No5.遊びたいや仕事は理由にならない
2016年3月8日 33歳誕生日の前日
仕事が一段落したボクは、台所に立つたえちゃんと
ビールを片手に将来のビジョンを語り合っていた。
「このまま沖縄に永住もいいよね」
「そうね、薬膳カフェ併設の薬局を開局するなんていいじゃない」
「そうだね。沖縄はとても気持ちいい場所だし本格的に考えてみようか」
沖縄へ移住して、4年が経とうとしていた。
必要なものは手に入れ、何も不満はなかった。
サーフィンが大好きで沖縄へ移住し、いつも明るく元気いっぱいで
向日葵のような彼女と、とてもやんちゃで大きな
ジャーマンシェパード(名前はアース)と一緒に暮らしていた。
そうそう、アースは沖縄生まれでとても賢いシェパードの雄なんだ。
よくみんなで海に行って遊んだもしていた。泳ぐのも大好きでいいヤツなんだ。
職場とサーフポイントまでは、信号一つ、車で5分。
陽の長い沖縄の夏は、サーファーにとってこれ以上ない環境だった。
日の出とともに海に入り3時間サーフィンして9時出社。
18時に仕事を終えダッシュでまた海へ、20時頃までサーフィンをしていた。
もちろん、彼女も一緒、サーフィンが大好きだ。
1日5時間サーフィン、仕事をしてるのかサーフィンしてるのか。。。(笑)
お陰さまで、彼女はどんどん上手くなった。
沖縄のローカルサーファーや移住組の兄さんや姉さんにも仲良くしてもらい
’’あ〜このまま沖縄で永住してもいいかな’’、と本気で考えるようになっていた。
アースが大き過ぎて断念したけどマンションを探したりしていた。
少しずつゆっくり僕たち夫婦は、沖縄で人生を築こうとしていた。
夫婦そろって同じ趣味を持ち、仕事も一緒、みんな口揃えてこう言っていた。
「ほんと、夫婦仲いいよね」
その中の良さは、他人から見れば兄妹に間違われるほど。
当時、ボクは薬剤師の仕事とは別に、広報活動に力を入れていた。
沖縄には薬学部がある大学がないため、薬剤師が慢性的に足りていない。
そこで、沖縄へ就職するを希望する薬剤師や薬学生を対象に
就職活動のサポートや現地で働く薬剤師の生活、沖縄の魅力をを伝える
ワークツーリズムも企画していた。
毎日忙しかったがやりがいがあり、とても充実していた。
薬局の裏にはヤギもいたりしてね。休憩中にエサをやりに行ったりもしていた。
もちろん、仕事が忙しいなどを理由に病院へ行かなかったことが
問題だったと改めてこうして書いている今ではよく分かっている。
だけど当時はこのツアーの仕事が面白くて、犠牲にしていたのかもしれない。
再検査の通知が来てから大腸カメラ検査を受けるまでの半年間
ずっとほったらかしにして、病院は時間が取れる時でもいいやと考えていた。
トイレへいく度、トイレットペーパーに血がついている。
便にも少し血が混じっている。いつになったら痔はよくなるんだろう・・・
少なからずどこか不安はあったのかもしれないが、医療従事者としての変な知識が邪魔をしていた。
便潜血陽性と言っても「どうせ、痔でしょ」というくらいの感覚でしかなかった。むしろ、安易な方へ考えたかったのかもしれないが、どっちにしても
癌なんて言葉は一切頭の中に出てこなかった。
誰もが、「俺に限って」と思うのは当然だと思う。
大腸カメラをはやく受診しないといけないと、頭では分かったつもりでいた。
だけど、病院へ行くことが正直面倒くさかったんだ。
そして何より、休みの日には朝からサーフィンを優先して遊んでいたかった。
よく働き、欲遊ぶ。
よく動き、欲食べる。
これがボクの生き方だった。
175cm、体重70kg、30代男性の中では、筋肉質、肥満や病気とは縁遠く
好き嫌いなく何でもよく食べ、よく飲み、よく遊んでいた。
ストレスもなければ、自由気ままにやっていた。
だからボクは自分のことを健康だとばかり思っていた。
毎日海に入ってるから日焼けが酷かったくらいかな(笑)
でも、ボクの体の中でこの時、癌がどんどん大きくなっていたんだ。
そんなこと考えると今こうして書いている今でもゾッとする。