No8.明るい未来は一瞬で闇へと変わる
こんにちは。アキです。(@earth0309)
2016年3月16日 こんなはずじゃなかった・・・
担当医から
「検査の結果、あなたの病気は癌です」
「明日、大事な話をするので奥様を連れてきてください」と
言われた言葉だけが耳にのこる。一番聞きたくなかった言葉だった。
その衝撃的な言葉は爆弾級の破壊力で、頭で理解したとしても心が追いつかない。
まるで糸の切れた風船のように、フーっと意識は遠のき、魂は抜け、ただボッーとイスに座り頭をもたげていた。体と心が一瞬にして引き離された感覚は、例えようのない全てが無の世界だった。
他に大事な話をしていたはずだけど何も覚えていない。
これまで、癌はどこか他人事で、ニュースで見ていたどこか遠い国で起きてる
戦争と同じだった。たとえ薬局でガン患者と接する機会があっても、まさか自分が100万人いるガン患者の1人になるなんて夢にも思わなかった。
あ~おれは死ぬんだな、きっと・・・これで人生も終わりか
これまでにない心に大きなストレスをハッキリと感じていた。
癌を耳にした数日間は、まさか自分がガンになるはずがない
何かの間違いに決まっている、なぜ?オレなんだ、と認めたくない気持ちで
心が一杯だった。癌という現実は重く、すでに息が詰まりそうだった。
病院を後にした僕はすぐ帰る気になれず、公園を抜け、向かいの
市立図書館に入り、健康系の本棚の前に立っていた。
そしてふと手に取った一冊の本は、ガンの本だった。
本を読むことは好きだけど、ガンの本を手に取る自分が信じられなかった。
もしかしたらこの世界から消えてしまうかもしれないという現実を
受け入れられず、悲しくて涙があふれてきた。
なぜ、こんな目に遭わなければならないんだろう
オレが何か悪いことしたのか、と自分以外の何かに当たり散らしたくなった。
オレより食生活が悪い人なんていっぱいいるのに!、なぜだ!
いや、ガンになったのはこれまでのストレスのせいなのか・・・と
自分を責めたりもした。
怒りをどこにぶつけたらいいのか分からず、もはや何に怒っているのか
僕自身にも分からなかった。そしてまたやり場のない怒りは涙に変わった。
あの時、なんでもっと早く検査に行かなかったんだろう・・・。
僕は、図書館の公園のベンチに座り、目の前で元気にゲートボールや談笑する
老人たちを見ていた。なぜ、オレなんだろう・・・あのじい様は元気なのにな。
もしタイムマシンに乗って、過去に戻ることができれば
いつまで戻ればいいんだろう。
ひとつだけ過去を変えて良いって言われたら?
いったいいつから僕は悪かったんだろう・・・。
再検査の通知を無視したことか、いや、・・・もっと前からなのか?
半年前の健康診断で便潜血反応が陽性、要検査の通知は来ていたけど
血便の他、別にお腹が痛かったわけでもなく、少し便が細いかなというくらいで
便秘でもなかった。自覚症状はほとんどなかった。
これは夢で何かの間違いなんじゃないかな・・・。
こんなはずじゃなかった・・・はずだ。明るい未来だったはずなのに。
僕はこれまで学んできたことを必死に思い出した。
便に血が混じる症状のある疾患は様々あって、一番多いのは痔だからだ。
他にも考えられる疾患として、出血性の腸炎や、炎症性腸疾患があった。
信じたくなかったし、信じられなかった。だけど
大腸カメラに写っていた画像からして、良性のポリープではないことくらい
薬剤師の僕でも分かっていた。やっぱり、あれはガンだったんだ・・・。
ガンと言われる今日まで、勝手に自分の都合のいいように
痔だから大丈夫、今は仕事に専念して再検査は行ける時に行けばいい、
休みの日はサーフィンでしょ、なんて悠長に構えていたのが間違いだった。
後悔しても遅かった。もうタイムマシンも手遅れってことなのか。
すべて、自業自得ってやつなのか。それにしても酷すぎるよ。
もっと早く病院に行って検査をしておけば良かったと、僕は後悔していた。
血便という体からのサインを勝手な解釈で無視し続けたんだろう。
これから、多恵子に報告しないといけない。なんて言えばいいんだろうか。
公園のベンチで一人思い悩んでいた。どうしたらいいのか、分からなかった。
これから先、どこへ向かっていけばいいのか分からなかった。
担当医に言われたことだけ、ガンだったということ以外何も覚えていない。
そしてありのまま伝えた。
2016年3月17日
泣いてばかりではいられない闘病生活のはじまり
次の日、お互いの心配を握りつぶすように、ギュッと手をつなぎ
多恵子と改めて検査結果を聞きに病院へ向かった。
白衣を着た僕の担当医は、前日よりも丁寧にやさしく、冷静にこう言った。
「検査の結果、ご主人の病気は癌です」
「大腸癌です」
「進行度がⅠからⅣ期までの4段階あり、もっとも進行しているステージ4」
「リンパ節、肝臓に転移しています」
「今後の検査でまだ転移している可能性があります」
「治療方法は、〇〇で・・・」「・・・」
話を聞きながらどんどんテンパっていった。
多恵子「あ、ステージ4ってことは早期発見ってことですよね」
担当医「いえ、末期がんです。全身に転移している可能性があります」
多恵子「・・・・・」
落ち込む夫婦を目の前に、担当医が気を利かせ
「君はまだ若いから進行も速いけど、体力もある。必ず治るよ」と言った。
しかし、ステージ4で転移しててホントに治るのか心配でたまらなかった。
自分がこれほど深刻な状態だったなんて・・・
死という言葉が頭の中を埋め尽くしていった。
正直ここまでくると、誰の話をしているのか全く分からなかった。
信じたくないという拒絶反応が出ていたんだと思う。
完全にパニックになっていた。ドクターの話を聞き逃すまいと
必死にあふれ出す涙をこらえる多恵子の横顔が見えた。
握りしめた手に強い力が入っていた。
あれ?多恵子はなんで泣いてんだろう・・・?
もうワケが分からなかった。
もう限界だったのだろうか、涙で前が見えなくなるほど我慢していた
多恵子が部屋を出ていった。
そこではじめて、あ〜本当にアキちゃんはガンなんだ、と彼女は実感した。
グッとこらえていた涙が滝のようにあふれ出した。
平凡だけど満ち足りた毎日が続くことを当たり前だと思っていた。
毎日一緒に通勤し、朝海に入り、仕事をする。
思い立てばどこだって行けること、いつだって笑いながら時には喧嘩もしながら
いつでも思いを伝えることができることも。なんてない日常だったはずだ。
でも今ここで、そのすべてが失われていくかもしれない。
トイレに駆け込み、鏡に映るクシャクシャになった自分の顔を見てハッとした。
泣いてなんていられない。
私には悲劇のヒロインなんて似合わない!絶対喜劇にしてやる、と彼女は
心に決め、気持ちを切り替え診察室へ戻ってきた。
しかし結婚してもうすぐ4年が経とうとする夫婦には重すぎる問題だった。
病気との戦いは、ひどく不安で孤独な旅路のように感じる。
実際、僕は癌と聞いてから、もし死んでしまうのなら何しても仕方ないと
自分の人生に価値や意味が見い出せずにいた。癌宣告を受け入れられない状況で
親しい人に自分の病気のことを話すことはとても難しい。両親に話す時も一緒だ。
息子が病気だと聞かされるのは、親にとって自分が聞かされるより
はるかに辛いことだと分かっているから尚更だった。
年に1回帰るかどうか、沖縄へ移住してしまった僕からのたまにかかる電話は
嬉しいニュースであって欲しい。
「晶浩だけど、父さん今いい?」久しぶりに聞く息子の声に、受話器ごしの父の声はうれしそうだった。その声を聞いて、心が締めつけられた。これから父を悲しみのどん底に突き落とそうというのだから。
僕は手短に要件だけを伝えた。
「大腸がんが見つかったんだ。肝臓にも転移している」
父が絶句しているのが分かった。そしてすぐさま息子に訪れた試練に立ち向かおうとしていた。「追加の検査も必要だけど、福岡へ帰ろうと思っている、手術しないといけないしね」
これから長い長い闘病生活がはじまろうとしていた。