるのでぜひご一読ください。
少し話が逸れますが…。
私は病院でリハ職をしていますが、「ピアサポート」という活動をしています。
スタッフが互いにサポートするという意味ですね。
どんな仕事でもそうですが、特に医療職は患者さんの人生に深く入り込む仕事です。
そのためスタッフが傷つくことも多い。
そういった傷を信頼できるスタッフ間で共有することで回復していく、という意味があります。
その中で気付いたことは感受性の強い、
一見弱さに見える性格も見方を変えれば患者さんに寄り添える強みでもある、ということでした。
どんな人も強さと弱さを併せ持つ。
活動を通してそれを実感できています。
障害の有無に限らず私たちは皆、強さと弱さをもって生きています。
そして大半の方は周りに弱さを隠しながら生きているのではないでしょうか。
だからこそ人の失敗を許せない人が多いのではないか、と感じます。
人は皆弱さをもって生きています。
その弱さを互いに認め合い、補い合えるようになると生きやすい世の中になると思います。
また、他者だけでなく自分自身の弱さを許せない人も多いのではないでしょうか。
些細な失敗やうまくいかないことがある度に自分を責めてしまう。
(私はそんなタイプでした)
自分も他者も無条件に許してみるとすごく楽になります。
もちろん許せないこともあると思います。
なので小さなことから許す。
これは自分にとっても周りにとっても非常に大きな変化を生みます。
次回はどうやったら小さなことを許せるようになるか、その実践方法をお伝えしたいと思います。
実はつい最近思いついた方法がありまして、これがとても効果絶大なんです。
ぜひ読んでみてください。
そして最後に。
一つの事件にここまで思考を深めたのは初めてでした。
日々、無数のニュースが溢れ、どんどん流されていく中でじっくりと考える機会は少ないと思います。
しかし、世の中の出来事は全て何かしら自分とつながっています。
数あるニュースの中で何か心に引っかかるものを少し深めていく。
それだけで自分を知ることができ、考えが深まります。
私も続けていきたいと思います。